[#表紙(表紙.jpg)] 平岩弓枝 御宿かわせみ32 十三歳の仲人 目 次  十八年目の春  浅妻船さわぎ  成田詣での旅  お石の縁談  代々木野の金魚まつり  芋嵐の吹く頃  猫芸者おたま  十三歳の仲人 [#改ページ]   十八年目《じゆうはちねんめ》の春《はる》      一  三月四日、雛祭《ひなまつり》の終った翌日、|るい《ヽヽ》は娘の千春《ちはる》を伴って我が家の庭から大川の岸辺へ下りた。  大川端の旅籠《はたご》「かわせみ」は庭から大川の堤へ出られるようになっていて、その堤から川べりには石段が築かれて、そこがちょっとした舟着場になっている。  葛西《かさい》から来る物売り舟などが寄せて来て、「かわせみ」の奉公人が青菜や大根など、季節ごとの畑のものを買うのに重宝しているが、如何にもこぢんまりしたものなので、渡し場には使っていない。 「まあ、こんな上等の蛤《はまぐり》、流してしまうのが、もったいないようでございますね」  例によって、あたりかまわぬ大声は女中頭のお吉《きち》で、手には藁《わら》で作った小さな舟に昨日一日、雛に供えた蛤や栄螺《さざえ》を積んだのを持っている。 「馬鹿なことをいっていないで、およこしなさい。お雛様のお供物はこうして流すのが昔からのしきたりなのだから……」  るいが小舟を受け取って、それを千春に持たせ、千春は岸辺からそっと川の中へ流した。  いい具合に流れに乗って藁の小舟はけっこうな早さで海へ向って行く。  るいがそれへむけて合掌し、千春とお吉も各々に手を合せて祈念した。  穏やかな春の光が降りこぼれている川岸に暫《しばら》くたたずんでいる中《うち》に藁舟は忽《たちま》ち見えなくなってしまった。  で、るいが千春の手をひき、我が家へ戻ろうと頭をめぐらすと、すぐ近くに見馴れぬ男が立っているのに気がついた。  男はぼつぼつ還暦かと思われる年頃で、結城紬《ゆうきつむぎ》に石ずりの羽織というけっこうな身なりからしても裕福な商家の主人かと見える。  るいが軽く会釈してその前を通り、石段を上って、堤のむこう側の木戸へ入ると、一足遅れて追いついて来たお吉が背後をふり返りながらいいつけた。 「どういうお人なんですかねえ。千春嬢さまのことをじっとみつめて。なんですか、怖いような感じでした」  それは、るいも気がついていた。男の視線はるいに手をひかれて堤へ上って行く千春に釘づけになっていた。 「いくら千春嬢さまがお可愛いからって、ああ不躾《ぶしつけ》にじろじろ見られちゃあ不気味でございますよ」  お吉の苦情を背に聞きながら庭を抜けて居間の縁側へたどりつくと、女中のお石が待っていた。 「長助《ちようすけ》親分が蕎麦粉を届けてくれまして……」  今、帳場のほうで番頭の嘉助《かすけ》と話をしていると取り次いだ。るいが礼をいうつもりで帳場へ出て行くと、 「なにしろ、あのあたりはうっかり掘ると、ぞろぞろと白骨が出るって場所でございますからねえ」  という、いささか物騒な長助の声が耳に入った。 「なんですの。ぞろぞろ白骨が出るとか」  蕎麦の礼をいってから、るいが訊《き》くと、長助がぼんのくぼに手をやった。 「つまらねえことがお耳に入って、あいすみません」  平川天神で有名な外桜田の平川町にある菓子屋の蔵の地下から白骨が出て大さわぎになったという話だと釈明した。 「なんでも、そこの穴蔵は漆喰《しつくい》で固めた大層なものなんだそうですが、古くなって奥のほうが傷《いた》み出したんで修理|旁《かたがた》やり直しをするんで職人が入っていたんだとか……」  傷んだ漆喰を除いて、ついでにもう少し深くしたいと土を掘ったら、白骨が出て来た。  すわや、殺人と色めき立ったのは、 「同じ平川町の別の菓子屋の主人が、てっきり十八年前に行方知れずになった娘の遺体に違いねえってお上《かみ》に訴え出たもんですから、それからはもう大変でして……」  結局、蘭方の医者が白骨を調べ、少くとも二百年以上昔の男の死体と判定した。 「なんだ。ここでも骨《こつ》の話でもちきりか」  明るい声と共に神林東吾《かみばやしとうご》が暖簾《のれん》をくぐり、続いて薬籠《やくろう》を提《さ》げた麻生宗太郎《あそうそうたろう》が顔を出した。 「まあ、旦那様、お帰り遊ばせ」  るいが嬉しそうに立ち上ったのは、先月末に幕府の御用船で上方へ出かけていて、いつ帰るやらあてのなかった東吾であったからで、 「御無事のお帰り、祝着《しゆうちやく》に存じまする」  改まって手をつかえ、嘉助と長助もかしこまってお辞儀をした。 「京橋のところで宗太郎に会ったんだ。長助も嘉助も居間へ来いよ。宗太郎が面白い話を聞かせてくれるぞ」  草履と革足袋を脱ぎ、嘉助の運んで来たすすぎの水でざっと足を洗いながら東吾がいい、出迎えにとんで来たお吉が慌てて台所へ逆戻りして行った。  ちょうど宿屋稼業は客が出立し、一段落した時刻で、嘉助も若い者に後をまかせて東吾について来る。 「平川町の丸屋から出た骨の鑑定に立ち合ったのは宗太郎だとさ」  東吾が我がことのように自慢し、ぞろぞろと居間へついて来た一同が、目を見張った。 「お骨が出たのは丸屋さんなんですか」  るいが別な意味で驚いたのは、その菓子屋は大名や富商に代々、得意先を持つ老舗《しにせ》であったからである。 「本当に二百年も昔の骨でしたんで……」  各々の席にすわるのを待ちかねて訊いたのは長助で、それには宗太郎が答えた。 「遺体はどうやら具足を着ていたようでね。大方、権現様が江戸へお入りになる前に殺された武者ではないかということになった。なにしろ、今でこそ、あのあたりは武家地で大名家はもとより直参旗本、御家人衆の屋敷が寄り集まっているが、その昔は寺と墓地だらけだったらしい。なにしろ、早い話が今の二番町|界隈《かいわい》、千鳥ヶ淵川の谷筋の一つだった所は俗に樹木谷と呼ばれていたそうで、そこは昔々、死体の捨て場で地獄谷といったのを、後世、樹木谷といいかえたという話があるくらいでね。戦乱の世はもとより、泰平の時も火事や疫病で何万、何十万の人がいっぺんに死ねばその中には身許のわからぬ者もいるし、野辺送りをしてくれる身内のない者もあるでしょう。そういうのは、どこかにひとまとめにして埋めるより仕様がないですからね」  宗太郎が長広舌《ちようこうぜつ》をやめたのは、お吉が稲荷鮨《いなりずし》を運んで来たからで、 「昨日のお節句に作りましたら、千春嬢様が明日も食べたいとおっしゃいましたので……」  大鉢に盛りつけたのを男達の前へおいた。 「そういや以前、兄上の屋敷に出入りの鳶頭《とびがしら》に聞いたことがあるよ」  早速、稲荷鮨に手をのばしながら東吾がいった。 「江戸はどこを掘っても骨が出て来る。土手の工事だ、新しい井戸だと掘り返すとよく銭の入った壺だの石碑や五輪塔なんぞが骨と一緒にみつかることがある。それらは一応、お上に届けるが、骨が出たとは決していわないし、お届けにも書かないのが決まりみたいなものだとね」 「日本人は白骨を不吉とみますからね。縁起が悪いものは、そのまま、そっと埋め直すんです」  たて続けに稲荷鮨を五つ平らげて茶を飲んでいた宗太郎が笑いもせずにいい、お吉が合点した。 「そりゃあそうですよ。平川町の丸屋さんだって大迷惑してるんじゃありませんか。蔵から白骨が出たなんて世間に知れちまって、商売上ったりですよ。誰もそんな菓子屋へ買いに行こうとは思いませんもの」 「穴蔵大工がばらしたんですかね」  といったのは嘉助で、 「若先生がおっしゃったように、仮にそういうものを掘り当てても内々で供養して口を拭《ぬぐ》っているもんですが……」  もしも、近所が噂を聞いても、そこはおたがいさまで、決して公けにしないものだといった。 「丸屋もそのつもりだったようですよ。奉公人には口止めをし、穴蔵大工には祝儀をやってお清めをして世間には内緒にした。が、近所にはどうしても洩れる。どうしようもなくなったのは、近所の老松屋が行方知れずの娘の遺体だと訴え出たことでしてね」  宗太郎が少しばかり憂鬱そうに告げた。 「なんでまた、老松屋さんが……」  お吉が張り切って膝を進め、宗太郎が手をふった。 「そのあたりは源さんにでも訊いて下さい。手前が聞いたのは、丸屋と老松屋とは同じ菓子屋なのに、三代昔から犬猿の仲だということぐらいなのですよ」      二  麻生宗太郎が畝源三郎《うねげんざぶろう》にでも聞けといった平川町の丸屋と老松屋の確執《かくしつ》は、間もなく瓦版で明らかにされた。 「そもそもは、三代前の丸屋の御主人が若い頃、老松屋の娘さんを嫁に欲しいと申し込んで断られたのに始まるんだそうですよ」  早速、瓦版を買って来たお吉が得意顔で報告した。 「老松屋の娘さんは丸屋の嫁になってもいいと思っているのに、父親が同業でしかも同じ町内というのはさきざき厄介の元《もと》だと反対して、日本橋の菓子屋へ嫁入りさせちまったんで、丸屋の御主人は怒り狂ったそうです」  長火鉢の脇で入手したばかりの書籍を眺めていた東吾がいつものように相手になった。 「情ない主人だな。そんなに恋いこがれていたなら、嫁入り前にかっさらって逃げりゃよさそうなもんだ。第一、隣近所で子供の頃からの知り合いだろう。さっさと唾《つば》をつけとかねえから鳶《とんび》に油あげさらわれるのさ。そこへ行くと俺なんぞは……」  東吾の言葉など耳に入らぬ様子のお吉がさらにまくし立てた。 「先代の頃のことだそうですが、丸屋さんでは娘が紀州様の奥仕えに上って御|簾中《れんちゆう》様のお気に入りだと自慢したら、老松屋さんでは娘を尾張様の奥仕えにさし出したんですと……」 「やれやれ、御三家まで持ち出したか」 「どちらの店も同じ時期に千代田のお城の大奥御用を承《うけたまわ》りたいってあっちこっちに頼み込んだのに、どっちも御採用にならなかったんです」 「それじゃ怨みっこなしだろう」 「でも、どちらの店も相手が自分の店を悪くいったせいだと激怒してるんです。そういうことが三代にわたって続いたあげく、今の丸屋の旦那の九郎右衛門さんの悴《せがれ》の新兵衛さんと、老松屋の銀蔵旦那の娘のおそのさんが恋仲になっちまったそうで……」 「因果は廻《めぐ》る小車《おぐるま》か」 「十八年前の天神さんの御縁日に二人が不意に行方知れずになりました」 「そりゃ、かけおちだろう」 「ですけど、以来、どちらの家にも文《ふみ》一本来ないそうです」 「そりゃまあ、悴も娘も筆不精で……」  黙って針仕事をしていたるいが、たまりかねて口を入れた。 「老松屋さんの御主人は娘さんが丸屋さんに殺されたとでも思っていなさるの」  お吉が瓦版を女主人の前へさし出した。 「はっきり、そうとは書いてませんけど……」 「でも、丸屋さんの蔵の下の穴蔵から出た骨は娘のものだとお上に訴えたのでしょう」 「さいです」  東吾があまり面白くもなさそうな書籍を思い切りよく閉じて、大きくのびをした。 「丸屋も馬鹿なことをしでかしたな。なにも、穴蔵なんぞ修理するには及ばないだろう」 「大火があったからじゃありませんか」  お吉がしたり顔でいった。 「昨年の暮の四谷の大火事の時、家財道具を蔵の下の穴蔵へ放り込んで、そっくり助かったって話が瓦版に出ましたから」 「あんたは、なんでも瓦版なのね」  るいに睨《にら》まれてお吉は首をすくめ、慌てて居間を退散した。  大店《おおだな》では自宅の蔵の地下を深く掘って穴蔵を造り、厚手の板で囲いをしたり、周囲を漆喰で塗り固めたりして非常の用に備えていた。  地下で湿気が多いから、平素はたいしたものはしまっておけないが、いざ、火事という際には取りあえず大事なものを運び込んで焼けるのを防ぐことが出来る。  丸屋の穴蔵もその用心のためのもので、長い歳月を経て漆喰がはがれて来たのを修理するついでに、もう少し深く掘り下げようと考えたのは、近年、大火が多く、また、お吉のいうように四谷の火事の際の瓦版の記事がきっかけになったのかも知れない。 「丸屋さんの穴蔵の下から出た白骨が二百年以上も昔の男の人のものだといわれて、老松屋さんでは納得したのでしょうか」  るいの疑問に、東吾が笑い捨てた。 「俺には十八年前の白骨と二百年以上も昔の白骨とを区別しろといわれても迷惑するだけだが、本所の名医も立ち合ったそうだし、調べたのはそういうことの知識のある医者なんだろう。少くとも、男と女の区別ぐらいは素人《しろうと》にも合点が行くように説明したと思うよ」 「それはそうでしょうけれど……」  自分がいいたかったのは、十八年前に娘を失っている親の気持だと思いながら、るいはそれを声には出さず、再び針仕事に戻った。  その老松屋の主人、銀蔵が「かわせみ」を訪ねて来たのは、向島の桜が満開という花だよりが聞えた日の午後であった。 「どうしましょう、老松屋の御主人がおみえになって、番頭さんが若先生はお留守だと申し上げたら、せめて御新造《ごしんぞ》様にお目にかかりたいってねばっているんですけども……」  思案顔のお吉が知らせに来て、るいは帳場をのぞいてみた。  成程、困惑している嘉助の前に、痩《や》せぎすだが、如何にも老舗の旦那といった感じの男が深々《ふかぶか》と頭を下げている。 「あのお人なんですよ。いつぞや、雛流しの時に千春嬢様をじっと見ていなすった……」  ついて来たお吉が耳許でささやいて、るいはうなずいた。  たしかに、三月四日、大川へ雛祭の供物を流しての帰り、岸辺でこちらを眺めていた男に違いない。  あれが、平川町の老松屋の主人だったのかと思い、るいは静かに帳場へ出て行って挨拶をした。 「お出でなさいまし。神林の家内でございますが、御用とおっしゃいますのは……」  男はるいをみて驚いた表情になった。 「あなた様が神林様の御新造様でしたか」 「はい、いつぞや雛流しの折にお目にかかりました」 「その節は御無礼を致しました。おかわいらしいお嬢様と雛流しをなすっていらっしゃるお姿をみて、あの、もし、手前の娘も息災ならば、今頃は良き伴侶を迎えて、あのような愛らしい孫にも恵まれていたのではなかったかと、つい、不躾《ぶしつけ》にお二人を眺めてしまいました。どうぞ、御勘弁下さいまし」  様子をみていた嘉助が帳場の脇の小座敷に客座布団を出し、るいはそこへ老松屋を案内した。 「はじめて御挨拶を申し上げます。手前は平川町で菓子屋を営んで居ります、老松屋の主人、銀蔵と申す者でございます。今日はだしぬけにまかり出まして、御迷惑は重々、承知して居りますが、なんとか、こちらの御主人様に話を聞いて頂きたく存じまして……」  畳へ額をすりつけるようにお辞儀をした銀蔵は見た所、顔色も悪く、憔悴し切っている。 「折角でございますが、宅は只今、出仕して居りまして……」  穏やかなるいの言葉を銀蔵は片手を上げて制した。 「それは、番頭さんから承りましてございます。どうぞ、御新造様に……」 「私のような者がうかがいましても如何かと存じますが……」 「お願いでございます。御無礼を承知で申し上げます。同じ娘を持つ親のお気持で手前の話をお聞きなすって下さいまし」  流石《さすが》に、るいは言葉を失った。  同じ娘を持つ親の気持とまでいい切った銀蔵が如何に思いつめてここへやって来たかが胸に迫って来る。 「そこまでおっしゃいますのなら、お話を承らせて頂きます。とはいえ、ここは見られる通りの小さな旅籠稼業、決して御番所でもなく、御役人の住いでもないことを御承知下さいまし」  きっぱりしたるいの返事に、銀蔵は改めて頭を下げ、両手を突いたまま、話し出した。 「手前共には一人娘がございました。女房は生れつき体が弱く、娘を産むのがやっとという有様で、その後、二年程床についたままあの世へ旅立ちました。おそのを頼むというのが、いまわのきわの言葉で……。申し遅れました。おそのと申しますのは、手前共の娘の名でございます」  訥々《とつとつ》と話す銀蔵の言葉には愁《うれ》いが濃く、当人はすでに涙を浮べている。 「親馬鹿を申しますなら、おそのは良い娘でございました。病気らしい病気もせず、丈夫に育ってくれまして、手前はこの娘のためなら、どんなことでもしてやりたい。それこそ、我が命よりも大事な大事な娘と思って居りました」 「では、後添《のちぞ》えもおもらいにならず……」 「考えたこともございません。お恥かしい話ではございますが、仲間内のつきあいで遊里などに誘われましても、娘が家で待っていると思うと一目散に別れて帰りました」  母親のない分までを父親が補ってやらねばと夢中であったという銀蔵の述懐を聞いて、るいは小さな嘆息を洩らした。  思えば、自分も似たようなものかと幼い日が浮んで来る。るいの父、庄司源右《しようじげんえ》衛|門《もん》は役目大事の人であったし、定廻《じようまわ》りという激職についていたから朝出仕して行ったら、いつ帰って来るのかわからないような日常であった。けれども、お役目が終り次第、父がそれこそ駆け足で屋敷へ帰って来てくれるのを、幼い日のるいは知っていた。寡黙な人で、 「留守中、寂しかったか」  なぞという言葉をかけられたことは一度もなかったが、帰ってくれば必ずるいを両腕に抱き上げ、ごく幼い時には膝にのせたまま、一つ茶碗で飯を食べた。  武士の家の作法からしたら、とんでもないことだが、るいにはそれが父の愛情であったとなつかしい。  目の前で、今、涙と共に話している男とその娘も同じように親一人子一人、支え合って暮していたのかと、るいは他人事には聞けなくなっていた。 「どうも、よけいなことをお話し申して肝腎のところへ進みませんで申しわけございません」  気を取り直したように、銀蔵は話をとばした。 「おそのが行方知れずになりましたのは、あの子が十六になりました年の初天神の日でございます」  初天神は一月二十五日。  平川町にはその町名の起こりになったように江戸で屈指の天神社、平川天神がある。  もともと、平川天神は文明年間に太田|持資《もちすけ》(のちの道灌)が川越|三芳野《みよしの》の天神社を江戸城に勧請《かんじよう》したのが、徳川家康が入国して後、いったん、平川口の外へ移され、更に現在の場所に落ち着いた。別当は天台宗、長松山竜眼寺となっている。 「手前共の店と天神様とは、ほんの目と鼻の先でございます。初天神にはいつも親子そろってお詣りに参りますのに、その時、手前は風邪をこじらせて寝込んで居りまして、おそのが一人で行きました」  何分にも近すぎる距離なので、お供は誰もついて行かない。 「おそのは手前の枕許で、天神様へお供《そな》えするお供えを奉書に包み、水引をかけまして、行って来ますと挨拶をして出かけたのでございますが、それが娘の姿の見納めになってしまいました」 「どなたか、娘さんを見かけた人はいなかったのですか」 「社務所の神官の方が、おそのからお供えを受け取って、御神符を渡して居られたとのことで……ですが、その他には……」  初天神の日、境内は人で埋まっていて神官もおそのがどっちへ向いて行ったかなぞということは憶えていない。 「御近所の方で、おそのさんの姿を見たという人はおありじゃなかったんで……」  遠慮して帳場のむこうにひかえていた嘉助が、たまりかねたように口をはさんだ。 「それこそ狂気のようになって町内中を……いえ、平川町界隈をくまなく訊ねて歩きましたが、どなたも首をふるばかりで……実は、手前はそれ故に、おそのは遠くへは行っていないと考えたのでございます」  銀蔵の顔がひきしまり、るいははっとした。  今の銀蔵の言葉は、同じ町内の丸屋の穴蔵から白骨が掘り出された時、それは娘の骨に違いないとお上に訴え出たことにつながっている。 「ですが、旦那」  昔とった杵柄《きねづか》で、嘉助はさりげなく銀蔵の前へにじり寄った。可笑《おか》しなもので、こういう時の嘉助は日頃の柔和な宿屋の番頭の気配が消えて、眼光|炯々《けいけい》として物腰まで凄みを帯びて来る。 「丸屋さんが、お宅のお嬢さんをどうかするような理由がおありなさるんで……」  僅かに逡巡して銀蔵が口を開いた。 「娘が行方知れずになる前の年の秋、たしか九月の天神様の祭日の後だったように憶えていますが、丸屋の悴の新兵衛がやって来まして、だしぬけに娘を嫁にくれろと申します。無論、冗談ではないと断りました。一人娘でございますし、まだ十五、とても嫁に出せるわけがありませんので……」 「その時、新兵衛さんはどのような様子で……」 「どのようなと申されましても……手前が、おそのを嫁にくれろという話は、お前の親父も承知してのことかと訊ねますと、親の許しは得ていないとの返事。それではいよいよ、話にもならないといってやりますと、何もいわずに帰りました」 「お嬢さんのほうはどうでござんした。新兵衛さんが嫁に欲しいといって来たことを御存じで……」 「新兵衛が帰ってから、おそのに話しました。おそのはびっくりした顔で、急に笑い出し、変な人だと申しました」 「新兵衛さんを変な人だとおっしゃったので……」 「左様でございます。それ故、手前はこれは新兵衛一人の思い込みだと気がつきました」 「その後、丸屋さんからは……」 「何もいって参りません」 「新兵衛さんは……」 「それっきりでございます。ですが、おそのが行方知れずになった時、思い当るといえばそれ一つ、おそらくは新兵衛が娘をあきらめ切れず、蔵へ連れ込んで手ごめにでもしようとして、つい、殺してしまった……」  銀蔵が顔をくしゃくしゃにした。 「手前はずっとそう考えて居りました。ですが、口に出したのは今が最初で……」  言葉に出したことで俄《にわ》かに実感になったのか、手拭で顔を被《おお》って泣き出した。      三  軍艦操練所から帰って来た東吾に、るいが老松屋銀蔵の話をしたのは夜になってからであった。 「どうも大変な話を持ち込んで来たものだな」  なんとなく銀蔵の気持に同情しているような女房の様子に苦笑しながら訊ねた。 「で、新兵衛がおそのを殺し、蔵の下の穴蔵の、そのまた下に埋めたとして、肝腎の新兵衛はどうしたんだ」 「それが……上方へ修業に行っているんですって……」 「なんだと……」 「それも奇妙だと老松屋さんはおっしゃるんです。老松屋さんにしても、丸屋さんにしても、商売物のお菓子は代々、続いて奉公している職人が作るので、ご主人はせいぜい、味が変っていないか、手抜き仕事になっていないかを監督する立場で、普通はそれも職人の頭《かしら》に当る人がやるものなんだそうです。ご主人の役目は大事なお得意をしくじらないようにするとか、新しいお得意を増やすことで……」 「上方に修業に行く必要はないんだな」 「第一、上方と江戸ではお菓子の好みも味も違いますって……」 「いつなんだ。新兵衛が丸屋からいなくなったのは……」 「丸屋さんがはっきりいわないらしいんですけど、おそのさんが行方不明になるより先だとか」 「かけおちじゃねえのか」  久しぶりに女房に酌をしてもらって、東吾はやんちゃな声を出した。 「それは、嘉助が申しましたの。でも、老松屋さんは断じて、それはないとおっしゃいました」 「女は……おそのは十六といったな。新兵衛は……」 「十九だったそうです」 「十八年経って……今は三十七か」 「おかしいでしょう。三十七にもなって、まだ上方で修業しているなんて……」  普通なら所帯を持って子供の二、三人も出来ていようという年齢《とし》だとるいはいう。 「実は老松屋さんが帰ってから、嘉助やお吉と考えましたんですけれど、やっぱり、かけおちじゃないかと」 「それしかないだろう」 「でも、かけおちとしたら、二人は生きていないと思います」 「どうして……」 「文が来ていないんです。老松屋さんもいっていました。万に一つ、かけおちならば、十八年間、文の一本もよこさないことはない。娘は必ず、無事でいると知らせて来る筈《はず》だと泣いていい切られたんです」  母親が早く死んで、父親が男手一つで育て上げた娘であった。その娘が行方知れずになったら、父親が半狂乱になるのは知れている。 「るいなら、どうする」  盃を突き出して東吾がいった。 「俺とるいが、どうにも夫婦になれそうもないからとかけおちしたとして、無論、るいの父上が御健在の時の話だ」  るいが新しい徳利を銅壺《どうこ》から出した。 「文を出すかってことですか」 「そうさ。るいの父上は、それこそ男手一つでるいを育てたんだ。その父上に、るいは文一本出さず、知らん顔ですませられるか」 「最初はともかく、まがりなりにも落ち着いたら、さりげなく、無事で暮していると知らせるかも……」 「知らせたら最後、相手は八丁堀きっての探索の名人だ。忽ち、手がかりをみつけて娘の居場所を突きとめ、とっつかまえに来るよ」  るいが笑い出した。 「そうしたら、東吾様と逃げます」 「逃げても逃げても追いかけて来る。なにしろ、庄司どのに追いかけられて捕まらなかった盗《ぬす》っ人《と》はいないというのだからな」 「いやですよ。あたし達、盗っ人じゃありません」 「娘をさらって行くのは、盗っ人も同じさ」 「新兵衛さんとおそのさんがかけおちして、どこかで暮しているとお思いになりますの」 「そいつは丸屋へ行って亭主に聞いてみなけりゃあ、わからんな」  冗談らしくいって盃を干した東吾だったが、その翌日、いつもより早めに軍艦操練所を退出して来ると出迎えたるいに、 「おい、今から平川町まで行かないか」  と草履を脱がずにいう。  るいはいささか慌てたが、そこは長年、連れ添った仲で亭主の気性は飲み込んでいる。  ざっと身仕度をし、後を嘉助とお吉にまかせて「かわせみ」を出た。  途中、駕籠《かご》を拾って、るいを乗せ、東吾は歩いて悠々と千代田城のお堀のへりを通って平川町へ出る。  行ってみてわかったことだが、丸屋も老松屋も二軒ながら天神様の鳥居の前で、その一帯は門前町さながらに店がずらりと並んでいる。  老松屋の前を通る時、るいはひょっとして銀蔵が出て来るのではないかと冷や冷やしたが、老松屋の布看板のむこうは活気がなく、店全体が暗くひっそりした感じであった。  それは丸屋のほうも同様で、こちらはつい先頃、穴蔵から白骨が出るやら、その骨は我が娘のものではないかと老松屋からお上に訴えられるやらで、その打撃からまだ立ち直れず、総体に陰鬱な印象が強い。  東吾がうながして、るいが先に丸屋の暖簾をくぐった。 「お出でなさいまし」  と迎えたのは女で、髪の形や化粧からしてまだ未婚の娘のようだが、年齢はどう若く見ても三十をいくつか越えている。  るいの求めに応じて、さまざまの菓子の入った箱を運び出して来るのは手代のようで、こちらは三十そこそこだろうか。  その二人の他には店のすみに小僧が一人きり、手持無沙汰に突っ立っていたのが、娘に目くばせされて、慌てて奥へ茶を取りに行った。  練物を少しと打菓子を数種類えらんでいるるいの脇から東吾がのんびりと訊いた。 「当家の御亭主は九郎右衛門どのといわれたかな」  手代が丁寧に答えた。 「はい、左様でございます」 「御在宅か」 「只今、近くまで出かけて居りますが……」  娘が不安そうに東吾を見た。 「父に、なんぞ御用でございましょうか」 「いや、用というほどのものではないが……」  主人が留守では仕方がないな、と東吾があきらめかけた時、あたふたと暖簾を分けて入って来た恰幅《かつぷく》のよい老人が東吾の顔をみるなり、 「もし間違いましたらお許し下さいまし。貴方様は八丁堀の神林様の御舎弟様ではございませんか」  という。流石に東吾も面くらいながら、 「俺を知っているのか」  と訊いた。 「以前、一度、お目にかかったことがございます。と申しましても、そちら様の御存じないことで……」  今から十年も昔のことだと恐縮しながら話した。 「手前の、昨年|歿《なくな》りました女房の実家は日本橋の桔梗屋《ききようや》と申す菓子屋で……」 「桔梗屋なら、よく知っているよ。以前はよく兄の使で唐饅頭《とうまんじゆう》を買いに行った」 「はい、手前がお見かけしましたのも、そのような折で……たまたま、女房の親の法事のことで桔梗屋へ行って居りまして、お若い、しかも立派なお侍がお一人で甘いものをお買い求めにお出でなさるのは珍しいと、貴方様がお帰りになってから義兄に訊ねますと、あちらはお兄様が吟味方におつとめで、お疲れをいやすには甘いものが何よりとのことで御|贔屓《ひいき》にあずかっていると……」  つい、東吾は笑い出した。 「驚いたな。世間は狭いというが、とんだ悪事がばれるものだ」 「悪事なぞとはとんでもないことでございます。お兄様孝行のお優しいお方だと、桔梗屋では、みな、感動致して居ります」  ようこそお出で下さいました、せめて粗茶を一服さし上げたいと、途惑っている東吾とるいを強引に茶室に案内した。  流石に大名家を得意先に持つ菓子屋だけあって、簡素な茶室には花が活けられ、炉には炭が入って湯が沸いている。  手代が打菓子を盛った木鉢を作法通り捧げて来て、東吾の前へ置き、一礼して下って行く。  どうやらお点前《てまえ》をするのは娘らしく、九郎右衛門は亭主席寄りに座を占めて菓子を勧めながら、こういった。 「もしや、今日、神林様がお出でなさいましたのは、この間からの手前共の店の不祥事がお耳に入ってのことでございましょうか」  水屋のほうでかすかな物音がしているのに気を遣いながら、そっと九郎右衛門がいい出した。東吾がなんと返事をしたものかと迷っていると、 「実は只今、手前が出かけて居りましたのは天神様へおみくじをひきに参りましたので……」  袂から出したのは大吉のおみくじであった。 「実はこれまでにも何度か決心をしたのでございますが、その度に、歿りました女房が左様なことをしては、もし新兵衛が帰って来た時、とり返しがつかないと強く反対を致しまして実現致しませんでした。が、その女房もあの世へ旅立ち、手前も今年は還暦を迎えました。娘のおつねも三十四になって、これ以上、ひきのばしてはいくらなんでも娘が気の毒でございます。幸い、おみくじも大吉と出ましたので、早速にも娘を手代の与之助とめあわせ、丸屋をゆずることに決めましてございます」  一息にいってのけた相手を東吾はみつめた。 「悴どのを廃嫡にして、娘御に聟《むこ》を取り、丸屋を相続させると申すことか」 「はい、十八年間、生きているのやら、死んでいるのやら、親をこれほど苦しませた悴に店をゆずる気持は毛頭ございませんので……」 「お待ちなさい」  東吾が遮《さえぎ》った時、水屋からの戸が開いて、おつねがそっと父親のほうを窺《うかが》った。すかさず、九郎右衛門が、 「かまわないよ。お前に聞かれて困ることは何もないのだから……」  慈愛のこもった声でうながした。それでも、おつねは少しためらったが、覚悟を決めたように茶室へ入り、炉の前へすわった。  茶の湯の作法は、心得のあるるいがみていても感心するほど、自然でゆったりしている。 「御当家の嫡男は上方へ修業に参ったと聞いたが……」  東吾の問いに、九郎右衛門は軽く頭を下げた。 「世間へは、左様に申して居ります」 「事実は、老松屋の娘とかけおちしたのか」 「わからぬのでございます」  十八年前の初天神の前日のことであったと九郎右衛門はいった。 「新兵衛は手前には何もいわず、ただ、あれの母親には友人に誘われて吉原見物に行くと申したそうです。あまりいつもいつも断ると友達から馬鹿にされるので、やむなくつき合うといった悴に、母親はまとまった金を渡し送り出したと申します」  従ってその夜、新兵衛が帰って来なくとも丸屋では不審に思わなかった。 「悴も、十九でございますし、親としてもあまり堅物すぎてもと……」  だが二日経ち、三日経っても新兵衛は帰って来ない。たまりかねて、丸屋では出入りの鳶頭《とびがしら》に頼んで吉原を調べてもらい、その一方で新兵衛の遊び友達を聞いて歩いた。  その結果、新兵衛の友人は誰一人、彼と共に吉原へ行っては居らず、吉原のほうも軒並み調べても、新兵衛らしい男を登楼させた見世がみつからなかった。 「その中に老松屋さんのほうから、新兵衛があちらの娘さんをそそのかしてかけおちしたのではないかと、あらぬ疑いをかけられまして……」 「あらぬ疑いといい切れるのか」  東吾の反問に、九郎右衛門は少しばかりひるんだ表情をみせた。 「老松屋では、新兵衛が娘のおそのを嫁にくれといって来たと申しているが、その話は知っているか」 「あちらへ左様なことを申して行ったとは存じませんでした。ただ、新兵衛の母親が申しますには、おそのさんを嫁に欲しいという話はしたそうで、母親はまだ年も若すぎるから暫く様子をみるようにとなだめたそうで、新兵衛はそれきりその話はしなかったと聞いて居ります」 「二人がかけおちしたとして、立ち廻りそうな先などを調べたのか」  九郎右衛門が苦い顔をした。 「一応、詮議は致しました。ただ、手前としては、かけおちなら時期をみて何かいって来るに違いないと……」 「二人が詫びを入れて来たら、添わしてやる気はあったのか」  九郎右衛門の表情がいよいよきびしくなった。 「こればっかりは手前の一存ではどうしようもございません。肝腎の老松屋がなんと申すか。なにしろ、むこうは手前共の悴が悪いと責めるだけで……」  おつねが点てた茶を東吾の前へおいた。その手がかすかに慄《ふる》えている。東吾が喫し終り、次にるいが茶を受けた。  九郎右衛門は黙り込み、東吾も無言であった。るいが茶碗を戻し、丁寧に挨拶し、おつねは点前を終えて茶室を出て行った。  店へ戻り、菓子を受け取って、東吾とるいは丸屋を出た。九郎右衛門は丁重に挨拶したが見送りには立って来なかった。  平川天神の門前を通りすぎ、お城へ向っての坂道を下りかけたところで、東吾は背後をふりむいた。ぜいぜいと息を切らしておつねが追いかけて来る。 「すみません。申しわけありません」  それだけいって、苦しそうに胸を押えた。 「どうした、何か俺達にいいたいことがあるんじゃないのか」  東吾に訊かれて小さく訴えた。 「いいんでしょうか。お父つぁんのいいなりに、与之助と夫婦になって……もしも、その後で兄さんが帰って来たら……」  おつねの目の中に涙が光っているのを、東吾はほろ苦い気持で眺めた。 「あたし、もう三十四なんです。これ以上、年をとったら、与之助だって、お嫁にもらってくれるかどうか……」  表情がゆがみ、おつねは肩を慄わせた。  好き合って夫婦になるのに年齢は関係ないだろうといいかけて、東吾はそれを口にしなかった。男の気持がたとい、そうであっても女にしてみれば一年一年老いるというのは切実な思いに違いない。  おざなりな言葉をかけてやる気にもなれず、東吾はおつねに背をむけた。 「新兵衛という人、酷《ひど》いと思います」  歩き出してから、るいがいった。 「十八年も音沙汰なしなら、とっくに妹さんが聟を取って店を継いで当り前でしょうが」 「新兵衛はそのつもりでいるかも知れないよ。そうさせなかったのは、母親なんだ」 「娘さんが不愍《ふびん》じゃなかったんですか」 「女親は男の子がかわいいっていうからな」  人それぞれに思惑があったのかと東吾は考えていた。  父親は自分にそむいて去った悴に立腹し、それなら娘に聟を取って家を継がせると考える。商売屋にとっては、気にくわない息子より、出来のよい養子に店をまかせたほうが商売は繁昌するという。九郎右衛門という男はかなり|やりて《ヽヽヽ》のようだし、とかく父と息子は反撥し合うところがある。  母親にしてみれば、そういう夫が怨めしいだろうし、自分が息子をかばってやらなくてはと思い込むあまり、つい、同性である娘には行きとどかなくなる。 「親子でも合い性のよしあしってのはあるんだろうよ」  御堀の上の空にまたたき出した星を眺め、東吾はるいのために駕籠を探す目になった。      四  新兵衛とおそのがかけおちしたのか、そうではないのか、生きているか、死んでしまったのか、とにかく十八年前に双方の親が手を尽してもわからなかったことが、今更、どうやって調べる方法があるのか、今、調べて判ることなら十八年前に明らかになっている筈だと東吾がいい、るいもこれ以上、他人の家の事情にふみ込む気持はなくて、丸屋と老松屋の確執に関してはそれっきりになった。  考えてみれば、親子でも感情の行き違いや意見の相違などで憎み合ったり、疎遠になっている例は世間に少くない。  三月二十五日のことである。  今年は初天神に参詣しなかったから、とるいがいい出して、千春とお吉を伴って亀戸天神へ出かけ、帰りに千春がおねだりをして深川佐賀町の長寿庵へ寄ると、そこに畝源三郎と東吾がいた。 「お前達を迎えかたがた永代橋を渡って来たら、源さんと長助に会ってね」  丸屋の新兵衛と老松屋のおそのが帰って来たんだ、と聞いて、るいは仰天した。 「帰って来たというのは当りませんね」  といったのは源三郎で、 「どちらも、父親が今年、還暦になったので、どんなふうか様子をみがてら訪ねて来たといったところでしたよ」  と苦笑する。 「やっぱり、二人はかけおちだったんですか。いったい、どこにいたんです」  お吉がまくし立て、長助が我がことのように恐縮した。 「それがその、とんでもねえ所にかくれていやがって……」  川越の在だといった。 「新兵衛の乳母《おんば》さんが一人暮しをしていたんです」  新兵衛が五つの時に丸屋から暇を取って夫と川越へ帰ったが、その後、夫にも二人の子にも先立たれて僅かな田畑を作って暮していた所へ新兵衛はおそのを連れて頼って行った。 「乳母さんも一人っきりで心細かったから、下にもおかず面倒をみる。そこでおそのさんが身二つになったってわけでございます」 「赤ちゃんが出来ていたんですか」  るいが感嘆し、お吉が合点した。 「それじゃ、かけおちせざるを得ませんですよね」 「たいしたものですよ」  いささかの皮肉をこめて源三郎が話した。 「その子が……女の子ですがね。十八、その下の男が十五。新兵衛は八年前から団子や饅頭を作って川越の御城下へ売りに出て、それがけっこう評判で、昨年は町はずれに小さな店をかまえたっていうんですから」 「だったら、なんで親御さんの所へたよりの一つもよこさなかったんですか」  お吉の苦情に東吾が眉を寄せた。 「町役人《ちようやくにん》から知らせがあって、源さんが新兵衛とおそのに会って話を聞いたそうなんだがね。要するに二人とも、親がうっとうしかったのさ」 「我々も親として考えておかねばなりませんね」  満更冗談でもない口調で源三郎が続けた。 「新兵衛は子供の頃から、威張り散らす父親が怖くて好きになれなかったそうですし、おそののほうは物心つく時分から娘にべったりの父親を重荷に感じていた。特に、父親がお前のために後添えをもらわなかった、お前のために不自由なやもめ暮しをしたといわれるのが、ほとほと嫌だったそうです」 「そんな勝手な。親御さんはどんな思いで我が子を大事に育てたか。親の苦労も知らないで、よくそんなことがいえますね」  子供のないお吉が憤慨し、子供のある長助がぼそりといった。 「まあ、親の気持なんてもんは、自分が子を持ってみねえとわからねえといいますからねえ」 「それじゃ遅いんですよ。第一、新兵衛さんもおそのさんも自分の子供を持ったんじゃありませんか、少しは親の気持が……」 「わかるようになったから、還暦にもなっている親の様子をみに、川越から来たんだろうよ」  冴えない顔で東吾がいい、源三郎がうなずいた。 「しかし、お吉さんのいうように遅すぎましたよ」  丸屋はつい三日前に、おつねと与之助の仮祝言を行っていたし、老松屋もそれを聞いて親類から養子を迎える話を決めている。 「それじゃ、帰りたくても、二人とも帰れませんね」  お吉ががっかりし、源三郎が冷えた酒に口をつけた。 「少くとも、親子の仲を修復するには遅すぎたってことですな」  新兵衛とおそのは各々の親の家に一泊もせず、今夜の舟で川越へ帰るといった。  女達が蕎麦を食べ終え、まだ長助に用があるという源三郎を残して、「かわせみ」の一行は大川端町へ向った。 「源さんは相当こたえていたよ。あいつ、源太郎《げんたろう》にけっこう厳しいからな。或る日、源太郎が好きな娘とかけおちしたらなんぞと考えて、内心、青くなったんじゃないか」  永代橋を渡りながら、東吾が憎まれ口をきき、満腹になって眠たげな千春をひょいと背中におぶった。 「あなたこそ、千春に好きな人が出来たら、どんな顔をなさるやら……」  るいが笑い、お吉がその尾についていった。 「若先生は、どんな立派な殿方が千春嬢様をお嫁に欲しいといって来られても、決していいとはおっしゃいませんでしょうね」  女二人にからかわれながら、東吾はなんとも返事をせず、背中の娘をゆすり上げた。  ずっしりと重い千春は父親の背中で安心して眠り出している。  この広い世の中で、なにがあっても断じてこの娘を裏切らないのは俺だけだと思い、東吾は、どこかほろ苦い表情で歩いていた。  弥生も数日で終ろうという夕暮、大川の風は、もう夏の気配であった。 [#改ページ]   浅妻船《あさづまぶね》さわぎ      一  渋谷から広尾ノ原を抜けて金杉橋下から江戸湾へ流れ出る川は、もともと古川と呼ばれていた。  元禄の頃、麻布白銀御殿の造営の際に舟の通行の便のため、大がかりな川ざらえをして川幅をぐんと広げた。以来、川の名も新堀川と変り、その工事の際に人夫の持ち場を一番から十番に分け、各々に組の印の幟《のぼり》を立てた。  麻布一ノ橋のあたりはこの十番に当るところから、ごく自然に麻布十番という地名が生まれた。  その一ノ橋の北方に「十番馬場」という細く長い馬場が出来たのは享保年間のことで、毎年十一月から十二月にかけて三回、仙台馬の市が開かれる。  日頃は馬の調教や初心者の馬術の稽古なぞに使われていて、陽気がよくなるとそれを見物する暇人《ひまじん》が集まったりして、けっこう賑やかであった。  その十番馬場の近くに飼葉《かいば》屋があった。  馬市の時は勿論だが、平素も附近の大名家を得意先に持っていて、十番の飼葉屋とか、十番の藁屋とか呼ばれて重宝がられていた。  馬秣《まぐさ》を扱う店なので、奥の仕事場では男達が始終、藁を切り、それらを入れる大きな籠が通りのほうまで並んでいる。  暦が四月に変った早朝、註文のあった大名家へ届けるために、夜明け前に馬秣を入れた籠を運び出そうとした奉公人の善吉というのが、馬秣の中に突っ込んであった風呂敷包を発見した。  紺の木綿の風呂敷に包んである、それは一尺五、六寸の細長い箱のようなもので、善吉が広げてみると立派な桐箱で組み紐がかかっている。  慌てて善吉はそれを主人の政右衛門に届けた。 「こいつは掛軸《かけじく》じゃねえか」  といいながら桐箱の蓋を開けると、蓋の裏に「浅妻船之図」、英一蝶《はなぶさいつちよう》と書いてあった。  もっとも、そっちの方面に暗い政右衛門はなんのことやら分らず、軸を開いてみることもせず、慌しく蓋を閉めると奉公人に商売をまかせて、自分は風呂敷包を持ってまっしぐらに狸穴《まみあな》の方月館《ほうげつかん》へ向った。  方月館の主、松浦方斎《まつうらほうさい》はすでに九十に近い老人だが直心影流の使い手で、儒学に造詣が深く、また馬に関しても一家言を持っていて、彼と親しくしている大名家の馬術指南役などが馬市に来る際、よく、方斎に同行を求め何かと意見を聞いている。そうした関係で、政右衛門の店にも立ち寄って居り、挨拶をしたこともあった。  なんにしても、政右衛門は松浦方斎を、 「あの先生なら、なんでもおわかりに違いない」  と固く信じていたので、何はさて方月館へ持って行こうと判断したものであった。  方月館へ着いてみると、門を入ったところの立木に馬が二頭、つながれていて、そのむこうの井戸のところに女の姿が見えた。 「どなたですか」  きりっとした声で訊かれて、政右衛門は慌てて深く腰をかがめた。 「わしは麻布十番の飼葉屋の親父でございます。松浦先生にお目にかかりたくて参りましたんですが……」 「松浦先生は只今、お客様がみえてお話をなさっていらっしゃいます。お取次ぎを致しますので、少々、お待ち下さい」 「何分、よろしくお願い申します」  神妙にお辞儀をして待っていると、間もなく女が奥から戻って来た。その背後に政右衛門の知っている顔が見えた。 「おとせ、政右衛門なら俺も知っている。大丈夫だ」  女を安心させてから、政右衛門にいった。 「今日は、なんの用だ」 「若先生……」  政右衛門はいそいそと神林東吾へ近づいた。 「奇妙なものが、うちの馬秣の中に突っ込んでありましたんで……松浦先生に見ておもらい申してえと思って……」  風呂敷包を見せた。 「では、こちらへ来るがよい」  うながされて、政右衛門は下駄を脱いだ。  長くて広い廊下を、ひたすらついて行くと、よく陽の当る南むきの部屋へ出た。  東吾が廊下にすわって、 「政右衛門を連れて参りました。なにやら、先生に見て頂きたいものがあるそうです」  といい、先に部屋へ入った。  廊下に這いつくばってお辞儀をし、顔を上げると、松浦方斎の隣に眉目秀麗というか、芝居に出てくる殿様のように気品のある武士が、こちらを見ている。なんとなく若先生に似ているが、若先生よりも男前だと政右衛門は思った。 「わしに見せたいものとは何じゃ」  松浦方斎の声が聞えて、政右衛門は風呂敷包を解き、桐箱を東吾に渡した。  東吾がそれを方斎の前へ運び、方斎が紐をほどいた。蓋の裏をみて、黙って隣へさし出した。 「これはこれは……」  神林|通之進《みちのしん》が苦笑し、方斎が問うた。 「これを、どこで手に入れた」 「今朝、わしの店の飼葉籠の中に……奉公人がみつけて持って参りました」 「軸を広げてみたのか」 「とんでもねえことで……」 「では、この軸がどういうものか知っていたのか」 「わしは小難しい字は読めねえもんで……」 「何故、軸を広げなんだ」 「それは……なんといったらいいか、おっかねえというか、こりゃあ、わしらのような者が広げてみるようなものじゃあねえと思ったんで……」 「左様か」  方斎が軸を通之進に渡し、通之進は方斎の前へ廻って軸を畳の上にすべらせるようにして開いた。  それは一幅の絵であった。  画面の右上に柳の木が、その岸辺に小舟がつながれている。小舟には舞装束の女が小鼓を前にうつむいていた。  左上には讃《さん》があった。   あたしあだ波 よせては帰るなみ   浅妻船の浅からぬ ああまたの夜は   たれに契《ちぎり》をかはして色を 枕はづかし   我|床《とこ》の山 よしそれとても世の中  方斎が通之進へいった。 「これは、神林どののほうがおくわしかろう」  政右衛門へ柔らかな視線を向けた。 「そなた、かようなものが飼葉籠に入っていたことについて、心当りはあるのか」 「まことにもって全く……迷惑致して居りますんで……」 「しからば詮議をせねばならぬ。これは、暫く、わしがあずかってよいか」 「ありがとうございます。助かりますでございます」  たて続けにお辞儀をして政右衛門が出て行き、心得て、東吾が送って行った。  緊張の余り、青ざめている政右衛門に東吾が笑った。 「全く、とんでもないものを投げ込まれたな」 「若先生」  政右衛門がしかめっ面をした。 「いってえ、あれはなんなんで……」 「俺もよくわからないが、ひょっとすると昔むかしにお上が禁制になすった代物《しろもの》かも知れないよ」  政右衛門が慄え上った。 「冗談じゃねえ。若先生、なんとかお助け下せえまし。つまらねえことにかかわり合って、もし、大事な得意をしくじったら泣くにも泣けねえ」 「その点は兄上によく申し上げる。兄上はもののわかった御方だから、あまり心配しないほうがよい」  あまり世間に喋りまくるなと口止めして東吾は政右衛門の肩を叩いた。  方斎の居間へ戻って来ると、通之進が掛軸を巻いていた。 「奇縁じゃな。神林どのが古い偽書のことでお越しなされた折に、英一蝶の禁書が持ち込まれるとは……」  おとせが運んで来た新しい湯呑に手をのばしながら方斎がいい、 「かようなものが出廻るのは、やはり世が不穏の故かも知れませぬ」  やや、沈痛に通之進が答えた。 「お役目、御苦労でござった」 「先生の御教示を得て、安心致しました。これは如何致しましょう」  桐箱におさめた掛軸を通之進が示し、方斎は、 「御厄介でもお持ち頂こうか。おそらく偽物に間違いあるまいが、御詮議には必要でもござろう」 「お心遣い有難う存じます。では、たしかにおあずかり申します」  風呂敷包は兄の手から弟へ渡された。  待っていたように、おとせが昼飯を運んで来る。酒も少し出て、東吾はそれまで慎んでいた質問を口にした。 「先程、兄上が先生にお訊ねした先代旧事本紀《せんだいくじほんぎ》とは、いったい如何なる書ですか」  方斎が老人とは思えない健啖《けんたん》ぶりで麦飯にかけたとろろ汁をすすり上げた。 「東吾にはなんと申したらよいかな、要するに神道三部の本書といわれていたのは日本書紀、古事記、それに先代旧事本紀なのだが、この中、旧事本紀は聖徳太子、蘇我馬子両人の撰といわれていたにもかかわらず、二人の死後のことどもも書かれて居る、その他にもいろいろとあやしい点があってな、明和七年にお上においては禁書として絶版を申し渡された。従って、本来、この世にあってはならぬものじゃ。神林どのの話によるとそれがこの節、闇から闇へ出廻っているという。容易ならぬことじゃ、これでは、なんのために、我が師、亡き伊勢貞丈《いせさだたけ》先生が御苦心されて、記録の真偽をただされたのかわからぬではないか」  東吾が、彼らしい闊達《かつたつ》さで割り切った。 「要するに、その先代旧事本紀というのは偽書なのですな」 「左様、偽書にして禁書じゃ」 「政右衛門が持ち込んだ浅妻船の絵も禁書ですか」  通之進が単純明快を画にかいたような弟を軽く制した。 「何分にも常憲院様の時代のこと故、わしもよくは知らぬが、英一蝶と申す絵師がお上の忌諱《きき》に触れて三宅島へ流された理由の一つに浅妻船の絵があると聞いたことがある。それ故、禁書といえなくもないが……」  通之進の目くばせで、東吾は質問を止め、膳の上のものをきれいに胃袋におさめた。      二 「るいは英一蝶の浅妻船の由来ってのを知っているか」  狸穴から帰って来て大川端の「かわせみ」の居間にくつろいで、早速、東吾は切り出した。 「不確かですけれど、以前に聞いたことがございます。なんでも元禄の頃、将軍様《おかみ》の御愛妾の舟遊びの話を描いたとか……」 「なんだ、知っているのか」 「女は大抵、知って居りますよ」  と口をはさんだのは木鉢に盛った柏餅を持って来たお吉で、 「大きな声ではいえませんけど、常憲院様って方は大層な色好みで、大奥には御愛妾がぞろぞろだというのに、御側衆の奥方まで取り上げるなんて、いやらしいことをなすったそうでございますね」  別に声をひそめもせずにいう。  常憲院様というのは五代将軍綱吉のことで江戸庶民の間では、どうも評判がよろしくない。芝居や浄瑠璃では、しばしば鎌倉や室町に時代を変えて強烈に叩かれ、幕府はその取締りに苦慮して来ている。 「旦那様は浅妻船の絵をごらんになったことがおありですの」  るいに聞かれて、東吾は苦笑した。 「実は、つくづく見たのは今日、方月館でなんだが、仮にも将軍家の御愛妾に白拍子《しらびようし》のなりをさせて鼓を打たせるなんぞ、英一蝶という奴、度胸がいいな」  成り行きで、方月館へ政右衛門がやって来た話をすると、女二人が目を丸くした。 「それは、本物の英一蝶の絵でございましたの」  るいが膝を進め、東吾はあっさり、 「方斎先生は偽物だろうとおっしゃったよ」  とばらした。とたんに、 「偽物でしたら、珍しくもなんともございません」  るいがあきれたようにいう。 「偽物なら随分、沢山あるそうでございます。一蝶という人が許されて島から帰ってから、門弟衆がこぞって浅妻船を描いたりして、それでも、別におとがめを受けなかったところをみると、島流しに遭った理由は他にあるのだとか」 「兄上もそうおっしゃっていたよ。奉行所の記録では、本当の罪は|馬のものいい《ヽヽヽヽヽヽ》となっているんだと」 「なんでございます、馬のものいいと申しますのは」  流石に、それはるいもお吉も知らなかったらしい。内心、東吾は得意であった。 「元禄の頃に流行ったそうだよ。どこそこの馬が話したというふうにして、今年は悪疫が流行するが、そいつを防ぐには南天の実と梅干を煎じて飲むといいとか。するとみんなが南天の実と梅干を買いに走るから、その値段が上って大さわぎになる」 「まあ馬鹿馬鹿しい」  女二人が大笑いして、 「英一蝶という絵師は、馬が話をしている絵でも描いたんでございましょうか」  と腹を抱えている。  憮然として、東吾はその話を打ち切った。 「かわせみ」での「浅妻船」の話はそれきりだったが、それから十日ばかりして畝源三郎が宿帳調べをかねて「かわせみ」へ立ち寄った。 「どうも不届きな流言が広まっていましてね」  軍艦操練所から帰って来た東吾を待っていたように話し出した。 「英一蝶の浅妻船の絵の本物が出廻っているというのですよ」 「なんだと……」 「東吾さんは方月館で偽物のほうをごらんになったそうですが……」 「本物と偽物と、どこが違うんだ」 「一番、はっきりしているのは顔が異なるそうです」 「白拍子の女の顔か」 「本物は……」  源三郎がくすぐったそうな表情で少々、声を落した。 「常憲院様の御愛妾にそっくりだというのですよ」 「そんな馬鹿な……」  東吾が笑い出し、源三郎も口許をゆるめた。 「噂によると、英一蝶はその御愛妾が大奥へ上る以前、昵懇《じつこん》だったというのですな。あまりに美人だというので、その絵姿を描かせてもらった。後に御愛妾となったので、浅妻船の美女の顔はその絵姿を元にして描いたというんです」 「だからといって源さん、今の時代にそんなものを誰がいったい、鑑定するんだ。元禄といえば、今から百何十年も昔なんだぞ」  源三郎が柄にもない流し目で東吾を眺めた。 「御愛妾に逢ったことのある人間は生きとらんでしょうな。しかし、みればわかるそうですよ。なんとも上品で色っぽくて、眺めていると魂が蕩《とろ》けるようだと……」 「よせやい。そんなつまらん噂を奉行所は放ったらかしにしているのか」 「冗談ではありません。おえらいさんは頭に血が上って、毎日、我々をどなりつけていますよ」  流言の中、もっとも罪が重いのは、徳川将軍に関するもので、町奉行所はその出所調べに奔走させられる。  けれども、本になったり、講釈で語られたり、或いは芝居で上演されたりするのは禁止するのもたやすく、責任者を処罰して一件落着となるが、流言に関しては始末に負えなかった。  そもそも、誰がその噂を流したのか末端から遡《さかのぼ》ってその元凶へたどりつくのは容易なことではない。第一、当人がその噂を喋っている現場でも突き止めない限り、手前は左様なことを申した憶えはございませんと逃げ切られる危険もある。 「なんで、そんなくだらん噂を流しやがったんだ」  東吾が眉をしかめ、源三郎は、 「やはり、金でしょうなあ」  あっさり断言した。 「世の中には馬鹿が多いようで、今度の噂が出はじめてから、是非、本物の浅妻船の絵を入手したいという連中が増えているのですよ」  元来、英一蝶の「浅妻船之図」は、それが島流しの原因になったという説があるくらいで、当時、絵は廃棄させられ、持っている者はおとがめを受けるといわれた。  しかし、それはあくまでも建前であって、お上のほうからは誰々が所持していると知れるものでもないので、ひそかにかくし、お上の弾圧が過ぎるのを待つという者が少くなかった。  実際、島から帰った英一蝶は浅妻船の絵を描こうとはしなかったというが、弟子達は求められるままに、似た構図の絵を描いたし、すでに五代将軍の時代は終っていたこともあり、お上がそれを禁止する例はなかった。  まして、今となっては秘蔵された英一蝶の「浅妻船之図」は、けっこうな高値がついて好事家《こうずか》の間で取引されているのだが、それが今度の噂で更に値がはね上った。  もともと、「浅妻船之図」は高名な絵師の作という美術的な価値よりも、その絵にまつわる伝説のなかで有名になったもので、それに、画中の白拍子が将軍の愛妾の似顔絵を写したものだなぞという話の尾鰭《おひれ》がつくと、素人の金持が、なんとしても欲しいと蠢《うごめ》き出す。  無論、裏から裏、闇から闇への取引だが、それも一層、値を釣り上げることになる。 「悪いことに、ここへ来て、横浜の異人がそうした曰くつきのものなら、是非とも、手に入れたいが、絵を手放す者はいないかと商人に声をかけているという話もありましてね」  奉行所でも探索に乗り出しているのだが、泣きどころは、 「肝腎の浅妻船の絵そのものは、どうも禁制品ではないようなのですよ」  源三郎が眉を寄せ、東吾もうなずいた。 「兄上から聞いたよ。英一蝶がおとがめを受けたのは、馬のものいい、なんだと」  それを女どもに話して馬鹿にされたという東吾に、源三郎が笑った。 「しかし、たしかに奉行所の記録はそうなっていますよ」  あまり表沙汰にしたくない場合、役人がよくやる方法で、そのおかげかどうか浅妻船の話は曖昧に終っている。 「なにしろ、厄介な件で困っています」  国政は内外多忙であった。  世の中は西の方から不穏な様相を濃くしている。  だが、その翌日「浅妻船之図」と思われる一枚の絵を懐中にした男が、新堀川に浮んだ。      三  場所は一ノ橋の近くで、引き揚げられた男は二十七、八。なかなかの男前であった。  体には傷らしいものもなく、毒を飲んだ様子もなかった。  その中に集まって来た野次馬の中から、 「こいつは一番仕立の末の悴じゃねえか」  という者があって、そいつが麻布十番の仕立屋へ知らせに行った。  一番仕立という店は、馬乗り袴専門の仕立職で、どういう縫い方、裁ち方のこつがあるのか、まことに具合がよいと評判で遠方からも註文がある。  知らせを受けてやって来たのは四十がらみの、如何にも職人といった男だったが、死体を一目見るや、 「参次……」  といったきり、絶句してしまった。  取調べの役人に返事が出来るようになったのは、この辺を縄張りにしている岡っ引の仙五郎が番屋へ連れて行き、番太郎に持って来させた酒を無理に一口飲ませてからである。 「手前の末の弟の参次に間違いございません。弟は子供の頃から経師屋へ弟子入りしまして、そこの一人娘と夫婦になりまして、竹彦と名乗って居りました。なんで、こんなことになったのか、親共が聞いたら、どんなに悲しむか……」  はじめて涙を浮べた。今の住居は六本木ときいて仙五郎の下っ引が、女房のおさきに知らせ、検死の終った遺体をともかくも六本木の店へ運んだ。  検死の結果は溺死で、身投げをしたか、あやまって川に落ちたかというところだが、おさきは亭主が身投げをする理由は全く思い当らないといった。 「築地からこっちへ越して来た当座はお客もなく、随分、苦しい思いをしましたが、最近はお得意先も増え、暮しもずっと楽になって来たところで……そんな時になんで川にとび込まなけりゃならないんです」  食ってかかられて、仙五郎は閉口した。  竹彦の実家が麻布十番なら一ノ橋界隈は子供の時の遊び場のようなものであり、道に迷って川に落ちるわけもなく、また、竹彦は下戸で酒は飲まないという点でも、酔っての上の災難とも思えなかった。 「昨日は夕方まで仕事をしていまして、親から頼まれていたことがあった、すぐ近くだからちょいと行って来ると出かけて行きました。あたしは二人の子供に手がかかるので……」  子供と先に飯をすませ、添い寝をしている中に自分も眠ってしまった。朝になって帰っていないのに気づいたが、 「実家へ行ったんですから、泊ったんだと思って……」  心配はしていなかったと泣くのを忘れた顔でいう。  ところが通夜のために六本木へ来た竹彦の両親も二人の兄も、昨日、竹彦が実家へ訪ねて来た事実はなく、頼みごとをしたおぼえもないといい出した。  また、死体が懐中していた「浅妻船之図」にしても、おさきはまるで見たことがないといい、日頃は子供がいるので仕事場へ入ることを禁じられていて、亭主が最近、どんな仕事をしているかもわからないという。  仙五郎は途方に暮れながらも、竹彦の得意先について訊ねたが、 「築地の家の頃は、お父つぁんの代からのお得意さんでしたから、大方は知っています。でも、こっちへ来てからの新規のお客はうちの人が一人でやっていましたんで……」  という始末で、仙五郎は仕事場へ入って調べてみたが、どうも註文書のようなものは見当らなかった。で、なんの気なしに、 「築地から六本木へ越して来たのは、どういうわけだね」  と訊くと、おさきの口から涙まじりの愚痴が続々ととび出した。それを聞いている中に仙五郎は、竹彦夫婦が六本木へ来る以前に住んでいた築地、南小田原町へ行って見ようと考えた。  南小田原町の隣には、大川端の若先生が勤務している軍艦操練所があることに気がついたからである。  翌日、時刻を見はからって飯倉を出かけ、南小田原町で三軒ばかり必要な話を聞いてから軍艦操練所の門のあたりをうろうろしていると、神林東吾が五、六人と肩を並べて出て来た。 「仙五郎じゃないか」  大きく手を上げると、同僚に挨拶してまっすぐ近づいて来る。 「あいすみません、皆さんと御一緒の所を……」  体をちぢめて頭を下げるのに、 「なに、仕事はもう終ったんだ」  近所に旨い鰻屋があるからと大股で歩き出す。仙五郎はいそいそとついて行った。  鰻屋の小座敷に上って註文をすませてから仙五郎は昨日の事件について要領よく話した。 「浅妻船の絵を持っていた奴が土左衛門になったのか」  東吾の関心は、その男が経師屋だった点であった。  絵師によって完成した絵は経師屋の手で一幅の軸に仕立てられる場合が多い。 「こっちへ来て何か収穫があったのか」  運ばれて来た徳利の酒を、鰻が焼けるまでのつなぎに仙五郎へ酌をしてやりながら東吾が話の水を向け、仙五郎は張り切って膝を進めた。 「もともと南小田原町に店をかまえていた彦市という経師屋がいい得意先を持っていたそうでございます」  書画の幅は勿論だが、襖《ふすま》や屏風の表具も巧みで大名家や寺院などにも出入りし重宝がられていたと仙五郎は話した。 「おさきというのは彦市の娘でして、新堀川に浮んだ竹彦が弟子に入った時分は、他にも二、三人の職人がいて、けっこう繁昌していたそうですが……」  おさきの聟に竹彦を決めたのは、父親の彦市だった。 「職人としての腕もいいし、なにより男前なんでおさきが惚れて夫婦になりたいと父親をくどいたと近所の連中はいっています」  けれども、二人が夫婦になって間もなく彦市が卒中で歿《なくな》った。 「それでも店は繁昌していたというのに、或る日、突然、六本木へひっ越しちまった。今でも町内の連中はいったいなんだったのかと首をかしげていますんで……」 「おさきという女房は、亭主が六本木に移ったことを仙五郎に愚痴ったんだろう」 「自分は最後まで反対したが、竹彦は生家とあんまり遠すぎるからと押し切ったんだそうでして……」 「生家というと麻布十番か」 「へえ、ですが、竹彦は三男でして、長男は親と一緒に住んで家業を継いでいる。次男もごく近間《ちかま》で暮しているんで、なにも無理に親の傍へ住まなくってもよさそうに思えます」 「六本木へ移ったのは、いつだ」 「ぼつぼつ一年になろうかてえ話で……」  東吾が盃を下へおいた。 「仙五郎、こいつはひょっとすると掘り出し物かも知れねえぞ」  女房のおさきに訊いてみてもらいたいといった。 「六本木へひっ越す前に、誰か、いつもと違う客が南小田原町の店へ訪ねて来なかったか。また、六本木の店は竹彦が自分で探して来たのか、それとも、誰かが世話をしてくれたのか。世話をしてもらったとすれば、どこのなんという者か」  鰻飯で腹ごしらえをすると、仙五郎はまっしぐらに六本木へ向って行った。  仙五郎の返事は翌日、深川の長寿庵の長助が持って来た。 「畝の旦那のお指図で、麻布十番の飼葉屋について調べに参りまして、仙五郎どんの所へ顔を出しますと、ちょうど若先生にお目にかかって帰って来たところでして、話を聞きながら、あっしも六本木の経師屋へついて行きました」  その結果、思いがけないことだったが、長助が調べに行ったことと、竹彦が六本木にひっ越ししたのが、満更、かかわり合いがないとはいえないとわかった。 「昨夜は仙五郎どんの所へ泊めてもらって、あっしが若先生へお知らせに……」  およそ岡っ引などというものは功名心が強く、抜けがけや縄張り争いなぞは珍しくもないのに、長助は仙五郎に仁義を通し、仙五郎は自分が探り得た情報を、長助に托している。そういうところは二人が手札を貰っている畝源三郎の人徳だと東吾は思った。 「それじゃあ、早速、仙五郎の返事から聞かせてもらおうか」  長助の答えは早かった。 「六本木の家を竹彦に世話してくれたのは、赤坂の地主で市兵衛という人で、今井町に隠居所をかまえています。おさきの話だとその市兵衛に妾奉公しているお久麻《くま》ってのが竹彦の幼なじみでして。そもそも、竹彦が、ひっ越しを考え出したのも、そのお久麻が旦那のお供で本願寺へ参詣に来て、竹彦の店をのぞいたのがきっかけのようでございます」 「幼なじみというからには、お久麻は麻布あたりの生まれなのか」 「おさきの話を聞いて、仙五郎どんも驚いたんですが、お久麻は麻布十番の飼葉屋の娘なんです」 「政右衛門の娘か……」 「姉娘のほうで、妹のお久美とは母親が違います」  お久麻の母は、お久麻が八歳の時、病死して、政右衛門は後添えを迎えた。 「ですから、お久麻とお久美は年齢が十も離れて居ります」 「地主の隠居が妾にするくらいだから、お久麻というのは美人なんだろうな」  東吾が冗談らしくいい、長助がぼんのくぼに手をやった。 「今井町の家の近くに張り込んで、湯屋へ行く所を覗いたんですが、なかなかあだっぽい女で、とても三十になっているようには見えませんで……」 「お久美のほうはこの節、どうだ」 「こっちは働き者で、奉公人と一緒になって藁《わら》を切ったり、運んだり、およそなりふりかまわねえような娘ですが、それにしちゃあ可愛い顔つきで町内の若え連中には随分と人気があるようです」 「そう聞くと俺も麻布まで行ってみたくなるな」  長助を相手に笑っていた東吾だったが、やがて八丁堀の組屋敷へ出かけて行き、帰って来ると、 「源さんに頼まれて、明日、狸穴まで行って来る。軍艦操練所が終ってそのままむこうへ行くが、帰るのは遅くなるかも知れない」  とるいにいった。 「長助親分にも困りますねえ。なにかというと、いい女を餌に若先生をひっぱり出しに来るんですから……」  お吉が嘉助にいいつけたが、まるでとり合ってもらえないので、首をすくめて台所へ去った。      四  東吾が長助と待ち合せたのは本願寺の前でまっすぐに木挽町《こびきちよう》へ出て堀沿いを五丁目、六丁目、七丁目と歩いて行くと、汐留橋を渡ってこっちへ向って来る仙五郎と若い女の姿が見えた。 「どうした、仙五郎」 「こいつはいいところで。実は若先生の所へ参る途中だったんで……」  仙五郎が背後の女をふりむき、東吾が声をかけた。 「お久美じゃないか、久しぶりだな」  絣《かすり》の着物に牡丹《ぼたん》の花柄の帯を締めた女が嬉しそうに頭を下げた。 「こいつは驚いた。若先生はお久美どんを御存じで……」  長助が目を丸くし、 「お久麻は知らないが、お久美には会ったことがあるんだ。方斎先生のお供で麻布十番の馬市へ行った時、この人の店へ先生がお寄りになったんでね。ただし、もう三、四年も昔の話だ」  暫く見ない中に女らしくなったと東吾にいわれて、お久美は恥かしそうにうつむいている。 「実は、お久美さんがどうしても若先生に聞いて頂きてえことがあるといって飯倉のあっしの家へやって来まして……」  仙五郎が額の汗を拭きながらいい、飯はすませて来たというのを受けて、長助が橋に近い茶店へ声をかけた。  幸い、奥の小座敷があいていた。 「俺に話というのは何だ」  東吾が穏やかに訊き、お久美は両手を握りしめるようにした。 「姉さんを助けて下さい」 「落ち着いて話せ、お久麻は何といったんだ」 「怖しいことになってしまった。自分は殺されるかも知れないと……」 「怖しいこととは……」 「いいません。聞いたんですけど、とりかえしのつかないことをしたとばかりで……」 「それから……」 「参次さん……経師屋の竹彦さんのことです……参次さんにすまない。あんたにもすまないって泣き出して……」 「竹彦は、誰かに殺されたといったのか」 「自分が殺したも同然だと申しました」 「殺したも同然か」 「だから、自分も殺される。因果応報だと……」 「誰に殺されると、お久麻はいったのだ」 「それも申しません」 「雲をつかむような話だが、お前には心当りがあるのではないか」  お久美が青ざめた顔で東吾をふり仰いだ。 「あたしが知っているのは……姉さんが竹彦さんを好いていたってことと……」 「竹彦はお前が好きだったのではないのか」  お久美の瞼の上が赤く染まった。 「あたしは……申しわけありませんけど、断りました。あの人にはお内儀さんも子供さんもいる。第一、あたしはあの人のこと、なんとも思っていませんでしたし……」 「竹彦が、お前の家へ来たのは、いつだ」 「六本木にひっ越して来てすぐに挨拶に来ました。その時はうちの親もいて、今後、よろしくというようなことをいって帰ったんです。でも、その後、姉さんが訪ねてきて、竹彦さんの文を……」 「恋文だったんだな」 「姉さんに返しました。あたしにそんな気はないと、はっきり竹彦さんにいってくれと強く申しました」 「それで……」 「姉さんが何度か来ました。一度でいいから、外で竹彦さんに会えと……でも、堪忍して下さいといい続けたんです」  肩先を慄《ふる》わせているお久美は、それでも気丈に話を続けようとした。 「最後に竹彦さんが来たのは……」  ふっと語尾を呑み、東吾がいった。 「お前の店の飼葉籠の中に浅妻船の軸が突っ込まれてあった時か」  お久美が驚きの声を上げた。 「どうして、それを……」 「それだと話の筋が通るんだ」  長助と仙五郎が固唾《かたず》を飲む中でお久美が観念したように続けた。 「夜更けでした。あたしの部屋の雨戸を叩く音がして、起きて行って誰かといったら、竹彦さんでした。急な用だ、命にかかわるといわれて、あたし、雨戸を一寸ばかり開けました」 「竹彦は何といった」 「一緒に逃げてくれ、決して苦労はさせないから、二、三年、江戸を留守にして……。お内儀さんも子供も捨てるというんです。あたし、そんなことは出来ないといって雨戸を閉め桟を下しました。あの人は暫く何かいっていたようですけど、間もなく声が聞えなくなって……あたし、夜があけるまでまんじりともしませんでした」 「朝になって、奉公人が飼葉籠の中の軸をみつけたんだな」 「竹彦さんがおいて行ったと思いましたけど、お父つぁんにいうわけには参りませんし……」 「あんたは、竹彦が来たことを、誰かに話したか」 「昼すぎに姉さんが来たので、あの人が六本木の店にいるか確かめて欲しいと頼みました。なんだか不安だったので……でも、姉さんは竹彦さんなら、今、店へ寄ったら仕事をしていたというんです。それで、どうしてそんなことをあたしに頼むのかと訊くので、つい、昨夜の話をしてしまいました」  それが竹彦の死ぬ原因になったのではないかと、肩を落す。 「そりゃあ、あんたの考えすぎだ。竹彦が自分で死んだにせよ、殺されたにせよ、それだけのわけがあったからで、あんたにはかかわり合いがない」  甘酒を勧め、東吾は別のことを訊ねた。 「姉さんは市兵衛という隠居の世話になっているそうだが、それは、いつ頃からなんだ」  お久美は甘酒の茶碗を持った手を膝まで下して、目を伏せた。 「大体、二年になります」 「きっかけはなんだ。どうして知り合った」  黙ってしまったお久美へいたわりのある声でつけ加えた。 「いいたくなければ、いわなくてもよいが」 「姉さんは……竹彦さんがおさきさんと夫婦になったって話を聞いたあたりから人が変ったようになっちまって……」  仙五郎が苦労人らしく、お久美をかばった。 「身内のことはいいにくいもんでございます。あっしがお話し申します」  今から十年ぐらい前に、お久麻は身を持ち崩して赤坂の岡場所へ自分から身売りをしてしまった。 「当人は自分で身を売ったといっているようですが、内実はその頃、つき合っていた男が借金のかたに当人に因果を含めたんだと、こいつは誰だってわかります。その当時、政右衛門どんがあっしの所へ相談に来て、なんとか娘を請け出したいが力になってくれといわれまして、あっしがかけ合いに行ったんですが、聞いてみますとお久麻には男がついている。いくら親が請け出してもすぐに元の木阿弥だと教えられました」  それでも、何回か政右衛門は金を払って娘を自由にしたが、その日の中に別の見世から商売に出るといった有様で、結局、親子の縁を切った。 「市兵衛という隠居は赤坂の岡場所でお久麻の客になり、馴染になって通っている中に身請け話がまとまったと聞いて居ります」  甘酒を飲み、とにかく今井町へ行ってみようという話になって、お久美を駕籠に乗せ一行四人が汐留橋を渡り、虎ノ御門の先、溜池のへりを抜けた。  朝から曇りがちだった空がいよいよ重くなってこの季節にしては冷たい風が吹きはじめていた。 「こいつは夕方から雨になるかも知れません」  長助が空を仰いでいった時、遠く雷が聞えた。  赤坂今井町は一ツ木町の通りを上って来て松平出羽守の中屋敷にぶつかったあたりから谷播磨守《たにはりまのかみ》の上屋敷までの細長い町屋で、市兵衛の妾宅は妙福寺という寺の裏側にある。  あらかじめ打合せをしていたことで、お久美が今井町へ入る手前で駕籠を下り、一人で姉の妾宅へ向い、男三人はかなり離れてからその後について行った。  市兵衛の妾宅は竹垣をめぐらした数寄屋造りで、こぢんまりとしているが普請は悪くない。  お久美が玄関を入り、男達は寺の土塀のかげにかくれた。 「まあ、お久美じゃないの」  という女の声が聞え、続いて、 「わたしは用足しで白山下まで出かける。今夜は遅くなるから、ゆっくり遊んで行くといい」  太い男の声がいった。 「傘をお持ちなさいまし」 「そうだな、嫌な空模様になった」  といったやりとりがあって、妾宅の門を五十がらみの男が出て来た。  足駄の音を寺の参道の石畳に響かせながら、三人の男のかくれているのと逆の方角へ去った。 「今のが、隠居の市兵衛です」  仙五郎が教え、寺の脇を抜けて谷播磨守の上屋敷のあたりまで行って待っていると、たいして時間もかけずにお久美が出て来た。  三人がさりげなく竜土町のほうへ歩き出すと、心得てお久美もついて来る。  もうすぐ六本木というところで、男三人はお久美が追いつくのを待った。 「早かったな」  東吾が声をかけ、 「姉さんと話が出来たか」  と訊くと、軽く首を振った。 「姉さん、昨日とは人が変ったみたいで……馬鹿に陽気なんです。殺されるなんていったのは思いすごしだったって……」 「ほう」 「もうすぐ、人が訪ねて来るからっていうんで、あたし、出て来ました」  麻布十番へ帰るというお久美に駕籠を拾い、仙五郎がついて行く。 「旦那の留守中に人が来るってのは、大方、情夫《いろ》でござんしょうね」  長助が顔をしかめ、東吾は道のむこうに畝源三郎の立っているのをみつけた。 「方月館で待っているんじゃなかったのか」 「昨日は、そういう約束でしたが、刻限が少し早いのでおとせさんや善助に菓子でも買って行こうかと通りへ出たら、東吾さん達が見えたんですよ」 「源さんも年だな、そういう気が廻るようになった」 「手前は菓子なぞわかりませんから、東吾さん、みつくろって下さい」  がやがやと菓子屋へ入り、饅頭《まんじゆう》や団子を買って揃って方月館へ行く。  畝源三郎が持参したのは、政右衛門が持ち込んだ浅妻船之図であった。同時にその絵の軸の中にかくされていた一枚の紙である。 「竹彦は経師屋の技術を用いて、この紙を軸の中にかくしたもので、神林様が練達の経師屋に命じて探し出されました」  紙に書かれていたのは、一種の覚え書で、人名は「浅妻船之図」の註文主、下の金額は売値であると源三郎は方斎に説明した。 「これまでに明らかになりましたのは、何者かが発案致し、絵師と語らって、英一蝶の浅妻船之図を贋作《がんさく》致させ、一方にては奇怪なる噂を流布し、その餌に食らいついた客に高値で売り渡し、暴利を得ていたものでございました」  ただ、今のところ、贋作を買った人々をどう問いつめても竹彦の名しか出て来ない。 「竹彦一人にて、かような大がかりなことが出来る筈はなく、彼は経師屋という仕事から書画骨董好きな客に話を持ち込む役目を果したものと思われます」  無論、売りさばいたのは竹彦の他にも何人かいるに違いないが、紙に書かれていたのは竹彦が売りさばいた相手だけであった。 「竹彦と申すと、一ノ橋に死体が浮んだ者であろう」  方斎が眉を寄せた。 「死人に口なしか」 「されど、我々は竹彦より手がかりを探り、なんとか首魁《しゆかい》にたどりつこうと苦慮して居ります」  もともと、この掛軸は政右衛門が方斎にあずけて行ったものなので、ここまでの探索を報告するよう神林通之進から命ぜられて来たものであった。 「御苦労なことじゃ。竹彦と申すはおそらく枝葉、幹を捕えねばどうにもなるまい」 「仰せの通りにございます」  方斎が東吾を見返った。 「少しは目鼻がつきそうか」 「いえ、まだ申し上げるほどのことはございません」  念のため、うかがいます、と東吾はいった。 「かような悪事をなす者は、いわゆる書画骨董好きの者でございましょうか」 「真に書画を愛する者は、どのように窮したとて、書画を汚す真似は致すまい。わしが考えるに、少々、その道にくわしく通ぶりたる者が金のために、或いは面白ずくに企てたものではないか」 「御教示、有難う存じます」  方月館を出て、東吾と源三郎、長助の三人は暮れなずむ榎坂《えのきざか》を下りた。  空は雲が晴れていた。今にも一雨来そうだったのが嘘のように夕焼けが鮮やかである。 「遠雷まで鳴らして、こけおどかしだったな」  東吾が笑い、長助が、 「降らなくって助かりました」  律義に応じた。  今井町の市兵衛の妾宅でお久麻と一人の男が死んでいるという知らせが「かわせみ」へ来たのは、翌朝であった。  たまたま、東吾は軍艦へ乗るための準備で翌日から品川へ行くために休みになっていた。  八丁堀の組屋敷の近くまで行くと畝源三郎が待っていた。 「東吾さんが休みと聞いていましたので……」  弁解らしくいって、すぐ肩を並べて歩き出す。 「妾宅には仙五郎が若い者を張り込ませておいたようですが、どうも、後手《ごて》に廻ったらしいのです」  妙福寺の前には仙五郎が待っていた。 「申しわけのねえことを致しました。全く、どじなことで……」  昨夜、仙五郎に命じられて妾宅に張り込んだ丑松という若いのは、妾宅に男がやって来てお久麻と酒を飲んでいるらしいのまでは見届けたが、その中にひっそりしたので二人が寝てしまったと思い、自分も番屋へ行って少々の酒を飲み、あげくに夜明けまで睡りこけていた。 「目がさめて、慌てて行ってみると夜があけているのに、障子に灯影《ほかげ》がさしている、どうもおかしいとのぞいてみて仰天しやがった」  仙五郎は腹立たしげだったが、そのおかげで二人が死んでいるのが早くにわかったので、隣近所もまだ異変に気づいていなかった。  家の中はひどいものであった。  居間と思われるところに、お久麻と男が苦悶の表情で倒れており、その前に酒徳利と茶碗、皿小鉢が散らばっている。 「どうやら石見銀山《いわみぎんざん》を酒に仕込んだようでして……」  仙五郎がいった時、戸口に声がした。 「家になんぞございましたんで……」  外で張り番をしていた若いのに聞いている様子で、次には血相変えて部屋へとび込んで来た。 「お久麻……いったい、これは……」  それが市兵衛と知って東吾がいった。 「あんた、どこへ行っていた……」  市兵衛が泣き出しそうな顔で答えた。 「昨日から白山下の知り合いに行って居りました」  背後をふりむくと、市兵衛と連れ立って来たらしい男が青ざめて立っている。 「実は昨夜中に帰るつもりで居りましたが、急にひどいさし込みが来ましてこちらの利三どんが薬をくれたり、腹を温めたりしてくれましたがどうにも痛みがおさまりません。とても、今井町まで帰る気力もなくて、とうとう一晩泊めてもらいまして……今も利三どんが心配して送って来てくれたところでございます」  東吾が市兵衛の足許を見た。  余程、動転したとみえて、草履をはいたままである。 「あんた、昨日の午すぎに出かけて行って、今、帰って来たのか」 「はい、いったい、この男は……たしか、徳三とか申しました。お久麻をよく訪ねて来ていたようですが……なんで、この男とお久麻が……」  上ずった声で叫び続けるのを東吾が制した。 「もう一ぺん聞く。あんた、昨日の午すぎにここを出かけて、今、帰って来るまで、この家へは戻って来なかったんだな」  市兵衛が白けた顔で合点した。 「左様でございますが、それが何か」 「仙五郎」  東吾が小気味よくどなった。 「玄関をみて来い。上りかまちに足駄がある筈だ」  仙五郎がとび上って、玄関から男物の足駄をぶら下げて来た。 「ございました。上りかまちのところに脱《ぬ》ぎっぱなしで……」  東吾が市兵衛を睨んだ。 「あんた、昨日、出かけて行く時にその足駄を履いて行った筈だ。俺も仙五郎も、あんたがそこの寺の石畳を足駄を鳴らして歩きにくそうに出かけて行くのをこの目で見ている」  仙五郎が叫んだ。 「たしかに……たしかにあっしも見届けました」 「昨日、足駄を履いて出かけた者が、なんで草履をはいて帰って来た。しかも、あんたの足駄はこの家の玄関先にちゃんと帰って来ているんだぜ」  市兵衛が声を失い、やがてがたがたと慄え出した。 「源さん、ここからはまかせる。八丁堀のお調べが甘かあねえってことを教えてやるといい」  翌日、東吾は予定通り品川から軍艦に乗って上方へ出かけた。  帰って来たのは月の終りである。  知らせを受けて、八丁堀から源三郎が来た。 「東吾さんの留守中に一件落着しました」  事件の黒幕は市兵衛であった。 「松浦先生が指摘されたように、市兵衛は一通り書画骨董に通じていて、いっぱしの目ききのつもりでいろいろ買いあさっていたようですが、その大半が偽物でして、それに腹を立てたのと、悴が親の道楽に愛想をつかして金を出し渋るようになった。で、欲と二人連れで考えたのが、英一蝶の浅妻船之図の贋作です。それも普通ではおいそれと売れないので、赤坂の岡場所で知り合った徳三という遊び人にもちかけて、常憲院様御愛妾にそっくりなんぞという流言をまき散らし、世間の評判になるよう画策したものです」  市兵衛の片棒をかついだのは、白山下の骨董屋《こつとうや》の利三、売れないでくすぶっていた狩野派の絵師の六三郎、それに徳三とお久麻の縁で仲間に誘い込んだ竹彦。 「まだ何人かの雑魚《ざこ》がいましたが、お仕置になったのは市兵衛と利三、六三郎の三人だけでした」  三人そろって三宅島へ遠島となったのは、 「お上も洒落っ気がありますよ。もともとが英一蝶から来た悪事ですから……」  竹彦が一味に加わったのは、勿論、金のためだが、お久麻が妹のお久美を餌にしたためだと源三郎は苦笑した。 「女房子があるのに、竹彦はすっかり女らしくなったお久美にぞっこん参ってしまったようで、恋は人を狂わせるものですな」  それでも、次第に自分のしていることが怖しくなって、一味を抜けて江戸を逃げ出そうとした。 「一人で逃げれば助かったかも知れないのに、なまじ、お久美を道づれにと色気を出したのが間違い。お久麻が一味にばらし、下手をすると竹彦がお上へ訴人するかも知れないと怖れた徳三が、お久美に会わせてやるという口実で誘い出し、新堀川へ突き落したそうです」 「竹彦の奴も、身の危険は感じていたのだろうな、懐中に浅妻船之図の贋作をかくし持っていたのは、自分に万一の場合、お上がそれから探索して一味を召し捕ってもらえないかと考えたんだろう」  たしかに、竹彦が残した飼葉屋の籠の中の一幅と、竹彦の死体が懐中していた絵と、二つながらに探索の緒《いとぐち》にはなった。 「東吾さんのおかげで助かりましたよ。我々も竹彦からお久麻、市兵衛と線をひいて、市兵衛が骨董好きとわかって、奴の身辺を洗っていたんですが、なかなか尻尾がつかめない。そこへ、お久麻と徳三が殺されたというのですから、正直、あそこは勝負どころでした」 「徳三ってのは、お久麻の情夫《いろ》なんだろう」 「岡場所へ身売りする前からの深い仲で、お久麻にとっては腐れ縁ですが、ずるずる続いていたのは、やっぱりどこかで惚れ合っていたんですかね。手前のような不粋者にはわかりません」 「市兵衛は二人の仲を知っていて利用したってことか」 「まず、そうでしょう。さもなければ、徳三が邪魔になったからといって、お久麻もろとも殺してしまうというのは……」  徳三が竹彦を殺したことで、お上が探索をはじめた。 「市兵衛は気が廻るから、竹彦からお久麻の線が浮び上ると考えたんだろう。第一、お久麻と徳三の仲は赤坂の岡場所を調べれば容易に手がかりがつく。徳三のような男はちょっと番屋へひっぱられれば、自分だけ助かるために、なんでも洗いざらい喋るだろう。市兵衛にしてみたら、大急ぎで二人の始末をしなけりゃあならなかったんだ」  東吾の言葉に、源三郎が合点した。 「市兵衛はお上がうるさくなって来たから、当分、贋作を売るのはやめる。二人には今までの分け前に三百両やるから、当分、上方へでも行ってほとぼりをさまして来いといい、お久麻に金を渡し、仲間の利三と今後の相談をして来るといって家を出たそうです。勿論、その前に酒を買わせ、その中に石見銀山ねずみ取りをたっぷり仕込んでおいたのです」  それが東吾達がお久美と一緒に今井町へ出かけた時で、 「東吾さんもいってましたね。あの時は今にも大雨が来そうな空模様だったと……」 「その通りさ。源さんと六本木で会った時なんぞ、空が薄暗くなっていた」  それがどういう風向きの悪戯《いたずら》かとうとう降らないままに、夜にはすっかり晴れた。 「市兵衛の奴、てっきり降ると思って足駄を履いて出かけた。白山下まで行かないで、どこかで時を潰して夜更けにそっと妾宅へ戻って来た。お久麻に金を渡した以上、必ず徳三を呼ぶだろうし、徳三が来れば二人とも酒好きだ。大金を手にした前祝いに飲まない筈はないと計算したものの、果して思った通りになっているか見届けるためだ」  こっそり忍んで来てみれば、案の定、二人は毒酒を飲んで凄惨な死を遂げていた。  市兵衛にとって運がよかったのは、仙五郎が張り込ませていた丑松が、油断して番屋へ行ってしまった後であったことだ。 「市兵衛というのは抜け目がない。二人が死んでいるのを確かめてから三百両を取り返し、行燈《あんどん》の灯を消さずに立ち去ったのは、もし油が残ったままで消えていると、お上が疑いを持つかも知れないと考えたといいますからね」 「それこそ猿智恵さ、二人の死にざまはどうみたって人殺しだろうが……」 「いや、市兵衛の考えでは、徳三が竹彦を殺し、お上の手が廻るのを怖れて、お久麻と無理心中をしたに違いないと申し立てるつもりだったのですよ」  舌先三寸でお上を丸め込む自信のあった市兵衛も、流石にむごたらしい死にざまをみて気が動転したのか、うっかり、脱いだ足駄を履かず近くにあった草履を突っかけて外へ出た。 「なにしろ、市兵衛が戻って来た夜半は月が出ていたくらいです。歩けば音のする足駄よりも歩きやすい草履をはいてしまうのが人情ですが、東吾さんにそこを突かれてがっくりしたんでしょう、案外、お調べは楽でした」  市兵衛が口を開き、共犯の利三も先を争うように白状した。 「市兵衛にしてみれば考えに考えたんだろうよ。自分は白山下の利三の所へ出かけていて、さしこみが来て帰るに帰られず、一晩厄介になったという証人のために、利三に送らせて帰って来た。おそらく利三の家の近所の者にも挨拶なんぞして、自分が白山下にいたという裏付けもこさえておいたに違いないよ」  周到な根廻しが、東吾に履物の相違を指摘されて、あっけなく消えてしまった。 「怪我の功名って奴だな。お久美の奴が泣いて頼みに来て、それで今井町へ出かける気になったんだから……」  いささか得意気に東吾が胸をそらせ、すかさず源三郎が応じた。 「全くです。今度の東吾さんのようなのを、犬も歩けば棒に当るというのだと……」 「なんだと……」 「手前がいったのではありません。神林様がおっしゃったのです」  奉行所で東吾の機智が評判になった時、兄がそういって、事件を解決したのはお上のお手先をつとめる者達の手柄だと仙五郎達をかばったと聞いて、東吾は上げかけた拳をひっこめた。 「その御礼に大事なことを知らせます」 「なんだ」 「お留守中に二度もお久美がこちらへ訪ねて来たそうですよ。当人は東吾さんにお世話になった礼をいいに来たといっているそうですが、お吉さんに聞いたところでは、陽気もよくなったことで、是非、麻布十番へお出かけ下さい。馬市ではありませんが、仙台馬の逸物を知り合いが、毎日、馬場で調教をしていますからと、それはしつっこいくらいに……」 「源さん」  庭で千春を遊ばせているるいをちらりとみて、東吾が真顔になった。 「嘘だろう。まさか、そんなことぐらいで……」 「お吉さんが長助にいったそうですよ、御新造様が大層、御立腹で……」 「馬鹿……」 「手前が聞いたのはそれまでです。では、御報告はこれまで……」 「おい、待てよ。薄情な奴だな、たまには一杯やって行け」  東吾の声が帳場のほうまで追いかけて行き、縁側にお吉が顔を出した。庭にいたるいと目を見合せてにっこりする。  帳場では暖簾のところまで出た東吾を、嘉助が気の毒そうに眺めながら、お腹の中で呟《つぶや》いた。 「全く、うちの旦那様といい、御新造様といい、いつまでもお気の若いこと……」  外を気の早い菖蒲太刀《しようぶたち》売りが自慢の声を張り上げながら通って行く。 [#改ページ]   成田詣《なりたもう》での旅《たび》      一  木挽町《こびきちよう》に住む茶の湯の宗匠、寂々斎楓月《せきせきさいふうげつ》は今年、喜寿を迎えた。  その楓月が俄かに「かわせみ」を訪ねて来て成田詣でに出かけたいと打ちあけたので、るいは少々、意外に思った。  どちらかといえば、日頃は抹香臭いことが嫌いで、両親の法要なぞも長兄まかせ、家にはこれといって仏壇らしいものもみかけない暮しぶりであったからである。  が、訊いてみると実家の宗旨は真言宗で、両親はしばしば成田詣でに出かけていたという。  下総《しもうさ》の成田山新勝寺は真言宗智山派の大本山で江戸の庶民にはなかなか人気がある。  一つには江戸からの水路の便がよく、道中に険しい山道もないことから女子供、老人でも気易く参詣に出かけられるのと、海沿いの風景が繁華な江戸の町中に住む人々には珍しく眺められた故でもあった。 「私も茶道のほうの催しでは諸方へ出かけて居りますが、成田へ参るのは初めて。どなたか道連れになって下さる御方があればと思いましてね」  常になく心細そうな申し出に、るいは早速、承知した。 「成田山でございましたら、信心でお出かけなさる方も少くございません。心当りを訊ねて参りましょう」 「おるい様が御一緒なら、一番、好もしいのですけれど……」 「出来れば、お供を致したいと存じます」 「まあ嬉しいこと……」  楓月が帰ってから、るいはすぐに八丁堀の組屋敷に畝源三郎の妻のお千絵《ちえ》を訪ねた。  彼女もるいと同じく楓月の弟子の一人である。それにお千絵がけっこうな旅好きなのも承知している。 「成田詣ででしたら、今時分が一番じゃございませんかしら」  果してお千絵はすぐ話に乗って来た。 「もう少し先になると梅雨の走りで空模様が危くなりますでしょう。下総の海辺ではいなさの風とやらいう、べたべたした強風が吹くそうですし、出かけるなら一日でも早いほうが……」 「お千絵様も御一緒して下さいますか」 「一応、主人《たく》に聞いてみますが、主人《たく》がいけないと申すことはございませんもの」 「相変らず、お熱いこと……」 「今夜、話してみます。その上で、おるい様のところへ……但し、我が家は子連れですけれど……」 「私も、千春を連れて参ります」 「東吾様がいいとおっしゃいますかしら」 「たまには女房子が留守のほうがよろしいのではございませんか」 「主人《たく》も御同様……」  ほっとしてるいは「かわせみ」へ帰って来たのだが、その夜の東吾は珍しく帰りが遅かった。で、いつもそうしているように千春を湯に入れ、飯を食べさせ、ほどほどに寝間へ連れて行くと、 「お父様がお帰りになるまで起きています」  という口の下から、ことんと眠ってしまった。 「どうせ旦那様はおつき合いでございますよ。御新造様もおすませになったほうが……」  と女中頭のお吉が膳を運んで来て、時刻はすでに五ツ半(午後九時)を廻っている。  遅い時は、かまわず先にすませてくれ、と日頃から東吾にいわれていることでもあり、るいも悪待ちしないで、そそくさと片付けた。  東吾が帰って来たのは亥の刻(午後十時)すぎで、るいがお吉と出迎えてみると、いい機嫌で酔っている。 「源さんの所で飲んでたんだ」  太刀を渡しながらいわれて、るいはどきりとした。すると、お千絵の口から成田詣での話が耳に入っている可能性がある。  果して、 「楓月先生もお年だな。ぼつぼつ後生が気になられたかね」  るいの肩を抱くようにして居間へ入った。 「お千絵様からお聞きになりましたの」  大小両刀を刀掛けにかけてるいが訊き、東吾は突っ立ったまま、お吉に運ばせた水を飲んでいる。 「長助が張り切っていたよ。成田山といえば深川だ。一声かければ講中が出来るほど人が集まるとさ」  成田山新勝寺の出開帳《でがいちよう》といえば、大方が深川永代寺の境内であった。その縁もあって深川っ子は信心のあるなしにかかわらず、成田詣でに目がないそうだ、と東吾にいわれて、るいは少し困った。 「あまり大勢では楓月先生がお気を遣われますから……」 「長助にぬかりはないよ。楓月先生に御縁のある奴をとっつかまえるといっていた」 「成田へお出でなさいますので……」  素頓狂な声を上げたのはお吉で、すかさず東吾から、 「お吉も行って来い。若葉風のこの季節、旅には究竟《くつきよう》だよ」  といわれると慌てて手を振った。 「いえ、成田詣でのお供でございましたら、どうぞ、番頭さんにお申しつけなすって下さいまし」 「嘉助の宗旨も成田山か」 「はい、歿《なくな》った親御さんはとうとう成田詣ではお出来にならなかったとか。ですから……」 「いいとも。俺が許す。源さんの内儀《かみ》さんも長助を連れて行くそうだから、こっちも嘉助で、ちょうどいいや」 「貴方……」  漸《ようや》くきっかけをみつけて、るいは三ツ指を突いた。 「お許しも頂きません中に、勝手なことを……」 「何をいってやがる、女房に甘いのは源さんとこばかりじゃない。むこうが熱々《あつあつ》なら、こっちは大熱々だ」  東吾がるいの肩に手をかけてひき寄せ、お吉は慌てて居間から逃げ出した。      二  深川っ子の面子《メンツ》にかけてと、長寿庵の長助が走り廻って、寂々斎楓月を囲んでの成田詣での旅は忽ち具体化した。  一行はまず内弟子の芳江というのを伴った楓月に、築地の茶碗屋の女房、おさだとその妹のおつね、これは二人とも五十を越えているが、古くからの楓月の弟子でもあった。それにおつねの婚家先の義妹夫婦が加わって六名、更に深川の料理茶屋辰巳屋の主人、新兵衛と女番頭のお篠、同じく深川の材木問屋、尾張屋の隠居、宗右衛門と弟の宗次郎。この二組はいずれも、新兵衛と宗右衛門が楓月に茶の湯を学んでいた。  それに、るいと千春と嘉助、お千絵に源太郎にお千代《ちよ》と長助。総勢十七名が、江戸小網町の河岸から行徳通いの船に乗り込んだ。  船は大川を横切って小名木川《おなぎがわ》へ入り、中川を渡って新川を行く。  成田詣でには、こうした船旅ではなく、日光街道の千住から新宿《にいじゆく》、小岩、市川を抜けて海に沿って八幡、船橋と陸路を行く方法もあるが、どちらかといえば、圧倒的に船を利用する客が多かった。  船旅といっても殆どが川をつないで行くので揺れることもないし、危険も少い。客は弁当をつかったり、茶菓子を食べたりして岸辺の景色を眺め、雑談をしている中に行徳へ着いてしまうので足弱の者には、この上もなくけっこうな船旅ということになる。  行徳は遠浅の海岸で砂地が広く続いている。まだ夕暮にもならないのに、千鳥が群れ飛び、三人の子供は目を丸くして眺めている。  海辺には藁葺き屋根の家が並んでいた。  大方は漁師の住居で、大きなものは網元《あみもと》だろうか、それらの何軒かは船でやって来る旅人をあてにした休み所になっていて、註文に応じて茶菓やうどんなども出す。  楓月の一行も、その一軒で一休みした。  なんといっても、楓月の弟子の縁につながる人々ばかりなので、船上でも初対面の者同士が紹介し合い、すっかり打ちとけている。  一行の中で異色だったのは、辰巳屋の女番頭のお篠であった。  年齢はちょうど三十と当人が自己紹介の時にいっていたが、ふっくらした顔立ちのせいか、それより若く見える。声も動作も、もの柔らかで親しみやすいのだが、時折、凜とした気配を感じさせるのは、女ながらも番頭と呼ばれる位置にいるせいだろうか。 「もともとは女中として辰巳屋に奉公したそうですが、気働きがよくて算盤もたつ。辰巳屋の先代に可愛がられて、歿る前に悴の後見人として女番頭の地位を与えられたんで、まあ、たしかに辰巳屋はお篠さんで保《も》っているなんて噂もありますんで……」  と長助がささやくように、主人の新兵衛は如何にも若旦那がそのまま四十になったような感じで、おっとりしている分だけ、頼りなさそうにも見える。 「新兵衛旦那は昨年、お内儀さんに先立たれまして、世間じゃあ案外、お篠さんが後添えに納まるんじゃねえかと噂をしていたんですが、今のところ、そんな話もありませんで、まあ、四つになる新吉さんという坊ちゃんもいることで、そう、すんなりと決まらねえのかも知れません」  新兵衛とお篠の間柄は主人と奉公人で、そこは男女のことだから世間に知れない何かがあっても不思議ではなさそうだが、るいやお千絵の見る所、どうもそういう仲とは思えない。  新兵衛はお篠を番頭さんと呼び、けじめをつけているし、お篠は奉公人の態度を守っている。  行徳からは陸路だが、今夜の泊りは船橋の布袋屋《ほていや》と決っているので一行はのんびりと海沿いの道を歩き出した。  海上は波穏やかで遠く白帆が見えるのは木更津通いの船でもあろうか。  船橋の宿場に着いたのは予定よりも早くて、陽は西に傾いているものの、まだ高い。  るいもお千絵もこのあたりへ来るのは今度が初めてであったが、船橋宿の立派なことにまず驚いた。  宿場の中心は商店が建ち並び、その大方が二階家である。旅籠や茶店の数も多く、人の往来も激しい。  それも当然のことで、船橋宿は陸路からいえば西に行徳街道や木下《きおろし》街道、東には千葉街道、東金《とうがね》街道、成田街道があり、一方、町の中央を流れる海老川の河口にはちょっとした湊《みなと》もあって、大小の漁船の他に各地からの産物を積んだ商い船も出入りしている。  布袋屋は船橋宿の中心にあった。  その附近は旅籠が多いが、なかでも上等の宿で奉公人の躾もよく行き届いている。  楓月はこのところ足が弱くなっているので二階ではないほうがよいというところから、海のみえる奥まった八畳と六畳に楓月と弟子達五人が入った。  内弟子の芳江を含めて全員が五十歳以上なので、世話人の長助は便宜上、この六人を年寄組と呼んでいる。  辰巳屋の新兵衛と尾張屋の宗右衛門、宗次郎兄弟は二階の、ちょうど年寄組の上に当る部屋で、るいとお千絵は階下の中庭をはさんだ東側の次の間つきの八畳へ入ってみると、更に隣に四畳半が襖《ふすま》で区切られていて、そこへ辰巳屋のお篠が女中に案内されて来た。 「なるべく皆様とお近くの部屋のほうが心丈夫でございますので、長助親分に無理を申しました。お邪魔でもございましょうが、何分よろしくお願い申します」  と挨拶されて、るいは、 「こちらこそ、子供達が居りましておさわがせするかも知れませんが……」  と応じた。そこへ嘉助が来て、 「まだ夕餉《ゆうげ》には早すぎるので、皆さんが近くの意富日《おおいの》神社へおまいりに行くとおっしゃっていますが……」  と誘いに来た。  子供達は早速とび出して行き、女三人も嘉助の後から宿の貸下駄で気軽く外へ出た。  その神社は裏を成田街道が通り、表の一の鳥居は船橋の町並に面している。  社殿はやや小高いところにあってその背後はこんもりした松柏の森であった。 「なんだか難しい名前のお宮ですけど、海の神様なのですって……」  拝殿の脇で参詣人と話していたお千絵が戻って来て、るいに告げた。  成程、絵馬堂には船の絵馬が多く飾られているし、大漁旗のようなものも奉納されている。 「それならお父様にお守を頂いて行きましょう」  千春がいい、るいは社務所で御守札を授けてもらい拝殿で合掌した。  境内の広い所へ出て来ると、お篠が海上を指してしきりに長助に何かを訊いている。  長助がぼんのくぼに手をやり、お篠は会釈をして石段を下りて行った。 「横浜はどの方角かって訊かれまして……」  近づいたるいに長助が苦笑した。 「若先生がいらっしゃれば、すぐわかるんですが、あっしじゃあどうも……」 「横浜ですか」  たしかにここは江戸湾の東に当る筈だから、この海を西へ行けば横浜の方角になるのではないかと、るいも小手をかざしてみたが、一日よく晴れたものの、海はたそがれて来て陸地のようなものは見ることが出来ない。 「若先生は今頃、何をしていらっしゃいますかね」  長助が呟いて、るいは笑った。 「鬼のいない間になんとやらでしょう」  三々五々、布袋屋へ帰って来ると、るいより少々先に店の入口を入りかけたお篠が小さな声を上げて立ちすくんだ。その視線の先に若い男が立っている。こちらは今、着いたばかりらしく宿の女中がすすぎの水を運んで来たところであった。 「お篠さん」  男が安心したように声をかけ、お篠は、 「どうしてお前さんがここに……」  と訊いた。 「店の用事で江戸へ出て、深川を訪ねたら成田詣でに出かけたと知らされてすぐに追っかけて来たんだよ」  素早く足を洗って上りかまちに立った。 「早速だが、どうしてもお前さんに聞いてもらいたいことがある。飯の前でも後でもいい。ちょいと暇を作ってもらえないか」  お篠がちらと背後をふりむいた。そこに遅れて戻って来た辰巳屋新兵衛が途惑った顔で突っ立っている。 「こちらが、あたしの奉公しているお店の旦那様です」  お篠がいい、上りかまちの男は丁寧に腰をかがめた。 「はじめてお目にかかります、手前は弥七と申しまして、只今は横浜の荷揚屋の手代をして居ります。お篠さんとは幼なじみでして、折入って話したいことがございましてこうして追って参りました。ほんの少々、二人で話をさせて頂けますまいか」  新兵衛が絶句し、お篠を見返った。 「話をするって、どこで……」 「あたしの部屋へ来てもらいます」  きりっとした声であった。 「よろしゅうございますか」  新兵衛のほうが気を呑まれた様子であった。 「ああ、そりゃあかまわない」  ちょうど帰って来た宗右衛門兄弟と一緒に新兵衛が二階へ上って行き、それをやりすごしてお篠がるい達にいった。 「どうぞお先にいらして下さいまし」  心得て、るいもかまわず奥へ通った。  お千絵は一足先に戻っていて源太郎とお千代が浜で拾って来た貝がらを眺めている。  千春がその仲間に入り、るいは部屋のすみに用意されている茶道具で二人分の茶をいれた。 「さっき長助から聞かれたので、あたし達は子連れなので、お湯はあとにするといいましたけど……」  お千絵がいいかけた時、隣の四畳半にお篠が男を案内する声が聞えた。襖一重だから別に聞き耳を立てなくとも話は筒抜けである。 「おるい様、あの……お隣……」  といいかけてお千絵が黙った。  男の声がひときわ大きく、 「頼む、俺と夫婦になって横浜へ来てくれ」  と聞えたからである。 「今は手代の身分だが、力になってくれる知り合いが自分の店を持ったらどうかといっているんだ。決して苦労はさせない。安心して辰巳屋から暇を取ってもらいたい」  それに対するお篠の返事は聞えず、弥七という男が言葉を尽して、横浜での自分の仕事ぶりを話している。  廊下を女中の足音が近づいて来た。 「お待たせ申しました。夕餉の仕度が出来ましたので……」  一行は広間で揃って飯にする約束になっていた。明日は成田山の宿坊泊りなので、なにかと打ち合せやら注意もあるせいであった。  るいがお千絵に目くばせし、子供達に声をかけた。故意にお篠を呼ばなかったのは、女中の声が聞えているのがわかっていたからである。  広間には膳が並べられ、大方が席についていた。入って来たるい達を見て、辰巳屋新兵衛は何かいいたそうにみえたが、黙ってうつむいて女中の酌を受けた。 「それじゃまあ、無事にここまで参りましたんで……」  宰領役の長助が挨拶をしはじめた時、お篠が小走りに入って来て、空いている席にすわった。  旅の第一日目は賑やかであった。  女達も少々の酒を飲み、お喋りが尽きない。その中で新兵衛だけが浮き上っていた。  ひどく落ち着かないし、まわりから話しかけられてもろくな返事が出来ない。時折、離れた席にいるお篠を眺め、苛立たしそうに煙管《きせる》を煙草盆に叩きつけたりしている。  一座の者はそういった新兵衛の様子に気がついていたが、誰も何故かとは訊ねなかった。新兵衛の変化の理由が、夕方、この宿へお篠を訪ねて来た若い男のせいだとうすうす承知していたからである。  夕餉がすんで、一同は各々の部屋へ引揚げ、るいとお千絵は子供達と湯を浴びに行った。  戻って来ると、廊下で嘉助がお篠と話をしている。るいを見て、お篠が近づいた。 「御迷惑をおかけ申しますが、私を今夜だけこちらのお部屋のすみに泊らせては頂けますまいか」  嘉助がるいの表情を見ながらつけ加えた。 「お篠さんのお頼みで、こちらの四畳半には手前と長助どんが泊らせて頂きます」  それで、勘のいいるいはおおよそを推量した。 「お千絵様、かまいませんでしょう。こちらがご一緒でも……」  源太郎とお千代を布団に寝かせていたお千絵がおっとりと笑った。 「おるい様がよろしければどうぞ……」  それを聞いてお篠は隣の部屋へ自分の荷物を取りに行った。 「あちらを訪ねてみえた弥七さんとやらいうお人も、この宿へお泊りなのですか」  るいに訊かれて、嘉助が頭を下げた。 「そのようで……まあ、辰巳屋の旦那も気になすってお出でなので……」  お篠が入って来て、るいは千春を寝かせに奥の部屋へ行った。  三つの布団に子供三人はのびのびと横たわって、すでにお千代は鼾《いびき》をかいている。  間の襖を閉めて、るいが戻って来ると、改めてお篠が両手を突いた。 「とんだことになってしまいまして……本当に申しわけございません」  源太郎の袴をたたんでいたお千絵がさりげなく訊ねた。 「不躾なことをお訊きするようですけれど、今夕、訪ねてお出でのお方とは同郷でもございますの」 「はい、私も弥七さんも常陸《ひたち》の生まれでございます」  同じ村から江戸へ出て働いている者が多かったので、それらを頼って故郷を出て来たのだといった。 「海辺育ちでございましたので、弥七さんは品川の湊で働き、それからすぐに横浜へ参りまして……私は口をきいてくれる人がございましたので辰巳屋さんへ奉公致しました」  もう十五年も昔のことになると僅かに微笑《ほほえ》んだ。 「お二人は、夫婦約束をしていらしたの」  訊きにくいことを、お千絵が持ち前の率直さで、ずばりと口に出した。 「約束と申すほどのことでは……でも、弥七さんは一人前になったら迎えに行きたいといってくれました」  顔を赤らめもせず、お篠はさらりと答えた。 「最初はあてにしていたと思います。ですが十五年も経つと……」 「文のやりとりなどは……」 「弥七さんは無筆で……なんとか文字が書けるようになって、二、三年前でしたか、達者で働いているというようなことを知らせてくれました。そのあと、何度か、時候見舞のようなのをもらっています」 「お文で、ぼつぼつ一緒に暮そうとか……」 「そんなことはまるで……今日、だしぬけなんです」 「それじゃ、びっくりなすったでしょうね」  隣の部屋に長助と嘉助が入ったようであった。 「今のところ何ということもございません。安心しておやすみ下さいまし」  と襖越しに長助が声をかけ、るいが、 「御苦労様」  と返事をした。それがきっかけになって女三人もそれぞれの布団に入り、行燈の灯を消した。      三  翌日、辰の刻(午前八時)に布袋屋を発った一行は成田街道を大和田、臼井、佐倉、酒々井《しすい》、中川を通って成田山新勝寺へ着いた。  出発する時、一行が気にしたのは、宿の入口に旅姿の弥七が立っていてこちらを見送ったことであったが、長助がお篠から聞いたところでは、 「あちらさんは江戸へお戻りなさるんだそうでして……お篠さんは返事を少々、考えさせてくれといいなすったとか」  というもので、そのお篠はうつむき加減に女達の中に入って歩き続け、殆ど口をきかなかった。  思案に暮れているのだろうとるいは推量していた。  幼なじみで好き合った仲にせよ、はなればなれに暮して十五年の歳月が経っている。  お篠と弥七は同い年だというから、どちらも今年は三十歳の筈で、男の気持はどうでも、お篠にしてみれば十五で好きになった気持が三十になった今と全く同じといえるかどうか。  辰巳屋に奉公しての十五年の間には、人にはいえない苦労もあったろうし、人の裏表も知ったに違いない。それでなくとも女の三十というのは、とかく思うことが多いものでもある。  そのあたりはお千絵にもわかっていることで、彼女も決して話しかけたりせず、子供達の相手をしながら、街道沿いの田に白鷺が下りているのをるいに教えたりして、もっぱら旅を楽しんで来た。  成田山新勝寺は流石に大本山らしく堂塔伽藍は壮麗で宿坊の数も多い。  この寺の草創は天慶二年の昔、平将門《たいらのまさかど》の乱を鎮めるために、寛朝上人が京都高雄の神護寺の不動明王を、関東に勧請したと伝えられ、最初は下総の公津ヶ原、次に成田古薬師を経て、元禄年間に漸くこの地に落ち着いた。  なんといっても関東随一の霊場であり、本尊の不動明王は空海作とのことで熱心な信者が多い。  楓月は寺に頼んで両親の供養のため護摩《ごま》をたいてもらい、一行は神妙に仏前に頭を垂れた。  その夜は男女分れて宿坊に泊り、翌日は坊さんの案内で境内の堂塔建物を巡拝し、別れを告げて夕刻、再び、船橋の布袋屋まで戻って来た。  新兵衛が折入って皆様にお願いが、といい出したのは布袋屋へ着いてからで、 「実は以前から考えていたことでございますが、この道中、当人と話を致しまして漸く承知をしてもらいました。手前ももう四十を過ぎ、それにもかかわらず歿った女房が病身だったこともございまして、子の出来るのが遅く、一粒種の新吉はまだ四歳。ここはどうしても手前が後添えを迎えませんことにはさきゆきが心配でなりませず、それには長年、気心の知れているお篠が一番と決心致しました。つきましては、このたびの御縁で皆様にお立ち合い頂き、固めの盃を致しとう存じます。御迷惑とは思いますが、なにとぞ成田詣での仏縁と御承知下さいますまいか」  と一気呵成に申し述べた。  一同はあっけにとられたが、昨夜、新兵衛がお篠を宿坊の外へ呼び出して長いこと話し合っていたのを知っていた者もいたし、今日の道中、新兵衛とお篠が一行より遅れてどことなく睦まじく寄り添っていたのも承知している。  で、苦労人の尾張屋宗右衛門が、まず賛成し、宿の者へ命じて広間に金屏風をひき廻し、三々九度の盃事の用意を頼んだ。  旅先のことで、新郎も新婦も紋付に威儀を正してというわけには行かなかったが、雄蝶雌蝶は、 「この際、年長者がよかろう」  というので、宗右衛門と楓月がつとめ、宗次郎が良い節廻しで高砂《たかさご》の一節を謡ってしめくくった。  そういった予期せぬ出来事はあったが、行徳から江戸へ帰る船の中は新兵衛が酒と肴の用意をしてみんなにふるまい、お篠もいそいそと酌に廻ったりしているのを見て、るいは、やはり、あの人の気持はそうであったのかとひそかに胸をなで下していた。 「かわせみ」へ帰って来て、土産の披露|旁《かたがた》、その話が出て誰よりも熱心に聞いていたお吉が、 「そりゃあ、新兵衛旦那は慌てたんですよ」  と、すっぱぬいた。 「旦那にしてみたら、お篠さんは奉公人じゃありませんか。辰巳屋さんほどの店なら、いくらだっていい所から後添えさんが来ますよ。気心が知れていて都合がいいからっていそいでお篠さんを女房にする必要はありませんでしょう。まあ、暫く様子をみてというところへ突然、お篠さんの幼なじみがやって来て夫婦になろうという。鳶に油あげさらわれそうになってびっくりした。大体、殿方というのは恋敵が現われるとそれまでそんな気でもなかった相手が急に惜しくなるんです。下手な道具屋がいかさまにひっかかるのは、みんなその手にのせられるからだって、いつぞやお客様が……」 「お吉、いい加減にしなさい」  るいが制し、東吾が笑い出した。 「流石、年の功だよ。お吉のいうのも満更、あて推量じゃない。俺だって、実に旨い所へ横浜の男が現われたものだと思うよ」  黙っていた嘉助が顔を上げた。 「若先生も、左様にお考えで……」 「嘉助もお篠という女が一芝居打ったと思ったか」  嘉助が皺《しわ》だらけの手を軽く揉むようにした。 「お篠さんという人は、実にしっかりしていまして、男まさりと申しますか、そんな小細工をするようには見えないんですが……」 「しっかり者でも、女は女さ」  新兵衛はおそらくお篠に手をつけていただろうと東吾は断定した。 「内儀さんが歿って、お篠にしてみれば女番頭といわれるまでに長年、店に尽して来ているんだ。自分以外に後添えになる者はあるまいと思うのに、肝腎の新兵衛旦那はのらくらしていて埒があかない。下手をすると親類なんぞがけっこうな相手を勧めかねないとあせり出して勝負に出た」  るいがやんわりと遮った。 「すると、弥七さんというのはお篠さんに頼まれてああした芝居をしたとおっしゃいますの」 「まず、金で買われたか……」 「そんなふうには見えませんでした。隣の部屋でお篠さんと話をしているのが、襖越しに聞えたんですけれど、そりゃ実《じつ》のある話しぶりでしたし、弥七さんという人も格別、男前というのではありませんでしたけれど、生真面目そうな人で……」  嘉助もいった。 「手前は少々、弥七さんと話を致しましたんですが、どうも芝居をしているといった感じではございませんで……。ただまあ、出て来たのがあんまり壺にはまっていましてね。そこが気にはなりましたが……」  弥七の出現で、結局、お篠は首尾よく辰巳屋のお内儀になった。 「横浜の、なんという荷揚屋の手代だと……」 「相模《さがみ》屋と申して居りました」 「あるよ。たしかに、相模屋というのは聞いたことがある」  しかし、そういう店があったからといって、弥七という男が相模屋の手代であるという保証にはならない。 「どっちにしても、野暮な詮索をするまでもないだろう。辰巳屋はしっかり者の女房を迎えて、めでたしめでたしなんだから……」  その日の「かわせみ」での土産話はそこまでであった。  女にせよ、男にせよ、自分が幸せになるために少々の智恵を使ったとしても、それが公けの罪にはならない。  数日後、長助が「かわせみ」へやって来ての話では、旅先でお篠と祝言をあげたことについて辰巳屋の親類から苦情が出てはいるが、なんといっても旦那の新兵衛が決めたことではあるし、尾張屋という深川一番の材木問屋の御隠居が立会人なので、今更どうしようもないといった様子だという。 「新兵衛旦那の弟で与三郎と申しますのが、辰巳屋から暖簾を分けてもらって浅草で店を持っているんですが、そいつが、兄さんはお篠に一杯くわされたと世間に触れ廻っていまして……ですが誰も笑って相手にしません。深川っ子らしくもねえ不粋な奴だといわれるくらいでして……」  それよりも、お篠の年に似合わぬ若女房ぶりに客は目を細くしているといった。  それから十日余り。  仲間に誘われて海釣りに出た辰巳屋新兵衛の船がくつがえって船頭と客二人は近くにいた船に救助されたが、新兵衛だけは行方知れずになり、二日後、沖に停泊していた上方からの樽廻船の近くに遺体が浮んでいるのが発見されたという知らせが「かわせみ」にも届いた。 「待てよ。長助、そいつはよく調べたほうがいいぞ」  東吾が声をかけ、長助は助かった船頭はもとより、釣り仲間の二人についても念入りに調べて廻ったが、突然、もの凄い横波が来て、あっという間に船がひっくり返ったという以外に何も出て来ない。  その三人を助けたのも釣り舟で、船頭の話によると、 「こっちも、ぼつぼつ終《しま》いにしようと船のむきを変えかけていたところに、横波をくらいまして、幸い、こっちはなんとかしのぎましたんですが、ひょいとみるとむこうの船がひっくり返っていますんで……すぐに近くへ漕ぎ寄せました」  船頭と二人の客はさかさまになった船にしがみついていてなんとか助けることが出来たが辰巳屋の新兵衛の姿がなかった。 「暫くはそこらを探し廻ったんですが、日は暮れて来る、波は高くなるで、こいつはいけねえと大川へ漕ぎ戻って漁師の連中に助けを求めました」  とはいえ、天気は急に悪くなり、海が荒れ出してどうしようもなかったと船頭も手助けに行った漁師達も口をそろえていった。  新兵衛の遺骸は辰巳屋に運ばれて立派な葬式が出た。 「どうも気になるんだ」  八丁堀の組屋敷に畝源三郎を訪ねて東吾が切り出したのは、新兵衛の野辺送りが終った翌日のことである。 「東吾さんは釣り舟のひっくり返ったのにも、何か仕掛けがあったと考えているわけですか」 「あんまり平仄《ひようそく》が合いすぎやしないか」 「お篠という女が、辰巳屋を自分のものにしようと企んだのならば、ですな」  もともと辰巳屋の商売は女番頭といわれるくらいだから、お篠が一人で取りしきっていた。 「新兵衛旦那というのは典型的な料理屋の若旦那で、商売は女房まかせ、自分は釣りだの碁だの茶の湯だの、好きなこと三昧に日を送っていたようです」 「女はどうだ」 「長助が調べていますが、今のところ、妾のようなものは居ません。仲間とつき合いで吉原なんぞへ出かけるのは好きだったらしいですがね」  それにしても、殺しますかね、と源三郎が眉を寄せた。 「旦那をうまく操っておいて、辰巳屋の女主人でいるほうが、万事、都合がよくはありませんか」 「好きな男がいたら、どうだ」 「弥七ですな」 「三十になっている女だ。一日も早く惚れた男と夫婦になりたいのが本音だろう」 「しかし、早すぎますな」  亭主の始末をつけるなら、もう少し様子をみるものではないかと源三郎はいった。 「自分が疑われたら剣呑《けんのん》でしょう」 「俺も、そう思うが……女は下手をすると清姫《きよひめ》になるからな」  恋に狂うと見境がつかなくなると東吾が呟き、源三郎が決めた。 「長助を横浜へやって、弥七なる者を調べさせましょう」  お篠の背後で糸をひいているのが弥七かも知れないと東吾も源三郎も考えている。 「やっぱり、成田詣でにまで弥七が追いかけて行くというのは不自然ですよ」  三日も待てば、お篠は成田から帰って来る。 「普通なら、どこか人目につかない所へ呼び出して話をするでしょう」  幼なじみで夫婦約束のようなものがあったとしても、十五年が過ぎて、女の気持がゆらいでいるのは、文のやりとりをしていれば大方、気がつく。 「仮にそこまで気が廻らなかったにしても、万一、お篠が心変りをしているのではないかという不安ぐらいはあろう筈で、成田詣での仲間が襖一重のむこうで聞き耳を立てているような場所で俺の女房になってくれなんぞとくどくのは……まあ、東吾さんならやりかねませんが……」 「馬鹿、なんで俺がこんな話の中に出て来るんだ」  男二人がついに笑い出した。 「それにしても、お篠というのはどんな女なんだ。源さんは会ってみたのか」  十五の小娘が女中奉公に出て、女番頭といわれるまでにのし上るのは並みの女の出来ることではないだろうし、ひょっとすると男二人を手玉に取ったかも知れない女の顔をみてみたいと東吾がいい出して、 「いいでしょう。夕涼みには少し早いですが長助に横浜行を頼まねばなりませんから、深川まで出かけてみますか」  源三郎は気軽く屋敷を出た。  佐賀町の長寿庵に寄って長助を呼び出し、門前仲町の辰巳屋へ足を伸ばした。  数ある料理茶屋の中でも辰巳屋は店がまえも立派で、長助の話では繁昌も五本の指に入るという。  しかし、流石に昨日、主人の葬式を出したばかりなので店は休んでいる。 「たいした葬式でしたよ。坊さんのお経も長かったが、弔いに来た人の数が多すぎて本堂に入れねえって有様でしたから……」  長助がささやいた時、遅ればせに悔みに来た客を送りがてら女が戸口に姿を現わした。  化粧っ気のない顔に、髪も少しほつれて、やつれ切った様子だが、客に礼を述べている声はしっかりしている。客が去り、女は髪に手をやってそのまま奥へ戻って行った。 「あれが、お篠か」 「いい女だと思いましたか」 「なんだか、いきいきしているな」  やっと夫婦になった矢先、その亭主に死なれてがっかりしているという感じではない。 「たしかに、張り切っているようにも見えましたね」 「長助に横浜まで行ってもらったほうがよさそうだな」  長寿庵へ戻って源三郎が長助に子細を告げ、横浜の荷揚屋、相模屋に果して弥七は奉公しているのか、もし、船橋までお篠を追って来た弥七がいたのなら、新兵衛が海釣りに出て遭難した日、弥七はどこにいたのかなどを調べて来るように命じた。  翌日、長助は張り切って横浜へ発ち、東吾は咽喉《のど》のどこかにものがつかえたような気分で軍艦操練所へ出仕した。  四日目の夕方、畝源三郎から使が来て、東吾は八丁堀へとんで行った。  長助は疲れた顔をしていたが、表情は悪くなかった。 「相模屋と申します荷揚屋は横浜でも一、二を争う大店《おおだな》でございまして奉公人の数も多く、なかなか評判のよい店でして……」  それよりも長助が驚いたのは、相模屋の主人庄兵衛が一人娘の聟に自分の店の手代の弥七というのを決め、めでたく祝言を挙げさせたという話であった。 「横浜中の評判でございまして、どこへ行ってもその話でもちきりという按配でして、おまけにその祝言の当日ってのは、辰巳屋の新兵衛旦那が海釣りに出かけた前日でして、相模屋とつき合いがあって祝言の席に招かれたっていう横浜の商店の主人方も何人か訊ねて廻ったんですが、祝言の翌日は夫婦揃って得意先やら昵懇《じつこん》の店なんぞに礼に歩いて、夕方からは相模屋の奉公人に大盤振舞をし、弥七さんは一緒になって夜更けまで酒を酌みかわしていたそうでして……」  大層な数の証人がいる。 「これはもう直接、当人の話を聞いたほうがよかろうと思いましたんで、人に頼んで弥七さんを外に呼び出しまして話を致しました」  弥七は船橋の布袋屋で長助と会っているので、わざわざ横浜まで訪ねて来たことにびっくりしていたが長助の訊ねたことに関してはなんでも答えた。 「まず、弥七さんが船橋へ追っかけて来た件でございますが、弥七さんの話では今年になって相模屋の旦那から娘の聟にという相談があったそうで驚きもしたが、正直、嬉しかったと申しました。ただ、お篠さんのことがありますんで、相模屋の旦那には常陸《くに》を出て来た時に世話になった人が江戸にいるので、一度、その人に話をきいてもらって来たいと口実を設けてお篠さんに会いに行ったそうで……」 「それが、船橋か」 「いえ、そうじゃございませんで、お篠さんは成田詣でに発つ前夜に弥七さんと会って居りますんで……」  弥七が辰巳屋へ訪ねてお篠を呼んでもらったのだが、店では話が出来ないから後で宿のほうへ自分が行くといわれ、弥七は馬喰町の宿を教えて帰った。 「夜更けてお篠さんが宿に来たので、弥七は正直に旦那から相模屋の聟にという話があったことを打ちあけ、お篠が自分と夫婦になる気があるのなら、この話は断るつもりだと申したところ、お篠はそんないい話を断ることはない。男が主人から見込まれて聟にといってもらえるなどということは千に一つ、万に一つもある話ではないのに、それを断ってどうする気だと説教したんだそうで……」  その上で、お篠は自分も実は辰巳屋の主人から後添えにと望まれている。迷っていたのはお前のことがあったからだが、そちらもいい話があるというならもう迷わず自分も決心するといい出した。 「そこで、その、ここのあたりが女の見栄と申しますか、話がややこしくなるところなんですが、お篠さんがいうには自分は主人に幼なじみがいつか自分を迎えに来るといっている。それを思うと自分だけ玉の輿に乗るのはすまなくてといいわけして来た。それが急にむこうは駄目になりましたというのも恥かしい。ついては明日、成田詣でに出かけるのでその旅先へ追って来たという体裁にして、それを自分がきっぱり断ったふうにとりつくろってもらいたい。そうすれば自分も幸せになれるし、あんたも心おきなく相模屋の聟におさまることが出来るだろうともちかけたんだそうです」  無論、弥七は承知し、いわれた通り船橋の布袋屋まで出かけて行った。 「ですから、船橋の一件は芝居には違えねえんですが、弥七にしてみれば前の晩にお篠にいったのと同じことをくり返したようなものでして……」  東吾のために二杯目のお茶をいれていたお千絵が呟いた。 「道理で、あの夜の弥七って人は立て板に水って感じで喋っていましたよ」  東吾が落胆を顔に出した。 「そうすると、弥七は無関係か」  源三郎が嘆息した。 「少くとも、お篠をかげから操っていたということはなさそうですな」 「長助は、お篠の亭主が死んだことを弥七に話したのか」  と東吾が訊き、長助が合点した。 「黙って帰るのもなんですから、一応、申しました」  というより、自分が横浜へ弥七を訪ねて来たのはお篠の亭主が急死したのを知らせるためだととり繕ったと長助はぼんのくぼに手をやった。 「まさか、お前に新兵衛殺しの疑いがかかっているともいえませんで……」  東吾が首をすくめた。 「俺もやきが廻ったもんだな」 「あんまり出来すぎていましたからね。現に深川じゃ、新兵衛が遭難したのは、お篠が企んだんじゃないかと噂がとんでいるといいますよ」  だが、こうしてみれば新兵衛の死は単なる事故に違いない。 「世の中、奇妙な廻り合せというのはあるものですな」  源三郎に慰められて、東吾はよけいがっかりした。  そして、その月の終り、東吾が軍艦操練所の仕事を終えて築地から木挽町へ出て来ると寂々斎楓月の家から女二人が出て来るのが目に入った。  一人はるいで、もう一人はお篠であった。  るいが東吾に気づき、東吾は自分のほうから女二人に近づいた。 「こちらが楓月先生に御挨拶をしたいとおっしゃるので、お連れしたんです」  るいの言葉を受けて、お篠が顔を上げた。 「いろいろと楓月先生の御厄介になりましたが、私、辰巳屋から暇を出されましたので……」  東吾があっけにとられた。 「暇を出されただと……」  僅かの間にすっかり痩せてとがった顎をお篠が突き出すようにした。 「釣り合わぬは不縁の元っていうのは本当でございますね。玉の輿になんぞ乗るものではありませんでした」  凄いような笑いを浮べて急に背をむけ、すたすたと本願寺のほうへ歩いて行った。 「なんで、暇を出されたんだ。もう奉公人ってわけじゃあるまいに……」  突っ立ったまま東吾がいい、るいが低く答えた。 「新兵衛さんの弟が御親類方を動かして、祝言をしたからといって一カ月にもならず、自分達はなんの相談も受けていない。それでなくても嫌な噂もとんでいるとお篠さんを脅したみたいです」 「新兵衛は船がひっくり返って死んだんだ」 「お篠さん、五十両もらったそうですよ。今更、辰巳屋で働きも出来まい。どこか深川ではない所で子供相手の飴屋でもしたらどうかと辰巳屋の御親類がいったとか」 「お篠はどっちが好きだったんだ。新兵衛か、弥七か……」  るいがむきになっているような亭主を眺めて吐息を洩らした。 「殿方には女の気持はおわかりになりにくいものなんでしょうね。お篠さんがいってました。どんなにその人が好きでも、主人の娘の聟になるというような話を聞いたあとで、あんたが好きだ、お内儀さんにしてくれとは口が裂けてもいえなかった……」 「遠慮することはない。いえばいいんだ」 「いったら、弥七さんが困るってわかっていてもですか」  すっかり芽吹いた柳の糸に、るいは寂しい視線をむけた。 「長助親分がいってましたよ。横浜で弥七さんに会った時、弥七さん、もう自分はお篠さんとはかかわりがない。どうぞ、むこうが何かいって来ても打っちゃっちまっておいておくんなさいと手を合せたって……」  幸せを掴んだ男には、昔の女の気持を思いやる余裕はないのかと、るいはいいたいのだろうと東吾は考えていた。  若葉を吹く風が立ち止っている二人の間を通り抜け、東吾とるいは寄り添って遠ざかったお篠の後姿を見送った。  新兵衛の葬式の翌日、打ちしおれた姿ながら、どこかいきいきとお篠を支えていた輝きは、本願寺の脇へまがって行くお篠からは全く消えていた。 [#改ページ]   お石《いし》の縁談《えんだん》      一  深川長寿庵の亭主、長助が、珍しく「かわせみ」の暖簾《のれん》をわけて入って来るのを、嘉助は帳場格子の中から眺めた。  いつもと、どことなく様子が改まって見えるのは何故だろうと考えながら宿帳を閉じて立ち上ると、長助が、 「どうも、いいお日和《ひより》で……」  と挨拶した。  昨夜から降り続いた雨はなんとか上っているが、空は雲が重く垂れこめていて、いつまた降り出すか知れたものではない。到底、いいお日和といえる空模様ではなかった。で、 「どうしなすった。なにか心配事でも出来たのかね」  上りかまちの脇の、ちょいとした用たしの客を通す所へ座布団を持って行きながら訊いてみた。 「若先生はお帰《けえ》りになっているかね」  下駄を脱ぎ、脇に抱えていた番傘をすみにたてかけて、長助は尻っぱしょりの裾を下しながら上って来た。  番傘持参でやって来て、なにがいいお日和だと、嘉助は内心、おかしく思いながら台所へ向って手を叩くと、すぐ女中のお石が顔を出し、長助に、 「いらっしゃいまし」  と挨拶をして、茶を取りに戻って行った。 「今のは……」  と長助がその後姿を見送るようにして、 「お石ちゃんだね。久しく見ない中《うち》にきれいになったもんだ」 「長助どんよ」  つい笑ってしまって嘉助は煙草盆をひき寄せた。 「久しくってことはねえだろう。おたがい、そんなに御無沙汰をしたかね」  用のあるなしにかかわらず、長助は三日にあげず「かわせみ」へやって来る。来れば、茶菓子や時には茶碗酒なんぞを素早く運んで来るのは大方、お石の役目だから、長助が|久しくみない《ヽヽヽヽヽヽ》わけはないのだ。 「いや、その通りだが、普段はそうしげしげと顔を見やあしないもんだから……。お石ちゃんというと、ここへ奉公に来たばかりの山出しの猿公《えてこう》……」  長助が口を押え、嘉助は破顔した。  野良猫が台所を窺っていたといって跣《はだし》でとび出して行くなど序の口で、山猿そっくりだとからかった御用聞きの小僧の胸倉掴んで投げとばしたなぞという武勇伝にこと欠かず、女中頭のお吉がいくらいっても、はいという返事が出来なくて、自分で自分が情ないと大声上げて泣いていたその頃を思うと、よくもまあこんないい娘に成長したものだと、一つ家に暮している嘉助ですら感心する。 「まあ長助どんのいう通り、ここへ来たばかりの時分は、俺もどうなることかと思ったものだが、お吉さんの丹精があんなに実《みの》った子も珍しいよ」 「いくつになったかね」 「さあてと、今年十八だったか」  童顔だから、まだ十五といっても通用しそうで、化粧っ気なしの素顔がいつもいきいきとして桃の実のように愛らしい。 「今のところ、お吉さんの秘蔵っ子だね」  そのお石が茶と焼団子を運んで来た。 「どうぞ、ごゆっくり」  にこりと白い歯をみせてひっ込んだのが初々《ういうい》しかった。 「嫁にやるにゃあ、惜しいなあ」  長助が慨嘆し、嘉助は茶碗を手に取った。 「娘っ子は、そういわれている中に嫁に行くのが花だよ」 「縁談があるのかね」 「うちの御新造さんが、畝の旦那の御新造さんに、どこかよい縁談《はなし》があったらなぞといってなすったが、当人はまるっきりその気がないようでね」 「そうですかい」  長助が焼団子を食べはじめた。しきりに何か考えている。  お石がお盆に茶道具と焼団子の鉢をのせたのを持って嘉助と長助の脇を通り、客座敷のほうへ行った。  そっちから、大工仕事をしているような槌《つち》の音が聞えている。 「棟梁が来ているんだよ、梅の間の戸袋と竹の間の出窓のところがちょいとばかり具合が悪くなったんでね。たいした仕事でもないから若いのをよこしてくれといったら棟梁が自分で来てくれてね」  お石を見送っているような恰好の長助にいった。  梅の間と竹の間は「かわせみ」の建物の中では一番古い部分であった。 「あそこは、うちの御新造さんがここをお買いなすった時からの建物を、歿《なくな》った棟梁がうまいこと手を加えて見違えるようになったんだが、なにしろ、かなり年数が経っているからねえ」 「かわせみ」の建物はそもそもから堀江町の棟梁、源太が手がけていた。古い部分は手直しをし、新しい建物は墨を引くのから木材をえらぶのまで一切合財、やってくれた。  名人といわれた大工だけあって仕事は丁寧で、釘一本、無駄には打っていない。  十年ほど前にその源太が歿って、後は悴の小源太がひき受けてくれていた。若い時から小源と呼ばれ、男前はよし、気風《きつぷ》はよし、腕は父親ゆずりで、今では江戸でも名の知れた棟梁となって何人もの若い者を使っているのだが、「かわせみ」の仕事というと、どんな小さな修理でも必ず自分でやって来る。  嘉助としては、長助にその小源太の話をしたかったのだが、どうも長助は嘉助の話を上の空で聞いていたらしく、 「番頭さんは深川門前町の薪炭問屋で奥津屋というのを知っていなさるかね」  だしぬけといった感じで切り出した。  どうも今日の長助は日頃の長助らしくないと思いながら、嘉助はつくづく相手を眺めた。 「知ってるも何も、うちじゃだいぶ前から薪だの炭だのは奥津屋から買っているよ。第一、あそこを紹介したのは長助親分じゃなかったかね」 「旦那もお内儀さんもよく出来た人で、跡継ぎの仙太郎さんは今年二十五、姉さんのおよねさんは七年前に品川の同業へ嫁入りして子供が二人いなさる……」 「それが、どうかしたかね」 「お石ちゃんは奥津屋の若旦那と会ったことがあるだろうか」  嘉助が答える前に、台所へ向う入口の半暖簾のむこうからお吉の声が聞えた。 「奥津屋の仙太郎さんなら月に一度は炭だの薪だのを運んで来るから、お石だって顔ぐらいは知ってますよ。それが、いったい、なんだってんですか」  長助がわぁっと頭を抱えて逃げ腰になったところへ救いの神が現われた。 「冗談じゃねえなあ。上ったと思ったらまた降り出しやがったぜ」  たたんだ番傘の先で暖簾を分けて、東吾が袴の裾を叩きながら入って来た。      二 「いえ、実はその、昨日、奥津屋の旦那があっしの所にやって来まして、藪から棒に悴の仙太郎の嫁にお石ちゃんをもらえないものだろうかといいなさるんで、あっしも嬶《かかあ》もびっくり仰天しちまいまして……」 「かわせみ」の居間へ落ち着いて、着替えのすんだ東吾と茶の仕度をしているるいの前で長助がかしこまって話し出したのは、お石の縁談であった。 「つまり、その、若旦那の仙太郎さんがこちらへ炭だの薪だのを届けに来ている中に、お石ちゃんに惚れちまったような按配でして……」  奥津屋はけっこう大きな薪炭問屋で番頭や手代など奉公人も五人ばかりおいている。  従って、得意先の註文に応じて品物を届けるのに、若旦那自ら出て行く必要はないのだが、 「大旦那の六兵衛さんって人は、奥津屋の先代が秩父から出て来て一代で今の身上《しんしよう》を作り上げた、その苦労を忘れないようにってんで、自分も奉公人にまじって力仕事をする、悴さんにもさせるといった方針なんだそうでして、仙太郎さんは十五、六から炭の粉でまっ黒になって商売をしています」  と長助がいうように、「かわせみ」にも始終、奉公人と一緒に大八車を曳いて来ているらしい。 「俺は仙太郎の顔をみたことがないが、どんな奴だ」  東吾が心配そうに部屋のすみにひかえているお吉に訊いた。 「とりわけ男前っていうんじゃありませんけど、感じのいい人ですよ。大店の若旦那にしたら腰は低いし、ただ、どちらかというと無口でおとなしいみたいな気がします」  るいもお吉の言葉に同意を示した。 「あたしはお吉と違って、そう何度も会ったことはありませんけど……」  悪い印象は持たなかったといった。 「でも、よもや、あの人がお石を嫁にくれといってくるとは思っていませんでしたから……」  その気で観察したわけではなかった。 「男の無口は悪かないさ。その分、女房に愛敬のいい奴をもらえばいいんだ」  東吾の言葉に長助が合点した。 「たしかに、仙太郎さんは内気なほうで、大旦那やお内儀さんも、お石ちゃんのようなしっかりした娘さんならと考えていなさるそうでして……」 「お石の口から仙太郎の話が出たことはないのか」 「ございません」  がっかりしたようなお吉の返事であった。 「なんでも、あたしには話してくれている筈なんですけども……」 「むこうは惚れて商売にかこつけて通って来ているようなもんだろう。いくら内気で無口でも、そぶりにそれらしい気持が出る筈だ。お石は気がついているのかな」 「お石を呼んで参ります」  あたふたとお吉が出て行って、お石が濡れた手を拭きながら居間へやって来た。 「待てば海路の日和ありだ。お石に縁談が舞い込んだぞ」  そんないい方で、東吾は固くなっているお石の気持をやわらげようとした。 「仙太郎から恋文をもらったことはないのか」 「ねえです」  逆上してお国なまりが出た。 「俺は、そんなものはもらわねえ」 「炭俵を運びながら、俺の嫁さんになってもらえないかとくどかれなかったか」 「ねえです」  まっ赤な顔でどなったので、お吉がおろおろした。 「お石、若先生はとがめていらっしゃるんじゃないんだよ。あんたが仙太郎さんをどう思っているのか……」 「好きでも嫌いでもねえですよ。第一、そんなこと考えてもいません」  流石《さすが》に語尾に落ち着きが出た。 「俺のいい方が悪かった。実をいうと、俺もあんまり話がだしぬけだったんで調子が狂ったんだ」  膝小僧を握りしめ、うつむいているお石をいたわるように続けた。 「今日、長助が来たのは深川の奥津屋の主人、六兵衛がお前を悴の嫁にもらえないかと相談に来たのを取りついでくれたんだ。俺達はまだ奥津屋にも、悴の仙太郎についてもたいした知識があるわけじゃない。ただ、世間並みなことをいえば、お石にとってこれは悪い縁談ではないと思う。勿論、お石が仙太郎という男を最初から嫌いだというのなら、これは縁のない話として断りをいう。好きでも嫌いでもないというのなら、この際、相手をよく見、話などもしてみるように周囲がお膳立てをする。お石にとっても一生の大事なのだ。よく考えて判断をするといい。俺達も奥津屋について、仙太郎について調べられるだけのことは調べる。その上で、お石ともよく相談しよう。これはお石にとって願ってもない縁かも知れず、そうでないかも知れないのだ。じっくり考え、お石を幸せへ送り出せるものなら、俺達は喜んでお石を嫁に出す覚悟をするよ」  ふっとお石が両手で顔をおおった。指の間から涙があふれ出し、お吉が慌てて手拭を渡した。 「若先生、御新造様、ありがとう存じます。お石は本当に幸せ者でございます。お石の気持はとっくり私が聞きまして、若先生がおっしゃって下さいましたように致しますでございます。何分、よろしくお願い申します」  お吉がこれも泣きながらお石と共に頭を下げ、娘を抱えるようにして一緒に居間を出て行った。 「どうも、すっかり泣かされちまって……」  ぐすんと鼻をすすり上げて、長助が苦笑した。 「もしも、お石さんが少々、話をしてもいいてえことになりましたら、及ばずながら、あっしが使《つか》い奴《やつこ》になりまして、奥津屋に話を致します。むこうじゃ、こちら様のお許しが出ましたら、早速にも御挨拶に出向きたいと申して居りますんで……」  るいがいった。 「お石にとってありがたい話だと思います。ただ、あの子の親にも知らせねばなりませんし、お石はどちらかといえば物事を慎重に考える娘だと思います。そのあたりを長助親分、よろしくお願い申します。あちら様がお気を悪くなさいませんように……」 「承知致しました」  長助が万事受け合って帰ってから、東吾とるいは暫く雨の庭を眺めていた。  夕暮になって、また一しきり強くなった雨音にまじって、梅の間からは丹念な槌の音が響いている。      三 「かわせみ」のほうでは、お石の縁談に関して、とにかく、当人の気持を尊重して話を進めようと慌てず騒がずのかまえだったが、先方の奥津屋は連日、六兵衛夫婦が長寿庵へやって来て、お石の気持を聞いてくれたか、「かわせみ」へ挨拶に行ってもよいだろうかと気を揉んでいる。  そういった事情を長助から聞いた嘉助が、 「あんまり先方を焦《じ》らすのもどうかと思いますし、なんといってもお石のような若い娘が自分の口から仙太郎さんと話をしてみたいなんぞといい出すのを待っていたら、いつになるかわかりません。ここはまわりが或る程度、お膳立てをして、無理矢理でも機会を作ってやらねえことにはまとまるものもまとまらないような気が致します」  と東吾とるいに話をし、長助が、 「どうでございましょう。あっしとお吉さんがお石ちゃんについて行き、亀戸天神あたりで仙太郎さんと団子でも食うってことにしては……」  そう大袈裟にもならず、目立ちもするまいと智恵を出した。  お吉がお石を説得し、さんざん迷っていた当人が漸く首を縦にふって、善は急げとその日が決った。  うまい具合に長雨が上って、いささか暑いが、舟で行く分にはそう大汗もかくまいと、豊海橋《とよみばし》の傍からお吉とお石を屋根舟に乗せ、そこまで送って来たるいと嘉助が見送っていると、恥かしそうに何度もお辞儀をしているお石の表情は決して暗くはない。  髪結いに来てもらって、きれいに結い上げた結綿《ゆいわた》に、櫛かんざしはひかえめだが、それでも娘ぶりはぐんと上った。着物はつい先頃、るいが見立てて買って来た紺地に白く井桁を染め抜いた絽縮緬《ろちりめん》に朝顔の模様の帯がよく映えて、野老沢《ところざわ》から江戸へ出て来た当座の山出しの猿公ぶりはどこにも残っていない。 「幸せな、いい縁になるといいけれど……」  るいが呟き、嘉助も大きくうなずきながら大川の上に光る夏の陽に目を細めた。  長助のほうは奥津屋へ仙太郎を迎えに行き、両親から、 「くれぐれも、よろしくお頼み申します」  何度も頭を下げられて、いささか緊張気味にこちらは駕籠で亀戸天神へ向った。  あらかじめ打ち合せてあった通り、長助と仙太郎のほうが一足先に亀戸天神の境内にある茶店について一息入れているところへお吉がお石を伴って来た。  団子と茶で、長助もお吉も苦労人だからさりげなく世間話をしていると、無口な筈の仙太郎も一世一代と思うのか、不器用な話しぶりながら、子供の時に悪戯《いたずら》をして炭小屋に閉じこめられ、腹立ちまぎれに戸に体当りをしたら上から粉炭を入れた叺《かます》がころがり落ちて来て全身が粉炭まみれ、おまけにわあわあ泣いたものだから、母と姉が小屋の戸を開けてくれた時、まっ黒な炭達磨になっていた仙太郎をみて奉公人までが腹を抱えて大笑い、井戸端へ連れて行かれて頭からごしごし洗われてひどい目に遭ったなぞと打ちあけて、固くなっていたお石が笑いころげるという、くだけた雰囲気になった。  お吉は近所の梅干屋へ買い物に行くという口実で長助と茶店を出、仙太郎とお石は参詣|旁《かたがた》、境内を見物することになって、 「それじゃあ半刻(一時間)もしたら、ここへ戻って来るから」  と約束した。  で、その半刻よりも少々早めにお吉と長助が茶店へ来て茶を飲んでいると、やがて仙太郎とお石が反橋《そりばし》を渡って来た。  お石は千春の土産に社務所で鷽《うそ》という小鳥をかたどった木の玩具を求めて来て、仙太郎から天神様の鷽替えの神事の話を教えてもらったと嬉しそうにいう。  仙太郎のほうは、まだ別れたがらぬ様子であったが、陽は西へ傾き出しているし、まあ汐時《しおどき》とお吉も長助と判断して、天神様の外へ出たところで待たせておいた舟で来た時と同じようにお吉とお石は「かわせみ」へ帰って来た。  お石は早速、るいの部屋へ礼に行き、千春の土産を渡して少し話をすると女中部屋へ戻って着替えをし、いつものように働いている。 「案外、うまく行くような気が致しますです」  お吉の報告もまずまずで、翌日には奥津屋六兵衛が女房と悴を伴って「かわせみ」へ挨拶に来た。  丁寧に昨日の礼を述べ、 「手前共ではお石さんを大層、気に入って居りまして、一日も早く悴の嫁にと存じて居りますが、お石さんのお気持としてはそういうわけにも参りますまい。勝手を申すようでございますが、この夏中はこちら様の御迷惑にならぬ程度に仙太郎がお石さんに自分の家のことなど聞いて頂きたいと申して居りますし、折をみて、お石さんに手前共の店も見てもらいたいなぞと考えて居ります。その上で、もし、お石さんが同意をして下さり、こちら様や親御さんのお許しが出ましたならば、秋口にでも祝言ということに……」  おそるおそる申し出た。  るいにも別に異論はなく、夕方、帰って来た東吾も、 「それが順当だろうな」  と同意して、すぐに野老沢の親許へ知らせの文を書いた。  場合によっては、盆休みにお石が野老沢へ帰ってといった具体的な話も出る。 「かわせみ」は俄《にわ》かに慌しくなった。  もっとも、お石はとりわけ浮き浮きした様子もなく、前と同じようにお吉の片腕として働いている。 「なんですか、私どものほうが落ち着かなくなっちまって……」  とお吉がいうように、板前や女中達のほうがどことなくそわそわしている。  るいはもっぱら洗い張りと縫い物に取り組んでいた。  嫁入りに持たせてやる衣類は呉服屋と相談してあれこれ新しいものをえらんでいるが、普段着は数があったほうが便利なので、自分があまり着ない中に派手になったものをほどいて洗い張りをし、縫い直しをしておこうと考えたからで、その日も木綿物を二枚ばかり洗い張りをして、張り板を庭に並べておいた。  午《ひる》すぎになって、日ざしの位置も変って来るし、板を裏返しにする必要もあって、るいが庭へ出て行くと、小源がせっせと張り板を運んでは、陽のよく当る場所をえらんで移している。 「まあまあ、棟梁にそんなことをさせちまってすみません」  るいが声をかけると、小源は照れくさそうな笑顔をむけた。 「昔、午をすぎるとお袋が張り板を裏返しにしていたのを思い出しましてね」  お袋といっても、それは自分を育ててくれた母親のほうで、生みの母親は芸者だったから死ぬまで洗い張りなんぞはしたことがなかっただろうという。 「まあ、赤ん坊の時から一緒に暮したこともないんで、そうきめつけちまっちゃあかわいそうですが……」  小源の本当の母親は深川の芸者で、小源が生まれ落ちてすぐ父親の源太がひき取って、その女とはきっぱり手を切ったのだという話を、るいもきいていた。その芸者だった母親は小源が十五の年に歿って、当座、小源が少々、ぐれて悪い仲間とつき合ったといった過去も知らないわけではない。  名人棟梁として評判だった父親の源太が、歿る前、それまで叱言《こごと》ばかり浴びせていた息子にわざわざ酒を買いにやらせ、酒にかこつけて、うめえなあと繰り返し、暗に上手《うま》い大工になったと小源を賞《ほ》めてやってあの世へ旅立ったのだというのも知っていた。  そんな昔を思い出して、るいは小源にお茶を入れるからと居間の縁側へ誘った。  ちょうど一仕事終ったところだったとみえて、小源は素直について来た。 「うちの人が、小源さんはもう立派な棟梁なんだから、小源さんなんて呼ぶのはよくない。いっそ、お父つぁんの名を継いで源太と名乗ったらどうかといってましたよ」  お石を呼んで、小源の好物だからと午前中に買いにやらせた|豆かん《ヽヽヽ》を持って来させ、茶を入れながらるいがいうと、小源はぼんのくぼに手をやって笑った。 「冗談はいけませんや。親父が生きてたら張り倒されます」 「そんなことはありませんよ。うちの人が小源さんのひいた鉋屑《かんなくず》をみて、いい艶が出ている、親父さんそっくりだって」 「若先生にゃかないませんよ。若え時分の悪いことをみんな知られちまっているんですから……」  寒天を細かく切ったのに、茹でた豌豆《えんどう》を散らして黒蜜をかけただけの豆かんは、甘いものは苦が手の小源が唯一、喜んで食べるので、彼が仕事に来ている時は、必ず、女中に買いに行かせる。 「こちらさんに仕事に来させてもらいやすと、親父が昔、手がけたところが古くなってどうなるかがよくわかるんです。何十年か経って、木そのものの寿命が来ても、木と木がうまい具合に助け合うように工夫がしてあって、ぎりぎりまで持ちこたえる。修理する時もそこをよく見極めて仕事をすれば、まだまだ長持ちがする。昔の人は真底、木ってものを大事にしてたと思います」  ここへ仕事に来るたびに、死んだ親父から教えられることばかりだといった小源の言葉にうなずきながら、この人は父親以上の名棟梁になるに違いないとるいは思った。  夜になって、るいは東吾にその話をした。 「あいつはたいした男だよ」  子供の時から父親の仕事をみていたとはいいながら本気になって大工の修業を始めたのは二十に手が届いてからのことで、 「昔、聞いたことだが、大工の修業は鑿《のみ》で、ほぞ穴を掘る、いわゆる穴掘りから覚えて一通りの仕事を修得するだけで十年はかかるものだそうだ。あいつはそれを三年かそこらでやってのけたんだ」  まだ源太が健在だった頃、父子で「かわせみ」の仕事に来ていて、二人のひいた鉋屑をくらべてみたことがあった、と、東吾はなつかしそうにいった。 「どっちもそりゃあ見事な鉋屑だった。ただ、親父のほうがひいた木の表面になんともいえない艶があった。あれこそ名人の仕事だと驚いたがね」  るいが微笑した。 「それであなたは小源さんのひいた鉋屑を拾って来て、艶が出て来たっておっしゃったんですね」 「もう、小源太改め、源太を名乗っていいと思うよ」  若い時分から本名の小源太を略して小源と呼ばれて来た男であった。 「あいつ、いくつになったかな」 「三十は越えたでしょうね」 「女房子は出来たのか」 「まだ独りだって、お吉がいってましたけど……」 「どこかに、いいのがいるんだろうな」  腕よし、男よしの小源であった。 「この節、大工の手間賃は下職でも一日五|匁《もんめ》は取るそうだ。小源は棟梁だから、稼ぎはもっとあるだろう。所帯を持てねえわけはないんだ」  もし、いいかわした女がいるなら、俺達が口をきいて晴れて祝言という運びにしてやってもいい、と東吾がその気になって嘉助にそれとなく本人に聞いてみろと智恵をつけた。  けれども、翌日、嘉助が報告したことによると、 「いろいろと話してみましたが、どうも、そういう女は居りませんようで、まあ、たまには息抜きに遊びにも行くが、決った女はいねえと笑って居りました」  という。 「冗談じゃねえなあ。三十すぎてあんないい男が……世間の女はどこを見てやがるんだ」  東吾が憎まれ口を叩き、るいは、 「案外、片想いの女《ひと》がいるのかも知れませんよ。小源さんは純《じゆん》なところがおありだから」  考え深い顔をした。      四  奥津屋の仙太郎は遠慮がちだが商売にかこつけて、せっせと「かわせみ」へやって来た。  無論、お石の顔を見に来るのだが、あいにく夏のことで炭は減らないし、薪にしたところで一日に使う量は知れている。  なによりも、そうした仙太郎の行為をお石が喜ばない様子で、仙太郎が来ても立ち話もそこそこに台所へ戻ってしまう。  お吉が気をきかせて、裏の夕顔棚の下に縁台を運んで、仙太郎が来たらそこへ茶菓子でも持って行って話をするようにとお石にいってきかせても一向にそうしない。 「気がねをすることはないのだよ。御新造様もなるべく二人で話をしないと、おたがいがわかり合えないからとおっしゃっていなさるんだから……」  と嘉助までがいったのだが、 「遠慮でいうわけじゃありませんが、あたしがこちらに御奉公をしている身なのを承知の上で、用もないのに足しげくやって来るって神経が、どうも好きになれなくて……」  なぞといい出した。 「そいつは無理だ。むこうさんはお石に首っ丈なんだから、毎日でも顔を見たいだろう。男心ってものをわかっておやり……」  といった嘉助が、長助にだけ、 「どうもお石どんは俺達が思うほど、この縁談に乗り気じゃねえのかも知れないよ」  と洩らした。  とはいえ、仙太郎が気を悪くした様子もなく、花火見物だの、神田|牛頭天王《ごずてんのう》の祭礼だのと口実を設けてお石を誘いに来、そういう時は親も一緒で、そちら様もどうかお吉さん御同道でと挨拶があり、お吉が行かないといえばお石も断ってしまうので、やむなくお吉がついて招きに応じている。 「お石は色恋には晩熟《おくて》なほうなんですよ。仙太郎さんにそっけなくするのはきまりが悪いからだと思います」  とお吉は判断していたが、そのお石に、 「いっぺん手前どもの店をみて頂きたいので……」  と仙太郎がいいに来て、そこまでお吉がついて行くこともあるまいと一人で出してやると、夕方、帰ってくるなり、 「あたしはとても、あんな大店のお内儀さんはつとまりません。すみませんが、断って下さい」  おいおい泣き出して「かわせみ」のみんなを仰天させた。  るいが居間へ呼んで改めて事情を訊いてみたが、帰って来て最初にいった通り、とにかく奥津屋のような大店の女房に自分はふさわしくないの一点ばりであった。 「そんなことはありませんよ。ここへ来てからお石は行儀作法はもとより女として必要なことは充分すぎるほど身につけているのです。どこへ出したって恥かしくない娘だと私達は思っているのだから……」  とるいが言葉を尽しても駄目であった。 「やっぱり、仙太郎って奴が好きになれねえのかも知れないよ」  お吉がお石を連れて行ってから東吾がぽつんといい、 「奥津屋の内儀さんになるというのは、お石にとって玉の輿だが、その分、覚悟の要ることだろう。いろいろ考えて不安になっても当り前だが、相手の男を好きになれば、どんな苦労もいといはしないってのが女心ってもんじゃないか。そうなれないところをみると、仙太郎に情が湧かねえんじゃないのか」  当人が断ってくれというのを無理に嫁にやるのは剣呑《けんのん》だと考えている。 「たしかにおっしゃる通りとは思いますが、最初から惚れ合ってというのではなく、お石のように嫁に欲しいといわれて始めておつき合いするとなれば、そう急には相手を好きになれるものでもございませんでしょう。夫婦になって長い歳月の中にだんだん情が深くなるというのが普通ではありますまいか」  と、るいがいうように、多くの男女は仲人口で伴侶を決める。町方ならば、祝言の前におたがいの顔ぐらいは見ることが出来るように周囲が配慮する場合もあるが、武家方ともなると盃事が終った時が初対面というのが当り前であった。  そういう意味では、お石の縁談に「かわせみ」側が慎重になりすぎているといわれても仕方がないので、乱暴な話だが、男も女もあれこれ当人が考えない中に夫婦になってしまったほうが万事、うまく行くなぞという仲人もいる。  るいにしても、なにがなんでもお石を奥津屋に縁づけたいのでは決してないのだが、お石にとって折角の良縁をあれこれ迷って逃《のが》してしまってはという気持も強い。  世の中は一寸先が闇というが、この場合はまさにそれであった。  あと二日で水無月《みなづき》が終ろうという日の夜半に深川門前町の綿問屋から出火した。  直ちに火消しがかけつけたが、海からの風が強く、綿問屋の向う三軒両隣りが全焼した。被害に遭った一軒が奥津屋であったのだ。 「なにしろ、商売物がものですからたまりません。奥津屋へ燃え移ったとたんに火の勢いが三倍にもなりまして……」  威勢のいい鳶の連中が青ざめて語ったように、もの凄い火力で到底、近づくことが出来なかったらしい。  焼跡からは逃げ遅れた主人の六兵衛と女房のおさだの死体が出た。 「旦那様もお内儀さんも、いったんは表に逃げ出していなさったんですが、お内儀さんが若旦那の姿がみえないと家の中へ……旦那様がその後を追って行きなさって、それっきり……」  焼け落ちた梁の下敷きになって大怪我をしたものの、危いところで助け出された番頭がいい、裏から逃げ出して無事だった仙太郎の立場は少々、恰好の悪いものになった。  もっとも、夜の大火の場合、誰がどっちに逃げたかなぞというのは、全くわからないから、仙太郎を責める者はいない。  一夜にして奥津屋は灰になり、仙太郎は両親を失った。 「とんだことになりました。でも、お石ちゃんが嫁に行った後でなくて、本当にようございました」  とお吉が本音を洩らしたが、「かわせみ」では嘉助をはじめ奉公人が交替で奥津屋の焼跡の片付けに行き、東吾やるいが中心になって六兵衛夫婦の野辺送りをすませた。  それというのも、一番頼りになる筈の番頭は重傷で当分、動かせない状態だし、他の奉公人もどこか浮足立った様子で役に立たなかったからである。そしてその理由は、生き残った若旦那の仙太郎が茫然自失といった有様で、いくら周囲がはげましても一向に立ち直る気配がみえなかったせいであった。  そのために、折角、親身になって骨を折ってくれていた町の人々が、 「女子供ではあるまいし、いつまで腑抜けでいることか。あれじゃあ、とても店の建て直しは出来はしまい」  と、そっぽをむき出した。  お石が思いつめた顔で主人夫婦の居間へやって来たのは、明日が六兵衛夫婦の初七日という夜のことで、 「お願いがございます」  東吾とるいの前に両手を突いた。 「勝手を申してすみませんが、私にお暇を頂くわけには参りませんか」  という。その姿をじっとみていた東吾が、 「まず、事情を話すがいい」  肩の力を抜いて、胸にあることを洗いざらいぶちまけてしまえと、穏やかにいわれて、お石はしっかりした声で話し出した。  今日、仙太郎に話をして来たといった。 「こんな時ですから、改まって祝言の盃事をしようとは思いません。こちら様からお暇を頂き、若旦那の傍にいて力になりたいと申しました」  今、仙太郎は菩提寺に厄介になっているが、焼跡のすみに掘立て小屋でもよいから住むところを作り、二人で食べて行けるようにしたいとお石は考えている。 「当分は薪や炭を売り歩いてもしのげると思います。あたしは力がありますので……」  東吾が青ざめているお石をみつめた。 「仙太郎は、毎日、何をしている。長助の話では、焼跡の片付けにも出て来なかったそうだが……」 「あの人は、何もしていません」 「それは俺も聞いた。一日中、両親の位牌に線香を上げているだけだというが、本当なのか」  お石がうつむいた。 「若旦那は、自分のために両親が死んだと……」 「それはわかる。しかし、いくら悲しんだとて、親が生き返るわけではない」 「あたしも申しました。でも、お前に俺の気持はわからないといわれました」 「お前が暇を取って、仙太郎の力になりたいといったことに、仙太郎はなんといった」  お石の肩が小刻みに慄えた。 「来たければ来るがいい。ただ、俺はなんにも出来ないし、する気もないと……」  聞いていたるいが唇を噛み、東吾はお石から目をそらせた。見ているに忍びないほど、お石の表情がみじめであった。 「それでも、お石は行くつもりなの」  るいがたまりかねたように叫び、お石は泣くまいと体を固くした。 「他に方法がみつかりません。若旦那の御両親はあたしみたいな者を悴の嫁にと望んで下さいました。若旦那を好きになるところまでは行きませんでしたけど、旦那様もお内儀さんもそりゃあいい人で……」 「馬鹿」  東吾がどなった。 「六兵衛夫婦は歿ったんだぞ」 「でも、あの世とやらで、どんなに若旦那のことを心配なすっていなさるかと……」  とにかく、自分に出来るだけのことをしたいとお石は訴えた。 「一生けんめいになれば、若旦那もその気になってくれるかも知れません。縁あって奥津屋へ嫁入りする話があったんです。そのあたしが、なんにもしないでいるなんて、あたしには出来ません。思い上っているわけじゃありません。どうぞ、わかって下さい」  お石が部屋を出て行って、東吾とるいは顔を見合せた。るいは目を赤くしている。 「お石なら、ああ考えるだろうとは思いました。でも、みすみすお石が不幸せになるような気がして……」 「お石の力で仙太郎って奴が立ち直ってくれればいいんだがな」  不遇になった時、男にとって女の心づくしは力になると東吾はいった。 「但し、男に性根があればの話なんだ。あの男に、性根のかけらがあるのかどうか」  少くとも、お石の真心に応えられる男であってくれればよいがと呟いて、東吾はるいの表情をみた。  東吾が仙太郎を見たのは数えるほどだが、るいは遥かに多く、仙太郎に会っている。  るいから見て仙太郎はどうなのかと訊こうとして、東吾は言葉を飲み込んだ。  ひっそりと庭へ視線を向けているるいのまなざしが、なんとも暗かったからである。  奥津屋の仙太郎が、厄介になっていた寺の境内の松の枝に首をくくってぶら下っていたという知らせを長助が「かわせみ」へ持って来たのは、翌日の朝であった。  遺書は、住職にあてて、厄介になったが、両親の待っている所へ行くことにしたので、何分の供養を頼むといったようなことが走り書きにしてあったという。 「両親が喜ぶわけがねえじゃあござんせんか。一丁前の男なら、どんなに苦労しても店を昔に建て直したいと死にもの狂いになるところを……なんともはや、女々しいというか、情ねえというか……」  野辺送りは深川の同じ町内の者でやりますから、もう「かわせみ」ではお気遣い下さいませんようにと頭を下げて長助が帰ってから、るいは嘉助と相談し、とりあえず、嘉助が様子をみに行くことになった。  流石にお石はあっけにとられて口もきけなくなっている。  所詮、お石の真心の通じる相手ではなかったのだと、るいは歯ぎしりするほど口惜しかった。軍艦操練所へ出仕している東吾が知ったら、なんというかと思う。  簾戸《すど》のむこうに人影がみえて、るいはそれが今日も仕事に来ていた小源だと気がついて縁側に出た。 「奥津屋の仙太郎さんが歿ったこと、棟梁は知っていますか」  つい、思いが口に出たのだったが、小源は軽くうなずいた。 「実は昨日、寺で話をしたんです」  やはり焼け出されていた吉井屋という小間物屋の主人が、店を新規に建て直すのでと小源は相談|旁《かたがた》、寺で話をしていた。 「ちょうど、奥津屋の若旦那の所にこちらのお石ちゃんが来ていまして、聞くともなしにお石ちゃんの話が耳に入りましたんで……」 「かわせみ」から暇を取って仙太郎のために力になりたいというお石の言葉に打たれたと、小源は目をしばたたいた。 「だからというわけじゃありませんが、お石ちゃんが帰ってから、俺は仙太郎さんにもし焼跡に仮店を建てるなら、俺が仕事をすると申し出ました。金は出世払いでかまわねえ、どっちみち、当座、雨露をしのげるほどのものでよけりゃあといったんですが……」  小源が苦笑した。 「断られました。痩せても枯れても奥津屋だ。大工風情の力は借りねえと……」 「そんなことをいったんですか」 「俺も気は短いほうだから、むっとはしたんですが、ここで引き下ったんじゃあ、お石ちゃんの心意気にかなわねえと思って、別に恩に着せるつもりはねえ、親父の代からお世話になっている『かわせみ』に満更、縁のないお人ではないからと言葉を尽したんですが、自分は誰にも恩は受けたくねえ、恩を受けるくらいなら死んだほうがましだといい切りましてね」  焼跡の片付けから両親の野辺送りまで、どれほど人の厄介になっているか知れないというのに、恩を恩と思っていない仙太郎にとうとう嫌気がさして、そのまま別れて来たといった。 「死んだ者を悪くはいいたかねえが、あいつには人の心がわからねえ。お石ちゃんみてえな娘が嫁になる相手じゃねえと思いました」  るいが小さく合点した。 「あたしも、今、そう思っていたところでした」  暫くの間、お石はつらい思いをするだろうが、「かわせみ」のみんなが心を合せて、 「お石の幸せを取り戻そうと思っています」 「ありがてえ。お石ちゃんは幸せ者だ」  小源が仕事に去ってから、るいは庭へ下りた。  夕顔棚のむこうで、なんにも知らない千春がしきりにお石に話しかけている。 「まだ、ちょっと早すぎますよ。千春嬢様、もう少ししたら、きっと見事な瓢箪《ひようたん》になりますから、御辛抱なすって下さいまし」  お石の声が聞えて、るいは自分にいいきかせた。  お石に縁談は早かった。  もう少し、機が熟したら、きっと神様が本当にお石にふさわしい縁談をみつけて下さるに違いない。  その時お石のお聟さんになる人は、どんな男なのか。小源がいったように、人の心のわかる、お石が尽し甲斐のある優しい殿御であってもらいたいと思い、るいは気を取り直して夕顔棚のほうへ歩いて行った。 [#改ページ]   代々木野《よよぎの》の金魚《きんぎよ》まつり      一  神林東吾が「かわせみ」の女中のお石を伴って代々木野へ出かけたのは、かつて教えを受けた漢学の師、稲垣|内蔵介《くらのすけ》の法要のためであった。  稲垣内蔵介はかつて聖堂の儒者で、号を謙堂といい、当代、屈指の学者であったが、五十五歳の時、官を退き、代々木野に隠棲した。  もっとも、その人柄と博識を慕って始終、好学の士が訪れて居り、友人知己で代々木野まで足を運ぶ者も少くなかったのだが、謙堂自身は近隣の百姓の子供達を集めて手習や素読を教えたり、天気がよければ田畑へでて働くといった日常をこよなく楽しんでいた。  暮しむきのほうは、父祖代々からの田畑が代々木野にあって、このあたりの大百姓である秋本家に管理をゆだねているので経済的な心配はなく、その意味でも悠々自適の老後であった。  体はとりわけ頑健というほどでもなく、風邪をこじらせて大事に至ったこともあるし、晩年は胃の不調を訴えたりしていたが、日常生活にさしさわりがあるほどでもなく、今年七十の長寿を全うして大往生を遂げた。  その稲垣謙堂の四十九日の法要に出かけるに当って、東吾がお石を伴ったのは、通夜や野辺送りの際に弔問に来て、あまりに女手の少いのに気がついたからであった。  近隣の女達が何人か手伝いに来ていたものの、飯を炊いたり、煮しめを作ったりする仕事はともかく、客をもてなすのに全く馴れていない。  なにしろ、代々木野は御府外だし、弔問客の大方は江戸の中心に居住していて、はるばる出かけて来るわけで、遠路をたどりつく人々に対し、各々に応じたもてなしを手ぎわよくやってのけるなどというのは到底、無理であった。  で、四十九日の法要に出かけるに当って、るいと相談し、 「お石なら気働きもきくし、機転もある。若いから周囲がよけいな気を遣わなくてすむだろうし、それにこの夏はあいつにとってもつらい出来事があった。たまには遠出をするのもいいんじゃないか」  ということになった。  お石にとって、つらい夏と東吾がいったのは、縁談のあった深川の薪炭問屋が火事を出し、主人夫婦が焼死したあげく、お石を嫁にと望んでいた若旦那の仙太郎が首をくくってしまったことで、まあ、正直のところ、お石はこの縁談にそれほど乗り気ではなかったし、いってみれば、仙太郎がどうしてもお石を嫁にといって来たから始まった話だったので、今となってはまわりの親切を拒み続け、そのくせ、自力で不幸を乗り越えて行く気もなかった仙太郎という男に、お石を嫁がせなくてよかったというのが「かわせみ」の本心でもあるのだが、お石のようなまっすぐな気性の娘には悲しい出来事であったに違いない。  法事の手伝いとはいいながら、泊りがけで出かけるのも、少しは気分転換になると東吾やるいが考えたのは、その故であった。  なにしろ、大川端から代々木野は遠いし、なにかと準備もあろうからと、前日に東吾はお石と「かわせみ」を出て、午すぎには稲垣家へ着いた。  果して、庄之助という稲垣謙堂に心服してずっと身の廻りの世話をして来た門弟が一人で庭の草むしりをしている。 「あまりに庭がむさ苦しくみえましたので、明日の法要にお出で下さる方々に対し、申しわけなく存じましたので……」  というが、肝腎の明日の法要の段どりは何も出来ていない。 「気ばかりあせって何から手をつけてよいやら……」  と途方に暮れていたもので、東吾の来訪にほっとしている。  早速、お石をまじえて相談をしているところに、近くの福泉寺から別当職をつとめている長慶という坊さんがやって来た。  歿った稲垣謙堂とは碁敵《ごがたき》の間柄で、東吾とも面識がある。  明日の法要の打合せ旁《かたがた》、なにか手伝うことはないかと訪ねて来た老僧の背後に立っている男をみて、東吾は驚いた。 「小源じゃないか。なんだってこんな所に……」 「かわせみ」に出入りしている大工の棟梁で、つい、こないだまで家の修理に来ていた。 「実は先だっての大雨で方丈の屋根が雨洩りしましてな。たまたま、斎藤弥九郎どのがお出でになっていて、良い棟梁を世話して下されたのが小源さんでな」  早速、来てくれて屋根をめくってみると下がすっかり腐っていて、下手をすると屋根が落ちる状態だったと別当職は笑っている。 「棟梁がすっかり修理をしてくれて、この先、十年や二十年は大丈夫、おかげでいつぽっくり逝っても後顧《こうこ》の憂いなしじゃよ」 「そういえば、小源は斎藤先生の所のお出入りでしたね」  東吾にとって、剣の師である斎藤弥九郎は三番町に居住しているが、この代々木野にも隠居所と称して別邸をかまえている。  その故で、長慶とも昵懇《じつこん》のようであった。 「先だっての稲垣どのの法要の際、濡れ縁のところがひどく傷んで居った。明日、また大勢の客があってもし粗相でもあってはいかぬと思い、棟梁にみてもらおうと存じてな」  長慶の言葉に庄之助が喜んだ。 「それは、手前も気にして居りました。早速、お願い致しましょう」  小源が庄之助に案内されて奥へ行き、東吾は長慶と仏間へ行った。  庄之助は男にしてはまめなほうなので、仏間はきれいに清掃され、仏壇も磨かれている。  長慶は持参した包の中から法要に必要な仏具を取り出し、東吾が手伝っているところへ、お石が茶を運んで来た。 「遅くなりまして……」  長慶にすすめてから、東吾に、 「堀江町の棟梁がこちらに来ていなさいましたとか」  今、挨拶をしたと目を丸くしている。  小源は早速、濡れ縁の修理をはじめたらしく威勢のいい槌《つち》の音が聞えていた。  東吾は庄之助と客用の座布団を出したり、台所へ行って高い棚の上の皿小鉢を下したりしたが、すぐにすることがなくなった。  で、外廻りの掃除でもと竹帚《たけぼうき》を手にして表へ出ると、このあたりの子供だろう、幼いのが五、六人、手に紙で出来た金魚の飾りものを竹につるしたのを下げて走り廻っている。  赤と白に染め分けた切り紙細工の金魚が愛らしいので、子供の一人を呼び止めて、 「それは、なんだ」  と訊くと、子供達は見馴れない武士の姿に驚いたのか、わあっと逃げてしまった。  そこへ、大きな荷を下げたお石と小源が帰ってきた。  芋に菜や大根、それに豆腐におからに蒟蒻《こんにやく》だの、明日、客をもてなす精進料理の材料を買い出しに行って来たもので、 「お石さん一人じゃ持ち切れねえだろうとあっしも荷物持ちに……」  小源がちょいとぼんのくぼに手をやった。 「棟梁をこんなことに使っちゃあ申しわけありませんからっていったんですけど……」  お石が赤くなって弁解し、東吾はそんなことより気になっていた紙の金魚を指した。  子供達は少し離れたところで、追いかけっこをしている。 「ありゃあ、八幡様の金魚まつりで出している厄除《やくよ》けでさあ」  小源がここ数日、泊り込みで仕事に来ている福泉寺は代々木八幡宮の別当寺で、どちらも長慶が別当職をつとめているのだが、 「明日が金魚まつりってことでして……」  この近在で金魚を飼育している者が、明日は境内で金魚市を開くという。 「うちの若い連中も今日はそっちの手伝いをして居りやしてね」  小源が寺の修復のために連れて来た下職の大工達のことをいった。 「驚いたな、代々木野に金魚市が立つのか」  竹帚は小源が、 「そんなことは、あっしがやりますんで……」  と取り上げてしまったので、東吾は家へ入って長慶に金魚まつりの話を聞いた。 「いつの頃から始まったのか、手前もよくは存じませんが……」  おそらく三世住僧、長秀法師の時ではなかったかと、長慶は遠い目をした。 「代々木八幡宮と申しますのは、鎌倉時代、修禅寺で非業の最期を遂げられた源頼家公の御家来で荒井|外記《げき》智明と申されるお方が代々木野にかくれ住み、建暦二年に霊夢によって八幡大神より神鏡を授かって九月二十三日に小さな祠を建て八幡宮を勧請したのが、その最初といわれて居ります」  坊さんだけに長慶の語り口は馴れていてその分、うっかり聞いていると耳を素通りしかねない。 「源頼家公と申すと、源頼朝の嫡男ですな」  随分と古い由緒だと感心して東吾は長慶の長広舌を封じようとしたが、相手はしたたかであった。 「江戸に入りまして、正保元年と申しますから、三代将軍、大猷院《たいゆういん》様の頃でございますが伝養律師とおっしゃる方が天台門流に改められまして、それから三世に当る長秀法師の代に今の場所に移りましたので、それまで鎮座されました所を今でも元八幡と称して居ります」  台所のほうから飯の炊き上る匂いが流れて来て、東吾はどっと空腹を感じたが、坊さんは悠々たるものであった。 「長秀法師とおっしゃるお方は、紀州様の御側室、法名を延寿院様といわれるのでございますが、そちらの甥に当られまして、その御縁で社地六千坪を頂き、立派な社殿も建立されて今日に至って居ります。神林様も明日、こちら様の御法要がすみましたなら、是非御参詣にお出でなされませ」  いい具合に小源が顔を出した。 「ぼつぼつ、お帰りになりませんと、お宮さんのほうに総代衆がお集まりときいていますが……」  長慶が漸く腰を上げた。 「左様……では明日、巳の刻(午前十時)までには参りますほどに……」  小源を供に、帰って行く長慶を見送って東吾は肩を叩きながら台所へ行った。  この家も百姓家のように土間を広くとってあって、板敷の部屋には囲炉裏がある。  もっとも、この季節、囲炉裏には炭火が埋めてあって、そこに茶釜がかかっている。  その脇で、夕餉になった。  お石が炊きたての飯を仏壇にも供え、東吾と庄之助は亡師に黙祷してから箸を取った。  芋や蒟蒻の煮しめに青菜の胡麻あえ、豆腐と大根の味噌仕立てという精進の献立だが、お石が「かわせみ」の板前に習って来たというだけあって、なかなか旨い。 「お石もここへ来て一緒に食べよう。飯は賑やかに食うのが一番だ」  東吾にいわれて、お石が席につき、庄之助が金魚まつりの話をはじめた。 「亡き御老師よりうかがったことですが、赤と申す色は魔よけになるとかで、金魚の赤をそれに当てて紙細工が作られたそうです」  代々木野は古くから谷が多く、豊かな湧水に恵まれていたので、昔から鯉を飼育する者が多く、それが近年、金魚も手がけるようになったという。 「青山から赤坂、四谷、中野などの金魚売りは大方、このあたりの金魚を仕入れて行くとのことです」 「すると、明日の金魚まつりの市はかなり賑やかだろうな」 「手前も御老師のお供をして見物に行ったことがありますが、けっこうな人出でした」  風鈴の音色が聞えて来た。 「お石さんが、さっき買い物に出たついでに買って来てくれたんです。御老師もきっとお喜びになって、耳をすませていらっしゃると存じます」  庄之助がいい、東吾もうなずいた。  飯を終え、庭へ出てみると、満天の星であった。 「この分だと、明日は天気だな」  人に迷惑をかけるのを、殊の外、嫌った稲垣謙堂であった。  弔問に来る客のために、もし雨であったら、老師が心を痛められるだろうと思い、東吾は柄にもなく星空に心中で手を合せた。      二  翌日、稲垣謙堂の四十九日の法要には八十人からの友人、知己、弟子達が参会して故人を偲び、香華をたむけた。  畝源三郎と麻生宗太郎も早朝に出かけて来たといい、到着するなり、お石が遠方からの客のためにお凌《しの》ぎにと用意した握り飯をつまみ、 「おかげで、法要の途中、腹が鳴り出さずにすみます」  と喜んだくせに、法要が終ると一番に昼餉の膳につき、庄之助とお石が運んで来る精進料理を旨い旨いと平らげている。  弔問客は昼餉のもてなしを受けると各々、老師の位牌に暇《いとま》を告げて帰り、墓へ詣でる者だけが残った。  墓は稲垣謙堂が生前に福泉寺の墓地に建てて居り、昼餉をすませた人々は長慶法師を先頭にぞろぞろと福泉寺へ向った。  代々木八幡宮は小高い山一つが社地になっていて、別当寺もその中にある。  宇陀川に架る土橋を渡ると正面に石段と鳥居が見えた。  そちらが八幡宮の参道で、別当寺は横のなだらかな坂を上ったあたりにあり、本堂の背後が墓地になっている。  高台だけに見晴しはよかった。  眼下には如何にも代々木野といった風情の原が広がって居り、そのむこう遥かに青山百人町の家並が小さく見渡せる。 「これは良い所だ……稲垣先生の奥《おく》つ城処《きどころ》にふさわしい」  人々はそう話し合いながら、墓へ改めて合掌し、そこで散会になった。  畝源三郎と麻生宗太郎も江戸へ向い、東吾は、長慶と共に稲垣家へ引き返した。  仏壇にむかって、長慶が経を読む。  それで四十九日の法要はつつがなく終った。  長慶は金魚まつりの当日でもあるので、すぐに帰り、東吾は台所へ出てみた。  手伝いに来ていた近所の女達が帰って行くところで、一人一人にお石と庄之助が丁寧に頭を下げている。  台所はすっかり片付いていた。 「御苦労だったな。二人共、昼飯は食えたのか」  訊《き》いてみると、 「はい、手伝いに来て下さった方々と一緒に只今、すませました」  というお石の返事であった。  充分すぎるほど煮しめと汁も作ったので、客に出した残りを自分達も頂くことが出来ましたといったのは庄之助で、 「近所の女達が驚いていましたよ。同じ煮しめなのに、江戸の人の作るのはこんなに旨いのかと……」 「客もみんな感心していたよ。お石は料理上手だな」  東吾にいわれて、お石は赤くなった。 「教えてくれた板前さんのおかげです。それに大鍋で沢山作るとなんでもおいしく出来るものですって」  それでも大役を果して、ほっとしている。 「どっちみち、かわせみへ帰るのは今日中でいいんだ。ここまで来たついでといっては老師に申しわけないが、代々木八幡宮の金魚まつりをみて行こう」  東吾がいい、庄之助も是非と勧めた。  で、再び宇陀川のふちを通って、今度は正面の石段を上り、参道へ入った。  境内は広かった。  参道の両側に金魚屋が並び、社殿の脇の神楽殿の前では、金魚や鯉のせり市が賑やかであった。  拝殿に参詣し、社務所をのぞくと小源が若い大工とこっちを眺めて会釈をしている。 「昨日はいろいろと有難かった。おかげでいい法要が出来たよ」  近づいて東吾が礼をいい、小源は照れくさそうに小鬢《こびん》に手をやった。 「若先生は今日、お帰りで……」 「ああ、金魚まつりを見物したら、お石をつれて帰るが……小源はまだ仕事が残っているんだろう」 「へえ、もう二、三日はかかりますんで……」  今日は祭で、槌の音を立てるわけにも行かないからなんとなく社務所の手伝いをしているという。  そこへ長慶が出て来た。 「やはり、神林どのでしたな。ちょうどよい所へ来られた」  奥で直会《なおらい》がはじまっているので一杯飲んで行くようにと強く勧める。  祭の酒を断るのも不粋と思い、東吾はお石に境内の店を見物して来るようにいうと、小源の傍にいた大工の左吉というのが、 「それじゃあ、あっしが御案内申しましょう」  という。 「さあさあ、神林どの、棟梁も出ておくれ」  長慶にせかされて、小源はちらとお石のほうを気にしたが、東吾の後から奥座敷へついて来た。  十畳二部屋の間の襖を取り払って、地元の総代や世話人が祝酒を飲んでいる。  長慶が東吾を斎藤弥九郎の高弟と紹介すると、一同は喜んで迎え、早速、挨拶やら献酬やらが始まった。  小源はすでに一座の人々と顔なじみらしく席を勧められ、神妙に盃を手にしたがあまり飲まず周囲の人々の話し相手になっている。  祭半纏の若い男がかけ込んで来たのは小半刻(三十分)も過ぎたあたりであった。 「えれえことだ。棟梁んとこの若いのと、娘さんが不成者《ならずもの》に囲まれちまって……」  すぐに東吾が立ち上ったが、小源はそれより早く座敷をとび出していた。  知らせに来たのが先導して人ごみをかきわけ、かきわけ、走って行ったのは雑木林の中で、男と女が茫然と突っ立っている。  それを囲むようにして野次馬が、これも肝を潰したような顔を並べていた。 「親方……」  男がふりむいて叫び、女が、 「若先生」  と叫んだ。  左吉とお石である。左吉は鼻血を出して居り、お石も衣紋が乱れている。  その二人の足許に、大の男が四人、各々、河岸の鮪《まぐろ》よろしく派手にひっくり返っていた。      三 「お石さんと金魚の店をのぞいていましたら、すぐ近くで若い男が娘っ子の風呂敷包をひったくって逃げ出したんです」  社務所へ戻って来て、とりあえず井戸端で血まみれの顔を洗ってから、左吉が話し出した。 「お石さんが気づいて、俺が追っかけてそいつをとっつかまえ、風呂敷包を取り返して娘っ子に渡してやりました」  それからぐるりと参道を廻って雑木林の中を抜けて戻ろうとしたら、いきなり四人の男に取り囲まれた。 「さっきは、よくもやってくれたな」  みるからに柄の悪いのが懐中に手を突っ込んでいるのは、そこに匕首《あいくち》でも呑んでいるのか、まず草相撲でもやりそうな大男が左吉の胸倉を掴んだ。 「こっちも江戸っ子だ。こんな奴らにやられてたまるかってんで、とっ組み合ったんですが……」  忽ち組み敷かれたと思ったら、急に体が軽くなった。 「起き上ってみたら、お石さんがそいつの衿がみ掴んで投げとばしたところで……」  左吉が少々、慌てたのは残る三人がいっせいに匕首を抜いたからで、 「ですが、あっという間にお石さんが……あっしも一人にとびついて匕首を叩き落したんですが、その時はもう、お石さんが二人を片付けていました」  ぞろぞろと社務所までついて来た野次馬も口々にいった。 「強いのなんの、まるで岩見重太郎を女にしたみてえな娘っ子で、大の男のきき腕つかんで宙へ放り投げちまってよ」  それを聞いた世話人がいった。 「そりゃあそうだろう。こちらにいなさるのは剣の達人、斎藤弥九郎先生の一番弟子だ。そちらさんが連れて来なすった娘さんだもの、女ながら武芸百般。ろくでなしの権六なんぞ歯が立つわけがねえぞ」  投げとばされて目を廻した四人の不成者は、いずれもこのあたりの小作人の悴で、 「普段はからきし意気地のねえ怠け者なんですが、酒が入ると悪さをはじめる。それも一人じゃ何も出来ねえんで、四人がつるんで娘っ子を追っかけ廻したり、鶏を盗んで食っちまったり、とにかく鼻つまみの連中で……」  と世話人達が東吾にいいつけた。  わいわい、がやがやと大さわぎの中で東吾はぼんやり立っていたのだったが、その東吾の耳許で、こちらも気を呑まれた恰好の小源がそっと訊いた。 「お石さんは、若先生からやっとうを習っていたんで……」 「それほどのことじゃないんだがね」  お石がまだ江戸へ奉公に出てきたばかりの頃、近所の悪餓鬼どもにいじめられて危いめに遭ったことがある、と東吾は小声で話した。 「あいつは力は強いが、力だけでは身を守れないこともある。それで護身術ってほどでもないが、刃物なんぞをふり廻してかかって来たら、どう防ぐかってなことを教えてやったんだ」  けれども、実際に「かわせみ」で女中奉公をしている分には、そんな危険な事に出会いはしないし、教えた東吾自身もとっくに忘れていた。  少くとも、大の男を四人、立ち上れないほどにやっつけたお石を見るまでは、よもや、お石にそんな技量があるとは考えてもみなかった。 「おそらく、お石も夢中だったと思うよ。自分がどう戦ったかなぞということは全くおぼえていない筈だ」  事実、かけつけて行った東吾にすがりついたお石は漸《ようや》く恐怖が甦って来たように青ざめて震えていたし、社務所へ戻って来る道中も小源に助けられて漸く歩いているといった感じであった。 「とにかく、ここが江戸でなくてよかったよ。若い女が武芸百般なんぞといわれたら、嫁の貰い手がなくなっちまう。どうか、棟梁も左吉も今日のことは内証にしておいてくれ」  東吾はひたすら二人に口留めをし、身じまいを直して奥から出て来たお石を伴って早々に代々木野から逃げ出した。  帰り道、お石はしょんぼりしていた。 「お見苦しい真似をしてすみません」  と東吾に小さくなってあやまるので、 「別に見苦しいことではないよ。不成者が四人でかかって来たんだ。下手をするとお前も左吉も命がなかったかも知れない。お前が無事で、俺は本当によかったと思っている」  かけつけて行った時、もし、お石の身に間違いでもあったら、俺は四人を一人残らず叩っ斬っていただろうが、それだといって、とり返しのつくことではないと東吾がいい、お石は漸く、少しばかり笑ったが、 「でも、左吉さんも棟梁もびっくりしていました。なんて凄い、鬼のような女と思ったんでしょうね」  と情なさそうな顔をする。 「驚いてはいたがね、別にお石を鬼女だと思いはしない。女だとていざとなれば自分でも思いもよらない力が出るものさ。それに、男も女も、いざという時、自分で自分の身を守れるというのは大事なことだ。うちの内儀さんだって、みかけは華奢《きやしや》だが、その気になりゃあ小太刀をふり廻して一人や二人はやっつけるだろう」 「あたしは、四人も投げとばしちまって……やっぱり、恥かしいですよ」 「相手が四人いたんだから仕様がねえさ」 「お吉さんや嘉助さんに、今日のこと、おっしゃらないで下さい」 「お石が嫌なら、俺は内儀さんにも話さないよ」 「すみません。有難うございます」  大川端へ着くまでに、そういう約束が出来ていたので、「かわせみ」へ帰って、東吾は、 「お石がよくやってくれたので、いい法要が出来た。さぞかしくたびれていると思うから、今日はゆっくり休ませてやってくれ」  と、お吉にいっただけで、るいには、 「帰りに近所の八幡様で金魚まつりというのをやっていたから、お石と参詣して来たよ」  紙細工の金魚の魔よけを土産に渡したに止《とど》めた。  だが、翌日、東吾が軍艦操練所へ出仕している留守に、代々幡村の名主がはるばる「かわせみ」へやって来た。  自分の所の小作人の悴が不埒《ふらち》を働いたことを詫びに来たもので、 「それにしても、こちらの旦那様は斎藤弥九郎先生の御高弟とのことで、お供の女子衆《おなごし》までがたいした腕前で、あっという間に男四人が地べたに這《は》いつくばった有様は、一夜あけた今日になっても、村中の語り草になって居ります」  おかげで、村の鼻つまみだった男どもも、少しは懲りて、量見を入れ直してくれるかも知れませんという挨拶に、何がなんだか分らないまま、調子を合せたるいが、名主が帰ってから、改めてお石を呼んで問いつめたので、忽ち、お石の武勇伝が明らかになってしまった。 「うちの旦那様も旦那様です。御自分がお石をつれて行きながら、そんな危い思いをさせるなんて、怪我でもあったら親御さんになんとお詫びしてよいやら……」  るいが青ざめ、嘉助は、 「それにしても、よくやりましたよ。刃物を持った男達を相手に、いくら若先生に稽古をつけて頂いたにせよ、なみの度胸ではやれることじゃございません」  舌を巻いて驚いた。  お吉は早速、近所の湯屋へお石を連れて行き、体中にあざでも作っていないかと調べて来た。 「運のいいことに、かすり傷もあざもございませんでした。ほっと致しました」  とるいに報告して胸をなで下している。  なにも知らずに帰って来た東吾は忽《たちま》ち、るいに吊し上げられた。 「あなたともあろうお方が、どうして左様な大事を黙っていらしたのですか。人様の娘さんをおあずかりしていて、私もお吉も、そんなことは知らなかったではすまないのでございますよ」  代々木野中の評判になっているとのことだから、誰がどこで話すかも知れず、 「ひょっとして、お石の縁談の障りになったら、どう遊ばすおつもりですか」  普段は色っぽい青眉が、久しぶりにきっと上って、東吾は途方に暮れた。 「どう遊ばすも、こう遊ばすも、別にお石は悪いことをしたわけじゃない。娘の荷物をかっさらって行った盗っ人を棟梁のところの左吉って奴が取り返してやった。そいつを逆怨《さかうら》みして四人でかかって来たから、やむなく投げとばした。それのどこが悪い。立派なもんじゃないか」 「左吉さんは何をしていたのですか」 「俺はみていたわけじゃねえが、あいつはあいつなりに戦ったらしいよ。但し、お石のほうが、ずっと強かったってことだろう」 「あなたがそうやって自慢そうにおっしゃるから、お石もその気になって武勇をふるうのでございます」 「いや、お石は腕自慢で戦ったわけじゃない。下手をすりゃあ、自分がお陀仏だから……」 「そんな危いところへ、どうしてお石をお伴いになりましたの」 「別に捕物につれて行ったんじゃない。祭見物の最中に……。いうなれば、犬も歩けば棒に当るって奴だよ」 「秋から木挽町の楓月先生の所へ茶道の稽古にやりますから……」 「ああ、なんとでもしてやってくれ。俺だって、悪気で護身術を教えたわけじゃねえ」 「棟梁と左吉さんに、ちゃんと口留めはして下さいましたでしょうね」 「ああ、あいつらも江戸っ子だ。第一、左吉はお石に助けられたんだぜ。自分の恥を人にべらべら喋るか」 「かわせみ」の居間は暫く夫婦の口争いが続き、女中部屋では、お吉が、 「御新造様が心配なさるのは、世の中の殿方というものは、えてして女の腕っ節の強いのを敬遠するものだからでね。そりゃあね、よく考えりゃ、女だってうちの若先生みたいに強いほうが何かと安心だと思うけど、自分より女の方が強いと、男の沽券《こけん》にかかわるとかん違いしているんだよ。だから利口な女は腕っ節が強くても猫をかぶって、さもか弱そうな顔をしているんだよ。そこんところを、あんたも心得ていないとね」  とお石に説教し、嘉助は帳場の掃除に来たところを待ちかまえていて、 「お吉さんのいうのも満更、間違いじゃないがね。どんなに力があっても、大方の男は女よりも強いもんなんだ。そこを間違えるととんだことになるから気をおつけ」  と忠告した。  それから十日ばかり経って、お石はるいの使で馬喰町の「藤屋」へ出かけた。  藤屋は江戸でも指折りの旅籠で、先代夫婦はるいの父親が定廻りの旦那の頃から昵懇で、その縁で「かわせみ」の開業の時も大変に面倒をみてくれ、息子の代になった今でも、親類のようなつき合いが続いている。  それ故、先代夫婦の祥月命日には必ずるいが供物を届けがてら香華をたむけに行っていたのだが、先方も宿屋稼業で夫婦はけっこう忙しい。るいが行けば、それなりに気を使わせることになるので、数年前からるい自身は墓参をし、店のほうにはお吉が名代《みようだい》で出かけるようにしていた。  たまたま、お吉が膝を痛めていたこともあり、その役目をお石がつとめることになったというのは表むきで、実をいうとぼつぼつ、そうした大事な用事をいいつけることで、さきざき、お石がどんな家へ嫁入りしても恥をかかないようにという配慮から始まったものである。  で、お吉はお石を髪結いに行かせ、着る物はもとより履物にも気をつけてやって、るいから渡された供物を包んだ風呂敷を抱えて出かけて行くお石を見送った。  大川端町から神田の馬喰町までは女の足ではけっこう距離があるが、健脚のお石にはなんということもなく、藤屋へ着いて、きちんと口上を述べ、主人夫婦に挨拶をし仏壇に供物を捧げて、焼香をした。 「お石さんでしょう。ちょっと見ない中に立派な娘さんになって、こうやっておるい様の名代がつとめられる。やっぱり、お仕込みがよろしいのと、あなたの心がけがいいせいでしょうねえ」  藤屋のお内儀に賞められ、るいに対して丁重な礼の言葉をことづかって、お石は無事に役目を果し、藤屋を辞した。  馬喰町を出て、お石が近くの弥兵衛町へ足を伸ばしたのは、そこの布団屋に千春の新しい掛布団が註文してあったからである。  この春の終りに、客用の布団をほどき、綿の打ち直しを頼んだ時に、この際、千春の布団も今までの子供用から大人並みの寸法のものにしようということになって、千春がお吉やお石と一緒に布団地を見に来た。その際、掛布団用にえらんだのが紫地に手毬《てまり》と兎《うさぎ》の模様のある愛らしい縮緬《ちりめん》で、それが出来上ってくるのを千春がずっと楽しみにしている。  もっとも、今は蒸し暑い夜が続いていて、その掛布団を使うのは早くても八月なかばに違いないが、それにしてもいつ頃、出来上るのか、ちょっと立ち寄って訊いてみようと考えたからである。  上総《かずさ》屋という布団屋では、無論、お石の顔をよく知って居り、番頭も手代も愛想よく出迎えてくれた。 「お嬢様の掛布団なら、もう出来上って居りますが、お届けは他のものと一緒にもう少々涼しくなってからと存じて居りました」  といわれて、お石はちょっと考えた。  今すぐ使うことはなくとも、出来上ったのを見れば千春がどんなに喜ぶだろうと思う。  真冬用の厚ぼったい掻巻《かいまき》などではなく、幼い子供のために上等の綿を薄めに入れて軽く作った布団だから見たところ、そんなに暑苦しい感じもしない。 「すみませんが、千春嬢様がそれは楽しみにしてお出でですので、それだけ先に頂いて行きたいと思いますが……」  お石の言葉に、番頭がそれでは早速、お届けにうかがいます、といったが、お石は、 「ちょうど、この近くまで来た帰りですから、あたしが背負って帰ります」  といった。  かさばるし、暑苦しいだろうからと番頭は心配したが、お石は一向に平気で、むしろ、それを持って帰った時の千春の喜ぶ顔が瞼の中に一杯になって、なにがなんでも背負って行くと、とうとう、大風呂敷に包ませてしまった。  掛布団一枚のことで、お石にとって重い荷物ではないが、風呂敷包はけっこうかさだかで、結いたての髪におめかしをしたお石がそれを背負って行く恰好を、番頭も手代も最後まで気にしていたが、当人は恥かしげもなく、嬉しそうに礼をいって上総屋を出た。  ここまで足をのばして本当によかったと、足も軽く表の通りを歩き出してから気がついた。  その道をまっすぐ行くと堀江町であった。  堀江町には、小源の家がある。  もう代々木野の福泉寺の仕事は終って江戸へ帰って来ている筈であった。  なんとなく、お石は布団を背負った恰好を小源には見られたくないと思った。  成り行きとはいいながら、金魚まつりで男四人を投げとばしたのを知っている小源であった。  女だてらに大荷物をかついでのっしのっしと歩いている姿を小源がみたら、どう思うか恥かしい気がした。  弥兵衛町を出はずれたところで、お石は道を折れた。そこは人形町通りの一つ手前で突き当りは竈河岸《へつついがし》である。  このあたりは来たことがなかったのでお石は少し迷った。  通りがかりの人に訊いてみると左へ行けば浜町河岸へ出るという。  日本橋川とは反対の方角だとは思ったものの、なにしろ堀江町を敬遠したい一心でそちらへ歩いた。  浜町河岸で再び人に訊いて掘割沿いに大川のふちへ出た。  川口橋のところで、浜町河岸を通る水路は漸く大川へ流れ落ちる。正面が中洲で、大川のこのあたりは三ツ股といい、月の名所だがお石はそんなことは知らない。  なによりも気になったのは夕暮れて来たもので、寄り道をした上に遠廻りをしているのがわかっている。  お吉がさぞ心配しているだろうと思い、お石は背中の風呂敷包をゆり上げるようにして早足で大川沿いの道を急いだ。  その道は片側が大川から分れて日本橋川へ流れ込む水路で、そのまま行くと行徳河岸へ出て、そこで箱崎橋、湊橋と渡れば南新堀町で大川端町は目の前、少くとも、お石の日頃の行動半径の中である。  けれども、行徳河岸へたどりつくまでは、ひたすら武家地で、川沿いの道は人通りがまるでない。  背後から声をかけられたのは、永久橋が行く手にみえはじめた時であった。 「お石さん、お石さんじゃねえか」  ふりむいて、お石は走って来る左吉を認めた。 「浜町河岸でみかけたんだよ。どうもお石さんらしいと思ったんで追っかけて来た」  浴衣の着流しで仕事着姿ではなかった。 「代々木野から帰ったんですか」  手拭で額の汗を拭きながら応じた。  左吉がちょっといやな笑い方をした。 「その節は世話になったね」 「いえ、あたしこそ、御迷惑をかけました」 「えらく大きな荷物じゃないか」  左吉がお石の背の荷物に手をかける様子でぐんと近づいた。 「重かったら、かわってやろう」 「いえ、いいんです」  肩を押された。お石は知らなかったがそこは紀州家の抱え地で塀が取りはずされ、その附近に材木や石などが運び込まれている。 「ちょいと、そこで荷を下しな。俺が背負って行ってやるよ」  いいながら左吉がお石を塀の奥へ誘い込んだ。お石のほうは左吉の手を避けようとしてじりじりと後ずさりした結果、左吉の思う壺にはまった。  お石の体が道からはずれて、塀の内側に入ったとたん、左吉の態度が豹変した。  いきなり強く腹を蹴られ、よろめくところを押し倒された。そこは夏草が人の背丈ほども伸びている。 「なにするんです」  もがいたが、背中に荷物があって体が動かない。遮二無二、のしかかられ、着物の裾をめくられてお石は逆上した。  何故、左吉が自分に対してこんな乱暴を働くのかがわからない。 「やめて下さい」  男の手を下腹から払いのけようとして、夢中でその手を掴んだ。体に力が湧いたのはその瞬間で、東吾から教えられた通り、相手が手をふりはなそうとするのを利用して自分の体勢をたて直した。必死で起き上り、中腰のまま、相手をはねとばした。が、うまくきまらない。左吉がつかみかかって来て、お石は逃げた。  それでも、背中の荷物を捨てる気にはなれなかった。左吉がお石の片足をすくい、ころんだ拍子に風呂敷包が背から前へ廻った。  足を上げて左吉を蹴とばし、お石は起き上った。目の前が川であった。  もっとも、道から川の水面までは距離があった。  道は川にむかって一間少々の高さの崖になっている。崖の上の川っぷちには柳の木が植えてあり、そのまわりも夏草のしげみになっていた。  左吉の手を逃れたお石は胸の前へ大きな風呂敷包をぶら下げたような恰好で柳の木へむかってよろめいた。その腰を左吉が思いきり蹴とばした。  かさばった風呂敷包にひっぱられた恰好で、お石はもんどり打って川へ落ちた。  だが、そこは舟の上であった。      四 「いやいや、わたしもこの年齢《とし》で大抵のことには驚かないが、天から娘さんが落ちて来たのには仰天しましたよ」 「かわせみ」へお石を送って来た京橋、水谷町の紙問屋、越前屋喜兵衛は上機嫌で笑った。  昨年、商売を悴にまかせ、隠居の身分になってからはもっぱら好きな釣り三昧で、今日も大川の上流で一日を過し、夕暮と共に戻って来ると、あいにく行徳河岸に大きな荷舟が入っている。  そのため、混雑を避けて永久橋の手前の岸寄りに舟を寄せ、どうせ急いで帰る必要もないので鯊《はぜ》の一匹、いや、ひょっとすると鱚《きす》がかかるかも知れないと、船頭に冗談をいいながら釣り糸を下したとたんに、上からお石が落ちて来た。  そのお石はいい具合に胸にぶら下った恰好の布団包が体をかばって怪我らしい怪我をしなかった。それに、下手に事実を話して主家の恥になってはと思ったとかで、自分があやまって岸から落ちたといったのだが、喜兵衛も船頭も上から川面を覗いた左吉の姿をしっかり見ていておよその事情を察していた。 「船頭がいうていましたが、左吉というのはあまり評判のよくない大工で、堀江町の棟梁がなんとかまともにしようと骨を折っているらしいが、どうも骨折り甲斐のない男のようですよ。大方、こちらのお女中の器量よしに目がくらんでよからぬことをしでかそうとしたに違いない。まあ、しかし、よい所に舟をもやっていてようございました。これを御縁に何分よろしゅうお願い申します」  と喜兵衛が如才なく挨拶をし、るいと、ちょうど軍艦操練所から帰って来たばかりの東吾が丁重に礼を述べた。  喜兵衛が帰ってから、東吾は改めてお石から事情を訊き、あまり、ことを荒立てるまいと考えたものの、とにかく左吉という男を捨てておくのもよくないと思い、深川の長寿庵へ行って長助に相談をした。 「人もあろうに、お石ちゃんを手ごめにしようたあ、あっしがとっつかまえて首をひっこ抜いてやりまさあ」  長助がまっ赤になって怒り、東吾はとにかく左吉がどこでどうしているか見て来て欲しいと頼んだ。  長助は早速、とび出して行き、東吾はそのまま「かわせみ」へ帰った。 「かわせみ」へ帰って来た時は口もきけないほど衝撃を受けていたお石だったが、持って帰った千春の布団が汚れもせず、濡れもせず無事だったとわかると急に元気になって、 「このお布団のせいで、お石は怖いめに遭ったのでしょう。かわいそうに……」  と千春にいわれて、 「いいえ、とんでもないことでございます。このお布団のおかげでお石は骨も折らず、腰を痛めも致しませんでした。それにしても大事なお布団を持ちながら馬鹿なめに遭ってしまって、本当に申しわけございません」  とあやまっている。  るいは、そのお石のいない所で、東吾に、 「どうして左吉は、お石に乱暴を働こうとしたのでしょう。代々木野では、お石に助けられた筈ではございませんか」  と訊いた。 「全く、ふてえ奴だとしかいいようがないがね」  としか、東吾は返事をしなかったが、代々木野でお石に恰好の悪い所をみせてしまった男が、その女を征服することでけりをつけたいとでもいうような屈折した気持は想像出来なくもない。 「お石が無事だったから胸をさすって我慢しているがね。場合によっては腕の一本へし折ってやりたいよ」  苦い顔で呟《つぶや》いた東吾だったが、翌日、畝源三郎が長助と共に小源を伴って「かわせみ」へやって来た。  昨夜から長助は小源と一緒に心当りを走り廻って左吉を探したが、どこにもその姿がないという。 「どうにも申しわけの立たねえことで。さぞお腹立ちでございましょう。どうか、あっしをぶちのめしてやっておくんなさい」  小源は地に頭をすりつけていい、東吾は苦笑した。 「棟梁にはかかわりのないことさ。第一、棟梁だって飼い犬に手を噛まれたようなものなんだ」  るいは走り寄って小源を立たせた。 「こんなことをなすっちゃあいけません。お石の身は何事もなかったんです。小源さんにあやまられたら、あたし達は困ってしまいます」  源三郎がいった。 「おそらく、左吉と申す奴、お石さんを川へ突き落した後、すぐに江戸を逃げ出したと思いますよ。落ち着いて考えたら、自分のしでかしたことの怖しさで、気が遠くなったでしょう」  お石の背後には「かわせみ」の錚々《そうそう》たる方々がひかえていると、源三郎は笑った。 「早い話が、東吾さんに出会ったら、まず顔がひんまがるほどぶんなぐられるか、腕一本ひき抜かれるか。小源に至っては腸《はらわた》が煮えくり返っているようですからね。下手をすると土手っ腹に風穴があく……」 「よせやい。つまらんことをいうなよ。あんなどぶねずみ野郎一匹のために、小源がお仕置台へ送られてどうする。それこそ、うちのかみさんやお石が大泣きしても追いつかねえぜ」  しかし、東吾は気がついていた。ここへ入って来た時、小源がいつもの小源ではなくなっていることをである。それで、くどいと思いながら、強くつけ加えた。 「棟梁、考え違えをしちゃあいけないよ。お石は無事だったんだ。あんたが腹立ちまぎれにとんでもないことをしでかすと、逆にお石が左吉にどうかされたのかと世間は悪くかんぐる。それじゃ、お石が迷惑するんだ。それとも、棟梁はお石があいつにどうかされたと思っているのか」  流石《さすが》に小源ははっとした様子であった。 「冗談じゃねえ。夢にもそんなことは考えちゃあ居りません」 「それじゃ、この件はこれでおしまいにしよう。但し、左吉の奴が江戸のどこかにかくれているか、或いは舞い戻って来たら、その時は、お上《かみ》がきちんと裁いて下さる筈だ」  一つ間違えば、殺人であった。 「そうだろう、源さん」 「無論、厳罰に処しますよ」  長助が源三郎に目くばせされて、小源をうながして帰り、お吉がお石を台所へ連れて行ってから、東吾は源三郎に訊いた。 「源さんは、小源をおどかしたのか」  自分が面倒をみていた大工が、出入り先の女中に乱暴し、川へ突き落した。棟梁としての責任を源三郎が追及したのかと思う。 「そんなことはしませんよ」  左吉は小源の弟子ではないと源三郎はいった。 「人柄が悪くて誰も相手にしない大工を、なんとか食えるようにしてやりたいと少々の仕事を手伝わせていたくらいで、棟梁に責任はありません」 「それにしちゃあ、小源の様子がおかしかったぞ」 「あいつは、お石さんが左吉に手ごめにされそこなって川へ落ちたと知ったとたんに頭に血が上っちまったんですよ」 「そりゃあ、わかるが……」 「東吾さんはわかっていないようですよ。要するに、小源はお石さんに惚れていたんです。だから、あの野郎、ぶっ殺してやると口走ったんですよ」 「なんだと……」 「長助は前から気がついていたみたいでしたよ。この前の天下祭の時、小源が長寿庵で祭の連中と酒を飲んでいた。そこへお吉さんがお石さんをつれて入って来たとたん、しどろもどろになって、一升酒飲ませたってけろりとしている奴が、あっという間に酔っぱらっちまったそうです」  るいが東吾と顔を見合せ、そっと口に出した。 「そういえば、この前、お石に縁談が起った時、もっと身近で気心の知れている人のほうがいいんじゃないかってお吉が何度も申しましたの」  女主人に訴えたお吉の心の中にあったのは小源だったのかと思う。 「小源なら、いいなあ」  東吾が、からっとした声でいった。 「それならそうと、あいつ、さっさとお石を口説きゃいいのに……」  るいが微笑と共にいった。 「お石はどうなんでしょうね。小源さんのこと……」 「その中、さりげなくお石さんの胸の内を聞いてくれませんか」  苦労人らしく源三郎が頼んだ。 「実をいうと、昨日から今日にかけて、小源の様子をみていまして、なんというか、少々、ほだされましたので……」  笑いながら源三郎が腰を上げ、東吾とるいは送りがてら「かわせみ」の外へ出た。  暑かった一日が終って、大川の上に風が出ている。 「もしかすると、この冬にはお石を家から嫁に出すことになるかも知れませんね」  るいが小さくささやき、東吾は夕空へ目を細めた。 [#改ページ]   芋嵐《いもあらし》の吹《ふ》く頃《ころ》      一  この頃、「かわせみ」のお吉は曲物《まげもの》に凝《こ》っていた。  もともとは、早立《はやだ》ちの客から、昼食までのお凌《しの》ぎに握り飯のようなものを作ってもらえないかと依頼されて梅干に胡麻をまぶしたものや焼きむすびなど季節によっては傷《いた》まないよう工夫をし、それにやや味を濃い目にした煮しめなぞを添えて弁当を作ったのだが、それが好評で、常連の客などは昼飯用にしたいなぞといって来る。  そうなると、従来の竹皮包にしたのではどうも味けないし、なにかちょっと気のきいた弁当箱があれば、煮しめの他にも少々のお菜が入れられる。で、思いついたのが曲物であった。  曲物は文字通り、薄い木板に熱を加えて曲げ、丸い容器に作るもので、古い時代から飯を携帯するのに用いられた餉笥《かれいけ》、破子《わりご》などの名でよく知られている。  作られる地方によって、ワッパとかメンパ、或いはメッパなどと呼ばれているこの素朴な弁当箱はどうだろうということになって、お吉が思いついたのは神田飯田町の曲物問屋大杉屋であった。 「かわせみ」の番頭、嘉助の一人娘お民は神田飯田町の木綿問屋、河内屋吉兵衛へ嫁入りしていて、すでに三人の子がある。  河内屋と大杉屋はほぼ筋むかいなので、るいの用事で河内屋を訪ねることのあるお吉は店先にさまざまの曲物をおいている大杉屋の前を通る度に、横目でちらちらと品物を眺めることが多かった。  お吉にとって好都合だったのは、たまたま河内屋の二番目の娘、おせんの嫁入りが決って、来月早々に祝言という運びになったので、早速、「かわせみ」から祝物が届けられることになり、お吉がその役目を仰せつかったものである。 「本当はお嬢さん、いえ御新造様が御自分でお祝に来るとおっしゃったんですけどね。例によって番頭さんが遠慮して、ああだの、こうだのいうもんですから、とりあえず今日のところはあたしが名代《みようだい》で……」  という口上で、後から呉服屋が届けに来る花嫁衣裳一式の目録に、祝金十両を添えて挨拶をしてから、お供の若い衆を先に帰して、自分はのんびりと茶の間にくつろいだのは、お民に大杉屋の評判を訊きたいためであった。  もっとも、お吉にとって河内屋は親類同然のつき合いであり、お民は妹か姪《めい》といった感じ。お民のほうもお吉を気のおけない叔母さんと思っている間柄なので、 「上のお三代の嫁入りの時も、けっこうな花嫁衣裳を頂いちまって、今でも婚家の親御さんが御近所に自慢してるくらいなんです。お父つぁんからも身分不相応だって叱られてね。それなのに、おせんにまでこんなにして下さって、本当に申しわけありません」  とお民が恐縮すれば、 「いえね、お民さんも知っての通り、あんたのお父つぁんの嘉助さんはかわせみの大黒柱の番頭さんだって若先生も御新造様もそりゃあ大事になすってお出でだもの。その番頭さんの孫娘といえば、御新造様にとって御自分の娘みたいに考えてお出でなんだよ。遠慮しないで、そのお気持を有難く頂戴しておけばいい」  と女長兵衛を気どってみせ、 「うちのお父つぁんが少しはかわせみのお役に立っているのはわかりますけど、大黒柱だなんて滅相もない。それをいうなら、お吉さんこそ、おるい様の片腕。なくてはならないお人じゃありませんか」  とお民にいわれて相好を崩した。  上等の玉露にお吉の好きな米饅頭を御馳走になって、漸く、お吉が客の註文の弁当の話から、その弁当用の曲物の件で大杉屋の品物はどうだろうかと切り出すと、 「そりゃあ曲物でしたら、大杉屋さんに間違いはありませんよ。あそこは御主人もお内儀《かみ》さんもいい人達で、うちは御近所以上のつきあいをしていますけど、品物の数も多いし、うちのお父つぁんが御奉公している大事なお家だっていえば、きっとよくしてくれると思います」  もし、お吉が帰りがけに寄ってみるなら、自分が一緒に行って話をするということになった。  結局、それがお吉の曲物狂いのきっかけになって、なにかというと、 「ちょいと、大杉屋まで行って参ります」  と、いそいそと出かけて行く。  帰ってくる時はまず手ぶらということはなくて、柄杓《ひしやく》だ湯桶《ゆとう》だ、神棚に供える御供膳《おそなえぜん》だと、あらゆる曲物の包を提げて来る。 「まあ、若先生、ちょいと見て下さいまし。この飯櫃《めしびつ》でございますけど、五升は入るそうで、それにしては軽くて使い勝手がよろしゅうございましょう。この外に、四升入り、三升入り、二升入り、一升入りと全部で五種類ございますんです」  八丁堀の道場の稽古から帰って来て一風呂浴びて団扇《うちわ》を使っている東吾の前に大中小の飯櫃を並べて講釈に余念もない。 「一口《ひとくち》に曲物と申しましても、産地がいろいろとございまして、木曾の奈良井に、東海道の大井川のずっと上流の井川《いかわ》という所で作られて居りますのは井川メッパといいますそうで、その他にもお伊勢さんの先、熊野の近くには尾鷲《おわせ》ワッパとかいうのがありまして、吉野にも、阿波にも……」  と、果てしがない。  で、東吾が辟易して、 「その飯櫃はどこのなんだ」  と訊くと、 「これは日光曲物でございます」  と胸を張る。 「日光というと下野《しもつけ》の……日光山東照宮……」 「左様です。権現様をお祭りした日光山の日光で……大杉屋の今の御主人も、もともとはそちらの生まれだそうでして……」  大杉屋というのは、今の当主で三代目だが、初代は宇都宮生まれで、大杉屋の本店は今でも宇都宮にあり一族の者が必ず大番頭をつとめているのだとお吉は得意気に話した。 「そうすると、今の大杉屋の主人……」 「弥兵衛さんとおっしゃいます」 「そうか。その弥兵衛は養子なんだな」 「最初は御養子さんというわけじゃなかったそうでございます。つまり、宇都宮のお店に奉公していて、しばしば日光曲物を江戸へ運ぶ宰領をして飯田町のお店へやって来る中に御主人に目をかけられて、娘さんのお聟さんになりまして……」  たまりかねて、るいが口をはさんだ。 「だったら、御養子さんじゃないの」 「その時分は、娘さん、おくらさんというんですが、弟さんがいて、その弥一さんって方が跡取りだったんです。ですから、弥兵衛さん夫婦は宇都宮のお店をまかせられることになって、暫くあちらに行ってなさった。ところが跡取りの弥一さんが内証で相場に手を出して失敗し、あげくに身をもち崩してまだ若いのに卒中をおこして歿《なくな》りまして、それで、弥兵衛さん夫婦が江戸の店を継いだんだそうでございます」  台所から女中のお石が呼びに来て、漸くお吉が出て行ってから、東吾とるいは顔を見合せた。 「本当にお吉と来たら、いい年をして鉄棒曳《かなぼうひ》きで……」 「昔から源さんが冗談半分にいっていたよ。お吉が男だったら、さぞかし有能なお手先になっただろうとね。たった四、五回、大杉屋通いをしただけで、よく、あれだけ店の内情を聞き出して来るものだ」 「板前さんが困っているんですよ。たかがお弁当用なのに、素地《きじ》のものがさっぱりしていていいというかと思うと、やっぱり塗りのかかっているほうが上品にみえるといい出したり、奈良井のワッパにするといっていたかと思うと、大杉屋はもともと日光曲物の老舗でしたから、日光のメンパに決めようかって、毎日、くるくる考えが変るんですって。大杉屋さんだって御迷惑だと思いますよ。あっちがいいの、こっちにしようのと……」 「まあ、先方は商売だからな。お吉の気のすむようにやらせたらいいよ」 「貴方は本当に、お吉に甘いから……」  終りはいつもの夫婦のやりとりになって、その翌日、江戸は八朔《はつさく》を迎えた。      二  八朔、八月一日は江戸の人々にとって徳川初代将軍家康の関東御打入りの祝日であった。  天正十八年のこの日、家康が江戸に入ったのを記念して、江戸城内では白帷子《しろかたびら》を着用した大名諸侯が総登城して将軍に賀詞を述べる。  その八朔が終って、この年の江戸は急に秋が深くなった。  性こりもなく飯田町へ出かけて行ったお吉が、いつもより帰りが遅いのをるいは針仕事をしながら気にしていた。  宿屋稼業の忙しくなる時刻になっている。  もっとも、この節はお石がなんでも心得ていて、お吉が留守にしていても困ることは何もないのだが、そういってはお吉の沽券《こけん》にかかわるし、なによりも当人ががっかりするだろう、早く帰ってくればよいのにと、るいが耳をすませていると、台所のほうでお吉の声がし、続いて、ばたばたと廊下を居間へやって来る足音がした。 「どうも遅くなりまして申しわけございません」  神妙に詫びたと思うと、 「大杉屋さんの悴さんが日光から出て来たんです」  好奇心丸出しの顔でいう。  るいが無視したのも、どこ吹く風で、 「今日、宇都宮のお店から日光曲物の荷が着いたんですけど、その宰領をしがてら、はじめて江戸へ出て来たんですと……それで、お店は、ひっくり返ったような騒ぎになりまして……」  つい、るいはひっかかった。  この古い忠義者は主人の気を惹《ひ》く方法を、ちゃんと心得ている。 「悴さんが出て来たぐらいで、どうして大騒ぎになるの」 「ですから、その人、はじめて江戸入りしたんです」 「宇都宮のお店をまかせられていたんじゃないの」 「いえ。弥吉さんはまだ十八歳で、ずっと日光の奥の栗山村とかいうところに、弥兵衛さんの御両親と暮していたんです」  とうとう、るいは針を抜いて糸止めをした。  このまま、お吉の話を聞きながら仕事を続けていると、縫わなくてよいところまで縫いつけてしまう危険がある。 「どうせ話すなら、もう少し、わかりやすく話せないの」  その一言で、お吉はずいと膝を進めた。 「弥兵衛さん夫婦が祝言してすぐに宇都宮の店をまかせられたことはお話ししてますよね」  弥兵衛の実家は日光の北、栗山村だから、宇都宮はそれほど遠くない。 「ですから、弥兵衛さんの御両親はとても喜んだそうです」 「何をしてなさるの。弥兵衛さんの親御さんは……」 「お父つぁんは腕のいい曲物師だそうです。その他に畑も少々、持っているとか」 「悴さんは曲物師にならず、宇都宮の大杉屋さんに奉公したのね」 「左様でございます。そのおかげで大杉屋の御主人にまで出世したわけで……」 「宇都宮のお店にはどのくらい居なすったの」 「弥吉さんが八つってことですから、ちょうど八年です。でも、お内儀さんだけはむこうへ行って三年目に田舎暮しがいやになったとかで江戸へ帰っちまったそうで……」 「なんですって……」 「その時から弥吉さんは祖父《じい》さん、祖母《ばあ》さんの所で育ったらしいです」  流石《さすが》にるいはあっけにとられた。 「でも……その時、弥吉さんは三つかそこらでしょう。江戸へ帰るなら、弥吉さんも一緒に……」  大杉屋のおくらが亭主を宇都宮へおいたまま、単身、帰った江戸の家はおくらの実家《さと》であった。別に幼児を伴って行って困るところではない。 「第一、おくらさんの両親はなんだって娘さんを叱って宇都宮へ戻れといいなさらなかったのかしら。いくら娘に甘いといっても、それじゃお聟さんに義理が立ちませんよ」 「そこんところのことは、河内屋のお民さんの話によると、おくらさんが体を悪くして、それを親御さんが宇都宮へ知らせてやったら、弥兵衛さんがゆっくり江戸で養生させてくれといって来たので……でもまあ、要するに親が娘の我儘《わがまま》に負けちまったってことじゃございませんか」  世間にはよくある話だとお吉は達観したようなことをいう。 「それなら、弥兵衛さんを江戸の店へ戻すとか……」 「宇都宮のお店が左前になっていたんだそうでございますよ。本来なら、むこうが本店なのに、すっかり江戸にお株を取られて……」  日光曲物だけで商売をしている宇都宮店が、諸方の曲物を扱う江戸店に及ぶわけがなく、品物の売れ行きにしても、江戸と宇都宮では桁《けた》が違った。  おまけに、働きのある奉公人は抜擢されて江戸店へ廻されるから、取り残された者はいよいよ、やる気を失ってしまう。  そうした状態の中で、弥兵衛は宇都宮店をまかせられたのだと、お吉は急に弥兵衛に肩入れした口調になった。 「弥兵衛さんは宇都宮のお店の人に、大杉屋の本来は日光曲物なんだ。関東随一の曲物は日光でこそ作られるので、大杉屋の看板は日光曲物で、木曾でもなけりゃ、伊勢でもないってはげましたんだそうです。日光曲物の一番上等なものを仕入れて、江戸店にも送るけれども、自分達で昔ながらに近在の町へ売りに出るようにして、みるみる中に宇都宮店を立て直したそうです」  そこで、お吉は手拭を出して目のすみを拭いた。 「考えてみると、弥兵衛さんっていうのは、気の毒な人ですよ。宇都宮店が昔以上に繁昌するようになったら、今度はお内儀さんの弟が江戸店を駄目にして、大旦那から呼び戻されて結局、五年がかりで元に戻したっていうんですから、随分、苦労をしたと思います」 「弥兵衛さんが江戸へ戻る時、どうして、弥吉さんを伴って行かなかったんです」  母親は江戸、そして父親も江戸へ戻るのであった。一人息子が祖父母の所へ残される理由はない。 「そこんところはよくわかりませんけど……」  お吉が口ごもった時、帳場のほうからお石が知らせに来た。 「旦那様のお帰りでございます」 「おやまあ大変」  お吉があたふたと立って行き、るいも鏡をのぞいてから、素早く暖簾を分けて迎えに出た。  帳場にいたらしい千春が母親の真似をして、 「お帰りなさいませ」  と三ツ指をついている。だが、その千春がびっくりしたのは、父親の背後から水びたしの老人を背にした若者がついて来たことで、 「只今、戻った」  と千春に返事をするのも慌しく、東吾は嘉助とお吉に、 「どこか、あいた部屋はあるか」  と聞き、 「足をふみすべらして川へ落ちたんだ」  と、後の老人の説明をした。 「いい具合に、この若いのがすぐとび込んで助けてね」  と東吾がいった若者は頭からぐっしょりだし、東吾自身も手助けしたらしく、胸のあたりから袖にかけて濡れている。  こういうことに馴れている「かわせみ」なので、すぐに老人を楓《かえで》の間に運び込み、若い衆が医者を呼びに行き、お吉が老人の濡れた着物を脱がせ、あり合せの浴衣を着せる一方、お石が若者を風呂場へ連れて行った。  東吾も居間で早速、着替えにかかる。 「いったい、どこであのお年寄を……」  甲斐甲斐しく世話を焼きながら、るいが訊き、東吾が苦笑した。 「鉄砲洲稲荷の右っ側に空地があるだろう。大川へ向って石垣が築いてあって、そこんところの水辺はよく佃島の漁師なんぞが舟をもやっているが、今日はなんにもなかった」  軍艦操練所の帰途、大川沿いの道を東吾が来かかると、その空地に老人が一人、海を眺めるといった恰好で立っているのが目に入った。 「石垣のぎりぎりの所まで出ているので、ちょいと危いなと思ったとたんに、老人の体がみえなくなった。落ちたと思って走って行くと、ちょうど鉄砲洲稲荷の裏の鳥居を出て来た奴が、やっぱり落ちるのをみたんだろう、かけ出して来て、俺の場所よりむこうのほうが近い。いきなりとび込んだんで俺のほうは石垣のふちの石段を下りて行ってみると、そいつが老人の体を抱えるようにして泳ぎついたんだ。で、手助けしてね」  嘉助が来た。 「宗太郎先生がみえました」  たまたま、若い衆が豊海橋のところで行き合ったという。 「そいつはよかった」  楓の間へ行ってみると、宗太郎は手ぎわよく老人を診ていたが、ついていたお吉に何かいいつけて、自分は廊下へ出て来た。 「全く、よく厄介を拾って来る人ですね」  東吾をみて、くすっと笑い、 「落ちた時、川っぷちの棒杭かなんぞで腹を強く打って、そのせいか、殆ど水を飲んでいません。それに当人も少々、水練のたしなみがあったと思いますよ」  という。 「そうだろう。助けられて岸へ向って来る様子からして、俺もそう感じた」  泳ぎの心得のない者はあばれて助けに来た者にしがみつき、下手をすると二人共、溺れる危険がある。  そこへお吉が来た。 「あちら、深川門前町の清水屋さんの御隠居さんだそうです。店へ使をやってくれとおっしゃるので、ちょいと若い衆に声をかけて来ます」  宗太郎がうなずいてから訊いた。 「薬は飲みましたか」 「ええ、なんだか気分が悪いって……」 「そりゃそうですよ。たいして飲まなかったといったって、大川の水を腹一杯は飲んでいるんですからね」  それじゃこれから患家へ行く途中なのでと挨拶して、宗太郎は「かわせみ」を出て行った。  部屋へ戻って千春の人形遊びを眺めていると、客へ挨拶をして来たというるいが入って来た。 「楓の間、のぞいて来ましたけど、よく眠っていらっしゃいました」  東吾は首をすくめた。 「宗太郎に怒られたよ。よく、つまらんものを拾って来るとさ」 「でも、人助けですもの」  笑ってそそくさと台所へ行く。客が次々と到着する時刻であった。  東吾はちょっと考えていて、 「そうだ。あいつに訊いてみよう」  独り言のように呟いて帳場へ出て行った。  嘉助は宿帳を持って客間のほうから戻って来たところだったが、東吾をみるとすぐにいった。 「先程の若い人ですが、宇都宮の弥吉さんとおっしゃる方でして……」 「宇都宮から出て来たのか」 「只今は飯田町に滞在しているとのことで……」 「どこにいる」 「それが、帰りました」 「なんだ、帰ったのか」  おそらく濡れた衣服が乾くまで「かわせみ」にいるだろうと思い込んでいた。 「手前も、濡れた着物で帰らずともと申しましたのですが、歩いている中に乾くし、それに両親が心配するからと……」 「あいつ、飯田町からこんな所までなんの用で来たのだ」 「鉄砲洲稲荷へ註文を受けていた折敷《おしき》を届けに来たそうで……」  折敷とは隅切盆《すみきりぼん》ともいい、食器、或いは食膳として用いられるが、神社では神饌《しんせん》を盛る祭具として白木のものが使われている。 「いろいろ、訊いてみますと、この節、お吉さんが凝っている大杉屋と申します曲物問屋の悴さんのようで、それなら、あちらの御隠居さんが礼などなさりたいとおっしゃられた時、どこそこの誰と教えることが出来ますので、無理止めせず、お帰し申しました」  嘉助の配慮に東吾は合点した。 「旦那様は、なにか、あの者に……」 「いや、少々、訊いてみようかと思ったんだが、たいしたことではないんだ」 「かわせみ」の暖簾口に人影がさした。  長助と、如何にも商家の番頭といった男が慌しく入って来る。 「清水屋の御隠居が川へ落ちたってことでして……若先生がお助け下さいましたとか」 「いや、俺は通りかかっただけなんだが」  蒼ざめている番頭へいった。 「本所の名医が診てくれて、命に別状はないとのことだ。薬も飲んだし、脾腹《ひばら》に出来た痣《あざ》の手当もしてもらっている。楓の間だから行ってやるといい」  心得て、嘉助が案内に立ち、番頭は東吾に深く頭を下げて、その後について行った。 「あの隠居、身内はいないのか」  残っていた長助に東吾が訊ね、長助がぼんのくぼに手をやった。 「申しわけございません。あいにく、旦那は寄合があって浅草のほうへ出かけているそうで、お内儀さんは町内のつきあいで堺町へ……」  つまり、芝居見物である。 「清水屋というのは確か茶問屋だったな」 「へえ、深川じゃ老舗で……」 「跡継ぎは実子か」 「へえ、金右衛門さんの長男でして……」 「いつ、家督をゆずったんだ」 「一昨年の夏、金右衛門さんが大病をして、その後だったと思いますが……」 「金右衛門の女房は……」 「今年が七回忌だと聞いています」  ふっと黙り込んだ東吾に長助が声をひそめた。 「若先生、なにか御不審でも……」  僅かばかりためらって、東吾も低声になった。 「長助だからいうんだがな、俺は鉄砲洲稲荷へさしかかった所で、なんとなく大川のほうを見たんだ。あそこからは佃島がよく見えるし、幕府の軍艦が沖合いに停泊することもある」 「へえ」 「金右衛門は俺が見た時、川っぷちの石垣の上に立って海のほうをむいていた。が、海のほうにはこれといって珍しい船も上方から来る弁才船も停っていたわけじゃない。つまり、感心して思わず見とれるようなものはなんにもなかったってことさ。俺だってちょっと眺めてすぐ視線を戻した」  戻しかけて異変に気づいた。 「俺が目を逸《そ》らした一瞬に、金右衛門の姿は川っぷちから消えてたんだ」  長助が目を光らせた。 「誰かに突き落されたとおっしゃるんで……」 「いや、あの空地には金右衛門の外には誰もいなかった」 「するてえと……いったい……」 「隠居が自分から死のうとする動機はないだろうな」 「滅相な……若先生の前ですが、あれほど幸せを絵に描いたようなお人はありゃあしません」  跡継ぎは商売熱心で、人柄も申し分がなく、嫁は同じ深川の菓子屋の娘だが、万事に行き届いた愛敬者で、夫婦仲もよく、孫は三人、揃って愛くるしい盛りだと長助は強調した。 「隠居所は亀戸天満宮のすぐ近くで、閑静ですが町屋も建ち並んでいて寂しいってほどでもございません」  そこに年配の女中と、その亭主で庭掃除など力仕事をするための奉公人がついている。 「たしかに、つれあいの婆さんは歿って独りですが、それも昨日今日死に別れたというのじゃございません。金右衛門さん自身、隠居するまでは商売一筋でなんの道楽もなかったが、これからは釣りだの、俳諧だの好きなことをやってのんびりと日が送れる、こんな有難いことはないと口癖のようにおっしゃっていますんで、そういうお人が自分から命を縮めようとは、どうにも考えられませんので……」  長助が口角泡をとばして、東吾は苦笑した。 「俺の考えすぎだな」  身投げをするには時刻も早いし、人通りのない場所ともいいかねた。  やがて、金右衛門が番頭と共に帳場へ出て来た。 「どうも、そそっかしいことでお手数をおかけ申し、あいすまぬことでございました。川っぷちに立って佃島を眺めて居りましたところ、急に立ちくらみのような感じになりまして……」  気がついた時は川の中だったと面目なげに頭を下げた。 「お助け下さったお若い方のことは、こちらの番頭さんからうかがいました。改めて御礼に参る所存でございます」  丁寧に何度も礼をくり返し、駕籠を呼んでもらって帰って行った。      三  翌日、東吾が軍艦操練所へ出仕した後に、金右衛門は悴夫婦と共に「かわせみ」に挨拶に来た。  るいが応対してみると、悴の金太郎も嫁のおかつもまことに感じのよい夫婦で、老父に対する心遣いも並々でないことがみてとれた。 「かわせみ」に礼に来た足で、そのまま飯田町へ行き、大杉屋へ廻るという。  礼に持って来たのは極上の玉露と、深川の芳野屋という菓子屋の、これも立派な打菓子で、るいはなんの気もなく受け取ったのであったが、三人が帰ったあとで、お吉が、 「おやまあ、御自分の店のもので間に合せたんですねえ」  と感想を述べた。  そういわれれば、清水屋は茶問屋だし、芳野屋は女房のおかつの実家に違いない。 「別にいいじゃないの。つまらないことをいいなさんな」  とるいはお吉をたしなめたが、夫婦揃ってよくも悪くも合理的な考え方をする人々だとは思った。  もっとも、るい自身は定廻り同心の家に生まれ育ち、その後は宿屋稼業をしているので、自分の家の商品を礼に持参するのがよいか悪いか判断はつきかねた。  なによりもそういったことにこだわる性格ではないので、金右衛門の件は、それきりで忘れた。  大杉屋の弥吉が「かわせみ」へやって来たのは、それから二日ばかり経ってからで、お吉が先だって日光曲物の弁当箱が入荷したらみせて欲しいといっておいたものを大きな行李に入れて背負って来た。 「この前は御挨拶もせず、勝手にお暇を申しまして、御無礼を致しました」  少々、下野なまりはあるが丁寧な言葉遣いで挨拶した。  お台所先でと遠慮するのを、るいが強引に居間へ通し、お吉を呼んで品物を開かせた。  なんともいい形の、使い勝手のよさそうな弁当用の曲物が出て来た。およそ三十個ばかり、各々に大きさも形も少しずつ変っている。 「手前共の在所ではメンパといったり、メンツと呼ぶ人も居ります。もともとは山仕事をする者が昼飯を入れて行ったと聞いていますが……」  るいが、その一つを手に取って見た。  華奢《きやしや》なようにみえて、思ったよりもしっかりしている。 「これは、何の木で作るのですか」  るいに訊かれて、弥吉は緊張した顔を上げた。 「黒檜《くろび》か白檜《しろび》です。栗山村の奥の川俣というところの人が山から伐り出して来ます」  きれいな柾目《まさめ》が通っている。 「木の質がしっかりしていて、とても丈夫なんです。俺の爺ちゃんの作ったものなんぞは十年使い込んでも、びくともしません」  ふっと言葉が幼くなった。 「あなたのお祖父さんは……」 「曲物師です。自分の親のことを自慢するようですが、日光曲物師の中では一番の腕です」 「親とおっしゃいましたけれど……」  祖父ではないかと反問したるいに弥吉は赤くなった。 「すみません。俺は祖父さん、祖母さんに育てられたんで、つい、親という癖がついていて……」  気を取り直したように、るいが手にしているメンパを眺めた。 「それも、祖父さんが作ったもので……」  なだらかな曲線で薄い木地が丸く楕円形に型作られている。 「あたしは曲物のこと、よく知りませんけれど、木の板をこんなふうに丸い形に作るのはさぞ難しいものなのでしょうね」 「薄い木地を湯に浸けて柔らかくして曲げて行くんです。いい具合の形になったら、合せ目を木鋏《きばさみ》で止めておいて、日に干しながら丁寧に型を整えて……大体、三、四日が勝負です。出来上ったら、合せ目を桜の皮で綴じて底板をはめ、生漆《きうるし》に小麦粉をまぜた麦漆で接《つな》げて、あとは塗りを三回……祖父さんのやり方はそんなふうです」  熱心に説明している声が如何にも楽しそうであった。 「あなたも、この仕事をなさっているんですか」  るいに訊かれて、恥かしそうに笑った。 「まだ、見習です。でも、祖父さんは昨年から木地の仕事を俺にまかせてくれるようになりました」 「木地の仕事と申しますと、どんな……」 「伐り出した木を作るものの寸法に合せて、丸太を切って行くんです。寸法がきまったら切り口を上にして蜜柑割り……八つに切り分けて、三角の先のとがったところを削って取り、あとはそれを半分にし、又、半分にとどんどん薄く切って行きます」  扇面の形を薄く切るわけだから丸太の外のほうがやや厚く、内側が薄くなる。  内側の薄いほうが曲物の上部、つまり口のほうの側になると、弥吉は手真似で教えた。 「これが曲物の板で、山の中の小屋で乾かしてから曲物師の所へ持って行きます。祖父さんは若い時分からこの木地師の仕事も自分でやっていたんですが、やっぱり力仕事ですし、何日も山に寝泊りして体がきついんです。それで俺が手伝うようになって……」  最初は山へ遊びに連れて行ってもらっていて、次第に仕事を見憶えた。 「俺が面白がるものだから、祖父さんも一生けんめい教えてくれて……」 「おいくつから……」 「十ぐらいだったと思います」 「あなた、今、おいくつ……」 「十八です」 「お若いのねえ」  嘆声が洩れて、弥吉は体をすくめるようにして笑顔になった。  この部屋に入って来た時の固い表情が消えて、如何にも初々しい若者がそこに居るという感じである。  お吉の持って来た茶が冷えかけているのに気づいて、るいは新しい茶をいれようとしたが、弥吉は、 「とんでもないことで……頂きます」  茶碗を押し頂くようにして旨そうに飲んだ。  裏の夕顔棚のところでお石と遊んでいた千春が居間へ来て、珍しそうにメンパを取り上げる。弁当を入れるのだとお吉に聞いて、 「千春にも一つ、下さい」  とるいにねだっている。  弥吉の持って来たメンパは全部、買うことになった。 「きっと、お客様が気に入って下さいますよ」  千春を伴《つ》れて、ちょっとした摘み草などに出かける時にも重宝しそうだと、るいはその中の一つを千春用に決めた。  千春は躍り上って喜んでいる。 「お客様はその都度《つど》、お持ち帰りになるので、また数が少くなったら頂くことになると思います。日光からの荷が入ったら、声をかけて下さいね」  帰りがけにるいが念を押し、弥吉は何度も頭を下げていそいそと帰って行った。  千春は自分用に買ってもらったメンパが気に入って早速、板前に頼んで小さな握り飯やら何やらを作って詰めてもらい、それを夕餉の時、膳に乗せて嬉しそうに食べている。  そのメンパのことから、るいは今日、弥吉が訪ねて来ての一切を東吾に話した。 「そうか、あいつが来たのか」  それしか東吾はいわなかったのだったが、夜が更けて千春が寝てしまうと、 「実は今日、帰りがけに源さんに会ってね」  と話し出した。  八丁堀の道場に寄って少々、若い者に稽古をつけてやっての帰途、畝源三郎と長助に出会った。 「この前、ここへ連れて来た清水屋の隠居のことなんだ」 「川へ落ちた金右衛門さんとおっしゃるお年寄でしょう」 「今日、綾瀬川で死んだそうだ」  一瞬、声が出なくて、るいは夫をみつめた。 「夕方、綾瀬川で流されているのを釣り人がみつけて人を呼んでね。なんとか助け上げたそうだが、駄目だった」 「川へ……落ちたってことでしょうか」 「そいつは誰も見ていた者がなくて、わからないが……二度も落ちるかね。それも一回目はつい、先だってだ。まだ何日も経ってやしない」 「でも、まさか、身投げなぞということは……」  裕福な商家の隠居で恵まれた老後を送っていることは、この前、息子夫婦が礼に来た時、よくわかった。 「長助は清水屋とつき合いもあるし、通夜にも野辺送りにも顔を出すといっていたが、あいつも途方に暮れていたよ」  自分から死ぬわけがないと強調していた長助であった。 「何か人にもいえないような理由《わけ》があったのでしょうか」  るいが小首をかしげ、東吾はそれきりその話を打ち切った。  翌日の夕方、「かわせみ」に長助が来た。  清水屋金右衛門の葬儀は盛大に催されたという。 「清水屋の旦那もお内儀さんも、隠居は綾瀬川へ釣りにでも出かけて、岸でけつまずいて川へ落ちたか、立ちくらみをおこしてこの前と同じように水へとび込んじまったか、いずれにせよ災難だと大層、悲しんでいました」  実際、綾瀬川の岸辺には金右衛門が隠居所から持って出た釣り道具一式がおいてあった。 「まあ、人に怨みを買うようなこともないし、落ちたと思われる所もよく調べて来ましたが、隠居の下駄が片方残ってまして、もう片方は岸辺の芦のしげみにひっかかってまして、地面には人と争った足跡なんぞもございませんでした」  誰かに突き落されたとも考えにくい。 「要するに、川に落ちた隠居は下駄をはいていなかったということだな」  長助を前にして東吾が念を押した。 「へえ、落ちたはずみに下駄が脱げたか、或いは下駄が何かにひっかかって、それで川へころがり落ちたとも見えるんですが……」  今日、はやばやと野辺送りが終って清水屋の人々が去ってから、長助は光明寺の住職に話を聞いたという。 「光明寺ってのは柳島村にありまして、清水屋の菩提寺でございます。金右衛門さんの隠居所からも近く、よく、金右衛門さんが訪ねて来たと坊さんがいったもんですから……」  住職の話によると、金右衛門は隠居所へ移り住むようになってから日々、元気がなくなっていたという。 「釣りも俳諧も面白くない。何をやる気もない。一日が長くて仕方がない。酒も飲みたくない、飯を食うのも面倒だ。朝起きると頭も体も重くて生きているのが厄介でならない、と、まあ、そんな調子で坊さんが何をいっても、さっぱり耳に入らなかったって聞きまして、そいつは病気じゃねえかといいましたら、坊さんも一ぺん、医者にみてもらうよう勧めたというんです。それでも金右衛門は、ただ、寂しい、寂しいと呟いているので、そんなに寂しければ門前仲町の店のほうへ行って孫の顔でもみて来たらどうかといったら、孫はみんな稽古事に忙しくて夜にならないと帰って来ねえっていったそうです。あとはもう、寂しい、寂しいと念仏を称えるように繰り返していたってえんで……」  こりゃあ、ひょっとすると身投げじゃねえかと思ったと、長助は気味悪そうに告げた。 「若先生が、この前、隠居が川へ落ちた時のことを気にしてなすったんで、つまらねえ話をお耳に入れるのもなんだとは思ったんですが……」 「そりゃあ、すまなかった。俺もあの件に関しては、ちょいとひっかかっていてね」  やっぱり、あれは身投げだったのかと東吾が呟き、長助が慨嘆した。 「どうも、あっしなんぞにはわかりませんや。なんの不自由もねえ金持の隠居が、寂しい、寂しいで死ぬ気になるなんてのは、もったいねえとしか思えませんや」 「人はそれぞれだからなあ」  表から見て幸せそうであっても、当人の心の中を吹き抜けている寂しい風は、当人にもどうしようもないものかも知れないと思い、東吾はそれを口に出さず、お石が心得て運んで来た二つの茶碗酒を長助に勧め、自分もさりげなく口にした。  翌日、東吾は軍艦操練所の帰りに足を本所へ向けた。  麻生宗太郎に清水屋金右衛門が死んだことを報告しがてら、老いた人間の心にどんな闇があるものか医者の意見を聞いてみたいと思ったからだったが、麻生家へ行ってみると、 「あいにくお揃いでお子様方をお伴いになり、番町の宗伯《そうはく》先生の誕生祝にお出かけでございます」  と用人が気の毒そうに告げた。 「たいした用じゃないんだ。その中、また出直して来る」  小名木川のふちを万年橋の近くまで戻って来ると、若い男が通行人に道を尋ねている。 「弥吉じゃないか。どこへ行くんだ」  東吾に声をかけられて、弥吉は正直に嬉しそうな表情をみせた。 「実は、清水屋の御隠居さんが歿ったということを聞きまして……」  鉄砲洲稲荷の裏の川べりで助けてから、金右衛門は二度ほど大杉屋へ来たといった。 「最初は悴さん夫婦と一緒に礼に来られて、その後、もう一度、お一人で店へお出でになって曲物を少々、お求め下さいました。その時、俺に曲物の作り方なんぞをお訊ねになったもので、俺の祖父さんの話をしたら、そりゃあ熱心に聞いてくれまして……」  話をしたのはそれきりだが、 「歿られて野辺送りはもう終ったと聞かされたんですが、せめて墓まいりでもと出て来ました」  この辺は来たことがなかったので、道がわからず困っていたという。 「そういうことなら、俺も一緒に行くよ。満更、縁のない仏さんでもないんだ」  万年橋の袂《たもと》で猪牙《ちよき》に声をかけた。  いい具合に船頭が東吾の顔見知りで、柳島村の光明寺まで行ってくれと頼むと、すぐ承知して竿を取った。 「若先生が光明寺にお出でなさるってことは、清水屋の隠居の件ですか」  舟を流れに乗せてから、船頭が訊ねた。 「俺もこいつも少々、顔見知りなんでね。線香の一本もたむけようと出て来たんだ」  当りさわりのないように東吾はいったのだったが、 「左様でござんすか」  と受けた船頭はなんでもなくいった。 「清水屋じゃ隠居があやまって川へ落ちたといってますがね、あれは身投げでござんすよ。近くにいた釣り人がちゃんとみているんで……ですが、清水屋では外聞が悪いからと、そいつに金をやって口止めをしたんです」 「驚いたな。そんな噂があるのか」 「噂じゃござんせん、本所深川の者はみんな承知していることで……」 「ほう……」 「まあ、人に殺されたってわけでもねえんで、みんな承知して知らん顔の半兵衛をきめ込んでいます」 「成程なあ。しかし、なんだってあんな金持の隠居が身投げなんぞしたんだ。まさか、死んだ婆さんの後追いでもあるまい」 「そいつはわかりませんが、商売熱心な人が急に楽隠居をすると、気分が落ち込むもんだといいますからね」 「しかし、年寄には年寄の楽しみがあるだろう」 「そいつをみつけられる奴と、みつけられねえ奴がいるそうで……まあ、うちの親父なんぞは死ぬ十日前まで船頭やってましてね。孫を一人前の船頭にするんだと始終、一緒に舟に乗ってました」  その孫が今はいい跡継ぎになったと表情をゆるめた。  亀戸天満宮に近い舟着場で舟を下り、船頭に教えられた道を行くと光明寺に出た。  清水家の墓には真新しい卒塔婆《そとば》が何本も立っている。  寺の入口の店で求めて来た線香を供え、弥吉と並んで合掌した。 「隠居さんは寂しかったんだと思います」  弥吉がぽつんといった。 「俺が芋嵐の話をしたら、泣いてしまいましたから……」 「なんだ、芋嵐ってのは……」 「在所では夏の終りから秋の今時分に吹く強い風のことをいうんです」  芋嵐が吹いたら芋の茎を摘めというのだと弥吉は懐かしそうに話し出した。  この季節、里芋の茎は長く伸びている。強い風が吹くと葉が茎ごとゆすぶられるので根についている親芋と子芋がはなればなれになってしまい、子芋が大きく育たない。 「だから、大急ぎで里芋の葉を刈るんです」  その話を弥吉から聞いた金右衛門は涙を流しながら、自分は商売に夢中で、気がついたら我が子と心が通い合わなくなっていた。子芋は育ちそこねたと嘆いたという。 「そんな話をしたのか」 「さっき、船頭さんの話を聞きましたが、俺は鉄砲洲の時からずっと気になっていました。あの時、金右衛門さんは……」 「落ちたのではなく、とび込んだのか」 「ええ、足からぽんといった恰好で……俺のほうからは、はっきり見えました」 「そいつを、あんたに聞いてみたかったんだ」  といって、今となってはどうしようもない。 「俺も、自分の見間違いかと思ったんです。金右衛門さんが立派な大店の御隠居とわかって、そんな馬鹿なと考えていたんです」  自分になにか出来ることはなかったかと後悔しているといった若者に、東吾は重く首を振った。 「そいつは無理だ。もうちっと深いつき合いでもありゃあ、考えようがあるかも知れないが……」  夕風が吹いて来て、東吾は弥吉をうながして墓地を出た。 「俺、明日、宇都宮へ戻ります」  だしぬけに弥吉がいった。 「俺にとっての親芋は爺ちゃんと婆ちゃんなんです」  自分が三つの時、母が江戸へ帰ったことはまだ幼かったのでよくわからないといった。 「ですが、八つの時、親父が江戸へ戻ることになって、俺を爺ちゃんの家へ迎えに来た時、俺はいやだといいました」  赤ん坊の時から祖父母と共に暮し、祖父母を両親のように思っていたと弥吉は少し涙声で訴えた。 「親父は時々、爺ちゃんの曲物が出来上ったのを取りに来がてら俺の顔をみに訪ねていましたから、この人が父親だとは承知してました。それでも、俺にとって親は爺ちゃん婆ちゃんです」  祖父について山へ行く孫のメンパに、大好きな芋の煮ころばしと梅干と胡麻の握り飯をつめて、いつまでも見送ってくれたのが祖母なら、小さな手に節くれ立った自分の指を添えて、メンパの木地を削る方法を教えてくれたのが祖父であった。 「寒い冬、俺は婆ちゃんに作ってもらった綿入れを着て、寝る時は婆ちゃんが炬燵《こたつ》であっためてくれた寝巻を着て、ぬくぬくと眠りました。山で急な雪に遭った時、爺ちゃんは自分の体で俺をかばって山小屋まで走ったものです」  俺にとって、親芋は爺ちゃん婆ちゃんだと、弥吉はくり返した。 「俺が十八になり、江戸の親父から俺を江戸へよこしてくれ、大杉屋の総領だからと文が来て、爺ちゃんと婆ちゃんは俺に江戸へ行けといいました。立派な大店の跡継ぎがいつまでも職人の暮しをしていてはいけない。自分達はお前のおかげで幸せな十八年を暮せたのだから、もう、江戸の親許へ返さなけりゃ義理が立たないと泣いて俺を送り出したんです」  江戸へ来て、父も母も喜んでくれたし、妹もなついたと弥吉は泣き顔を笑顔に戻そうとした。 「親父にもお袋にもすまないとは思っています。それでも、俺は親芋のところへ帰ります。芋嵐が吹く前に……そうしなけりゃ子芋はでっかくなれないんです」 「いいのか」  鼻の奥が熱くなりながら、東吾はいった。 「職人は根気のいる仕事だ。その割に恵まれない。江戸の大店《おおだな》の主人になる道を捨てて後悔しない覚悟があるのか」 「大丈夫です」  そのことはさんざん考えたといった。 「大きな店の主人となって、奉公人を使い、商売を繁昌させるのも男らしい仕事だと思います。でも、俺は爺ちゃんの曲物を凄いと思っています」  日光の東照宮には、三十年前に祖父の作った折敷が今も立派に使われているといった。 「俺もいつか、そういう曲物を作りたいと考えています。爺ちゃんの傍で、爺ちゃんの仕事を受け継ぎたい。親父さんはきっとわかってくれると思います」  もともと、曲物師の家に生まれた父親であった。商家へ奉公に出て、今は主家の店の跡取りになっていても、自分が父親の技を継がなかったことに心残りはあるに違いないと弥吉はいい切った。 「八つの俺を、爺ちゃんの許へ残して行ってくれたのが、その証拠だと思います」  東吾は黙って若者の肩を叩いた。 「いい職人になれよ。年に一度は曲物を持って江戸の店へ出て来るんだ。親子の縁は切れやしない」  舟着場へ急ぐ二人の背に風が強くなった。 「おい、こいつを芋嵐というのか」  東吾が笑いながら訊き、弥吉が夕焼け空へ目をやった。  その瞼の中に浮んでいるであろう日光の栗山村の秋景色を東吾も亦《また》、思い浮べた。  黒檜、白檜が群生する中に、赤く色づく紅葉の下で、祖父と孫が手作りのメンパを開いて食べる昼餉は余人には想像も出来ないほど豊かな味に違いない。  舟着場から待ちくたびれた顔の船頭がのび上り、東吾はそれに手を上げて応えた。 [#改ページ]   猫芸者《ねこげいしや》おたま      一  佐原で指折りの醤油造り屋、木島屋の若旦那、敬太郎の様子が、どうもおかしいと気がついたのは「かわせみ」の老番頭、嘉助であった。  木島屋は敬太郎の父親、庄兵衛が、馬喰町の旅籠「藤屋」の紹介で「かわせみ」へ泊って以来、江戸での商用の際は必ず「かわせみ」を定宿としている。  この秋、敬太郎が江戸へ出て来たのは取引先の主人の還暦の祝と、昨年、父親が隠居し木島屋の当主となった挨拶をかねて、江戸の醤油問屋へ顔出しをするのが目的であった。  で、八月二十日に「かわせみ」へ到着し、すでに十日余りの滞在になる。 「木島屋さんだけれど、ぼつぼつ佐原へお戻りなさる時分でしょう。お発《た》ちの日について番頭さん、なにか聞いていますか」  宿帳を眺めてるいが訊ねた時、嘉助はそれまで考えていたのを漸《ようや》く口に出した。 「お発ちの日については何もうかがって居りませんが、ちょっと気になることがございます」  敬太郎が「かわせみ」へ着いた際、五十両の金を帳場にあずけていると嘉助はいった。 「すぐ下の妹さんが十一月なかばに御祝言と決っていらっしゃるそうで、その嫁入り仕度の買い物があるとのことでして……」  それは、るいも聞いていた。 「実は五日ほど前に、その中の十両を出してくれとおっしゃいまして……」  敬太郎の江戸での用事もあらかた終ったのを承知していた嘉助は、いよいよ買い物かと判断して、いわれた通り十両をさし出した。 「ところが二日後に、また十両といわれます。それは別段、なんということでもございませんが、その折、回向院《えこういん》前の岡場所の話をなさいました」  襖を開けはなした隣の部屋で、軍艦操練所から持って来た書籍を広げていた東吾がひょいと口をはさんだ。 「驚いたな。佐原の若旦那は、もう金猫銀猫なんかで遊んでいるのか」  嘉助が答える前に、るいが訊いた。 「なんですの。金猫銀猫って……」 「回向院前の女郎屋のことさ。ああいうところの妓《おんな》をその筋の連中は寝子《ねこ》というんだ。回向院はお寺さんで山号があるから、山猫っていう奴もいるそうだよ」  るいが、まあといったきり眉をひそめたので嘉助は少し困ったが、やむなく話の続きをした。 「木島屋さんはまだお若いことですし、江戸の土産話に左様なところを御見物なすったのかと、あまり詮索も致しませんでしたが。お帰りは毎夜遅うございますし、昨日は朝帰りでして……」  ぼんのくぼのあたりを平手で軽く叩いた。 「木島屋の若旦那ってのは、江戸は始めてか」  東吾が隣の部屋から、るいと嘉助へ等分に目をくばりながらいった。 「左様でございます。昨年までは大旦那お一人で……」 「そいつは危いぞ。ああいう所は馴れない奴ほど、てっとり早く深みにはまる。抜きさしならねえまでに行かねえ中《うち》に、ひっぱり出してやったほうがいい」 「手前から少々、聞いてみようかと存じますが……」 「いるのか、若旦那は……」 「今は、まだお部屋に……」 「まず、妓の名と見世の名……あそこは呼び出しと伏玉《ふせだま》に羽織だろう。佐原の若旦那がひっかかりそうなのは伏玉だが……」 「とにかく、行って参ります」  そそくさと嘉助が逃げ出し、それで東吾はやっと気づいた。  長火鉢のむこうから、るいがこっちを眺めて、いやに優しい声で問うた。 「呼び出しだの、伏玉だのって、いったい、なんでございますの」  やむなく、東吾は答えた。 「呼び出しってのは、客が茶屋から名ざしで子供屋へ声をかけるんだ」 「子供屋……」 「妓の抱え主の家だよ」 「伏玉は……」 「茶屋が抱えている妓。表むきには御禁制だから、そういう名がついたらしい」 「羽織と申しますのは……」 「深川の仲町なんかと同じさ。芸者だよ。深川芸者は羽織を着るから……」  るいが長火鉢の中の火箸を握りしめた。 「うちの旦那様は、なんでもよく御存じですこと」  きりりと柳眉が上って、東吾は素早く立ち上った。 「冗談じゃねえ。いい年をしてあんな所へ行くものか。むかしむかし話の種に聞いただけだ」  救いの神は庭から帰って来た。 「お父様、お母様、八丁堀の伯母上様から菊の花を沢山頂きました。麻太郎《あさたろう》兄様が送って下さいました」  両手に黄菊白菊を一杯に抱えた千春と麻太郎をみて、東吾はやれやれと胸をなで下した。  だが、翌日の夕方になって嘉助が遠慮そうに居間へ来た。 「まことに申しわけございませんが、木島屋さんがどうしても若先生に話を聞いて頂きたいとおっしゃいまして……」  厄介な、というのが東吾の正直な気持であった。だが、嘉助は困惑し切っているし、幸いというべきか、るいは千春を琴の稽古に連れて行っていて留守であった。 「どうも、色事の話は苦手だな」  弁解がましくいいながら、これも宿屋の亭主の役目と諦めて東吾は嘉助と一緒に萩の間へ行った。  少しばかり驚いたのは、部屋のすみに買い物だろう、けっこうかさ高な包がすぐに運び出せるよう荷作りが出来ている。 「いろいろと御心配をおかけしましたが、明日は佐原へ戻ろうと存じまして……」  出迎えた敬太郎は東吾を上座に招じ入れて、丁寧に挨拶をした。 「まさか、山猫の妓を身請けして帰るといい出すんじゃあるまいな」  最初からざっくばらんに東吾が笑い、敬太郎は肩の力を抜いた。 「とんでもないことでございます。どんなに心を惹かれても、手前のような者に左様な勇気はありませんので……」 「そんなにぞっこん参ったのか」  敬太郎は真面目に頭を下げた。 「御迷惑とは存じますが、手前の話を聞いて頂きとうございます」  はじめて回向院前の茶屋へ上ったのは、江戸へ出て来て三日目で取引先の案内だったという。 「実は吉原見物に誘われたのでございますが、手前が尻込み致しましたところ、それなら、もっと静かで気のおけない遊び場があるからと連れて行かれました……」  茶屋へ上って、案内してくれた男が自分の馴染の妓に呼び出しをかけ、その折、同じ置屋の妓を連れて来させた。 「少々、酒を頂き、妓と話をしている中に、大層、常磐津《ときわず》の上手な芸者が居るので呼んでみようということになりまして、おたまと申すのが参りました」  なつかしい想い出でも話すように、敬太郎が遠い目をした。 「手前は田舎者で常磐津といわれましても何が何やら……ですが、弾き語りと申しますのか、歌も三味線の音も胸にしみ渡るようで、なんともいえない気持になりましてございます」  その日は常磐津を聞いただけで帰ったが、 「あとで茶屋の者に訊ねますと、常磐津を聞かせるだけではなく、それなりのことをすれば相手をすると申しますので、翌日は一人で参りまして、おたまに呼び出しをかけてもらいました」  流石《さすが》に照れくさそうにうつむいた。  他人の色事の話をこれ以上、聞かせられてたまるかと思い、東吾は口をはさんだ。 「で、通い続けの朝帰りというわけか」 「お恥かしいことでございます。ですが、昨日、こちらの番頭さんに意見をしてもらいまして、はっと我にかえりました。手前には女房子がございます。父と妹も手前の帰りを待ちかねて居ります。妓にうつつを抜かしている場合ではないと……それに、どう思ったところで江戸の妓が手に負えるわけはないので……」 「思い切って佐原へ帰るか」 「それにつきまして、まことに御無礼なお願いでございますが、これを誰方《どなた》かから、おたまに渡してやって頂けますまいか」  丁寧に包んだものを前へおいた。 「金か」 「三両ございます。本当によくしてくれましたので、せめて礼の気持と……きまりの悪いことでございますが、おたまに夢中になりまして、女房にする、というようなことを口走りましてございます。その詫びと申しますか……」  遂に東吾は笑い出した。 「心配するな。ああいう所の妓は始終、客から女房にするの、夫婦になろうといわれつけているんだ。誰も本気にしやあしないよ」  敬太郎が悲しい顔をした。 「左様でもございましょうが、この金は手前が家督を相続致しましたのを祝って、江戸の取引先の方々から頂戴したものでございます。木島屋の金でもなく、親父様からあずかったものでもございません。どうぞ……どうぞ、お願い申します」  結局、東吾は三両をあずかって萩の間を出た。 「なんともはや、世間知らずと申しますか、若先生にとんでもない頼み事を致しますとは、けじめを知らぬにも程がございます」  帳場へ戻って来て嘉助は立腹するやら恐縮するやらだったが、東吾のほうは屈託がなかった。 「ま、木島屋はうちにとっても大事な客だ。ちょいと深川まで行って長助に頼んでみるよ」  おろおろしている嘉助を尻目に「かわせみ」を出かけた。  永代橋を渡って佐賀町の長寿庵をのぞくと、いい具合に長助がいたが、奥の座敷で畝源三郎が蕎麦を食べている。 「今日はいろいろと厄介事がありましてね、昼を食いそこねたのです。これから奉行所へ戻って一仕事しなければなりませんので、当座の凌ぎですよ」 「相変らず定廻りの旦那は働き者だな」  源三郎につき合って蕎麦と、別に酒を頼んだ。 「どうも馬鹿馬鹿しい頼まれごとをしてね。一杯やらなけりゃ話も出来ない」 「かわせみの客から女郎屋へ借金を返してくれと頼まれたんじゃありませんか」  源三郎がにやにや笑い、酒を運んで来た長助も可笑《おか》しそうな顔をしている。 「驚いたな。いくら本所深川は長助親分の縄張りといったって、女郎屋の客がかわせみの……」  いいかけて、東吾は気がついた。 「そうか、当人が俺はかわせみに泊っていると妓にいったのか」 「金猫銀猫じゃ、ちょいとした評判だそうですよ。まあ、茶屋のほうはそれと知ってけっこう大事に扱ったそうですがね」 「素人は怖いな」 「羽織に目をつけるところは素人らしくありませんな」 「源さん、おたまを知っているのか」 「残念ながら、まだ顔をみたこともありません」  長助がお酌をしながらいった。 「あそこの土地じゃあちょいとした名物芸者です。常磐津が上手《うま》くて、ですが、この節は芸だけじゃつとまりません」 「いい妓か」 「愁《うれ》い顔ですが器量はよろしゅうございます。ただ、もう二十なかばになっているって話でして……」 「実は借金じゃないんだがね」  いつものことで、東吾はてっとり早く事情を話し、長助の飲み込みも即座だった。 「そういうことでしたら、あっしが間違いなく当人に渡して参《めえ》ります」 「木島屋は明日、発つんだ。妓に渡すのはその後のほうがいいと思う」 「承知しました」  小者をお供に奉行所へ帰る源三郎と永代橋を渡ったところで別れ、東吾は秋風の中を「かわせみ」に戻った。      二  翌日、軍艦操練所の勤務が終って東吾が門を出て来ると、少しはなれた所に長助が立っていて、さりげなく本願寺のほうへ歩いて行く。  長助が気を遣っているとわかって東吾は大股に近づいた。 「俺を待っていてくれたんだろう」  声をかけられて、長助は首をすくめた。 「御同僚の方々のお目に止るといけません」  一目で御用聞とわかる人間が待っていたと軍艦操練所の仲間に知れては東吾が迷惑すると配慮してのことなので、東吾は明るく笑い捨てた。 「つまらぬ気を廻すな。俺が八丁堀の人間だというのはみんなが知っている」  それでも長助は遠慮そうに本願寺の横の道まで来て、漸く足を止めた。 「例の件ですが、間違いなく当人にわけを話して渡して来ました」  そのためにわざわざ来たのだと東吾にはわかっていた。 「お屋敷のほうへうかがおうかと思ったんですが、どうも、ああいう場所の話をお吉さんにでも聞かれると具合が悪いと思いまして……」 「かわせみ」のことを長助は東吾がるいと夫婦になって以来、お屋敷と呼んでいる。 「毎度、すまない。うちの内儀《かみ》さんも正直にいやな顔をするんだ」  長助が笑った。 「お待ち申して居りましたのは、それだけのことでございます。品川まで参りますので……」  異人が品川宿で揉め事に巻き込まれたらしいので、畝源三郎がそっちへ行っているといった。 「あっしもちょいと様子をみに……」 「御苦労だな、気をつけて行けよ」  長助について行ってみたいと思いながら、東吾は本願寺の脇で左右に別れた。今日はこれから八丁堀の道場での稽古がある。  いつものように、道場には八丁堀の組屋敷に住む子弟が詰めかけていて、その稽古が終ったのが暮六ツ(午後六時)で、稽古着を着替えて外に出て来ると若い女が下駄の先で小石を蹴りながら所在なげにしている。東吾をみると嬉しそうに走って来た。 「すいません。若先生ですか」  奇妙な挨拶をされて、東吾は相手を眺めた。  黒衿のついた黄八丈はいい加減くたびれているが、それでも赤い縞《しま》の帯を素人っぽく結んで髪だけは結いたてといった娘はせいぜい十五、六だろう。妙に生き生きとして悪戯《いたずら》っぽい表情をしている。 「俺は神林東吾だが……」 「かわせみの旦那様ですよね」 「そうだ」  娘が手を叩いて躍り上った。 「わあ、よかった」  という声がひどく子供っぽい。 「長助親分にお願いだから若先生に会わせてくれって土下座して頼んだのに、冗談じゃねえって取り合ってくれなかったんですよ。それで長寿庵へ行ってお内儀さんに泣いて訴えたら、かわせみへ行っちゃあいけない。今日は多分、八丁堀の道場のお稽古日だからってここを教えてくれたんです」  相手があまり開けっぴろげなので東吾も肩肱《かたひじ》を張ってはいられなくなった。 「俺になにか用か」 「用があるから訪ねて来たんです」 「それじゃ聞こう」 「こんな所で話せませんよ」  娘があたりを見廻し、東吾は少しばかり慌てた。  八丁堀組屋敷の真っ只中であった。垣根のむこうから、不思議そうにこっちを見ている顔もあるし、奉行所からはやばやと退出して来る姿もある。 「永代橋のほうへ行けよ。俺は後から行く」 「欺《だま》しちゃいやですよ」  ぴょんぴょんと猫がはねるように娘は日本橋川のほとりへかけ出して行き、そこで東吾のほうをふりむくと、まっすぐ永代橋へ向った。仕方なく、東吾はその後を行く。  神経を使ったのは豊海橋の附近で、そこを川沿いに行けば「かわせみ」、うっかり家の者にみられたら、とんだことだと思う。  娘は永代橋の橋ぎわに待っていた。 「長寿庵へ行くんですか」  という。 「お前、滅法、勘がいいな」 「だって、他に行く所がないでしょう」 「そんなこともないが……」 「得体の知れない小娘を連れてですよ」 「長寿庵へ行けば、お前の身許がわかるだろう」 「行かなくたってわかりますよ。あたしは金猫銀猫のおひろ。これでも呼び出しだからね。伏玉じゃないよ」 「呼び出しのほうが格が上か」 「とぼけちゃって……呼び出しが売るのは芸と色、伏玉は色だけだもの」 「お前はなんの芸をするんだ」 「おたま姐さんに常磐津を習ってるんだ」  通行人が目ひき袖ひきするのもかまわず、東吾はやけくそで娘と大声でやり合いながら長寿庵の暖簾をくぐった。 「若先生、いらっしゃいまし。実はお叱りを受けなきゃならないことがございますんで……」  出迎えたおえいがあたふたと詫びをいいかけて、東吾の後から入ってきたおひろに気がつき、青くなった。 「あんた、本当に八丁堀に行っちまったのかい」  おひろが胸を張った。 「首尾よく若先生をとっつかまえたよ。小母さん、ありがとう」 「若先生、申しわけございません、あたしとしたことが……」  東吾は大きく手を振っておえいを制した。  店の前に人だかりがしている。 「いいんだ、いいんだ。とにかく、上らせてくれ」  釜場からとんで来た長助の悴の長太郎が店の前の人を追い払い、おえいが座敷へ東吾とおひろを案内した。 「とんだことを致しました。この人があんまり必死だったもので、つい、口がすべっちまって……」  改めておえいが畳に額をこすりつけ、東吾はもう一度、いいんだを繰り返した。 「厄介を持ち込んだのは俺のほうなんだ。気にしないでくれ」  酒と種物を註文しておひろに訊いた。 「あんた、こんな時刻に見世を空けていいのか」  岡場所の妓にとって商売の時刻であった。 「かまわないんだよ。ちゃんと断って出て来たんだから……」  東吾とさしむかいの位置に横ずわりした。 「用というのを聞こうではないか」  故意に東吾は足を崩さず、正座のままでおひろを眺めた。おひろは多少、間の悪そうな顔をしたが、 「おたま姐さんのことなんだよ」  気を取り直したようにおひろが切り出した。 「かわせみのお客がおたま姐さんに三両も御祝儀をおいて旅立ったって聞いた時、もしかして、かわせみの若先生に相談すれば、なんとかなるかも知れないと思ってね」  おえいが酒を運んで来て、おひろは徳利を取ろうとしたが、素早く東吾は盆ごと遠ざけた。 「酒は、話を聞いてから飲む」 「おたま姐さんに弟がいるんだよ。正太っていってね。日本橋の大店に奉公してたんだけど、二年前にぷいといなくなって、なんでも、横浜で一旗あげるっていってたけど、それっきり。おたま姐さん、そりゃあ心配しているんだよ」 「そいつを俺に探せというのか」 「見世に来るお客さんが、横浜で見かけたっていうんだよ。なんだか物騒な奴らとつるんでたって……」 「人探しを俺に頼もうというなら、お門違《かどちが》いだ。第一、この節の横浜は諸国からとんでもねえ数の人が流れ込んでいる。人の出入りも激しい。いってみりゃあ米俵の中にもぐり込んだ一匹の蟻《あり》を探すより難しいだろう」 「駄目かね」 「文などよこさないのか」 「あの人、無筆だから……」 「気の毒だが、当人のほうから何かいって来ない限り、手がかりはつかめそうもないな」 「そういうことか」  しょんぼりしたおひろへ、東吾は苦笑した。 「まあ、頼まれ甲斐がないが、蕎麦でも食ってお帰り」  心得て、おえいが蕎麦を運んで来て、おひろは遠慮なくすすり込んだ。東吾のほうは手酌でゆっくり酒を飲む。  あっという間に一杯の蕎麦を食べ終えたおひろに蕎麦湯を持って来たおえいがいった。 「あんた、人もあろうに若先生にそんな頼み事をするなんて御無礼もいいところだ。子供じゃあるまいし、いい加減におし」  おひろが口を突き出した。 「大きなお世話だ。御用聞きの女房だからって、えらそうな口を叩くな」  そのまま、ついと立ち上ってとっとと店を出て行った。 「全く、もう、若先生にいやな思いをおさせしちまって、うちの人が帰って来たら、どんなに叱られるかわかりません。どうぞ、堪忍して下さい」  おえいが頭を下げ、東吾は盃をおえいへさし出して酌をしてもらった。 「あんたのせいじゃないよ。ああいう所で育った人間にものの道理をいっても始まらない」  ところで、おたまの弟の話は聞いていたかと訊ねた。 「ええ、二年前に姿をかくした時、あの土地の人からお上にお届けがあって、うちの人がいろいろ聞いて歩いたりしてましたから……」 「おたまの身内は弟一人っきりかい」 「そうなんです。あの人もかわいそうな身の上で、おじいさんって人は日本橋の要《かなめ》屋っていうけっこう大きな提灯屋の番頭にまでなってたんです。悴さんも同じ店に奉公して嫁さんをもらって、それまでは本石町《ほんこくちよう》のほうに住んでいたんですけど、一ツ目橋の近くに小さな家を借りて、年寄夫婦はそっちに移ったとたん、大火事で本石町の家も要屋もすっかり焼けちまって、悴さん夫婦は逃げ遅れて歿《なくな》ったそうなんです」 「子供だけ助かったのか」 「じいさんばあさんの所へ遊びに来ていたって聞いてます」 「そいつは、不幸中の幸いだったな」  蕎麦が来て、東吾は器用にたぐりながら慨嘆した。 「年寄はもう歿ったのか」 「十年になりますかね。二人とも続いて……おたまさんって人はその頃から常磐津を習ってて、いい声だっていうんで芸者になったって話です」  流石に長助の女房だけあって肝腎のことはよく知っている。  おえいの酌で一本の酒を飲み、 「どうも、いつもつまらんことを持ち込んですまないな」  少々、余分の代金をおいて東吾は長寿庵を出た。      三  事件が「かわせみ」へもたらされたのは、翌日のことである。  軍艦操練所から東吾が帰って来ると「かわせみ」の暖簾の外で畝源三郎が嘉助に何かいっている。 「どうかしたのか、源さん」  品川へ行っていたのではなかったのかと近づいた東吾に、 「回向院前の金猫銀猫のおたまを知っていますね」  という。 「どうも、猫が祟《たた》るな」  東吾は笑いかけたが、源三郎はにこりともしない。 「弟の正太という奴ですが、品川で異人に斬りつけまして、異人はなんとか助かったんですが、供をしていた通辞《つうじ》や使用人が三人ばかり、正太とその一味の者に殺害されました」  流石に東吾が言葉を呑んだ。 「一味の中、二人はその場で捕えられたのですが、正太を含めた三人が逃亡しまして……」  捕えた者の口から正太の名と身許が知れた。 「すでに長助が本所へ向っていますが、長助の話では、こちらの客がおたまと馴染になっていろいろとあったというので、万一、おたまが弟を助けようと、東吾さんになにかいってくるといけませんので……」  実情を知らず、かくまったりしてはという配慮らしい。 「冗談いうな。八丁堀育ちが下手人をかくまったりするものか」 「正太が罪を犯していると知らなければどうですか。女はとかく口が巧《うま》いものですよ」  確かに品川での事件を知らなければ、欺されるかも知れない。 「なんだって、異人を襲ったんだ」 「どうやら勤皇浪士を名乗る連中に金でやとわれたようです」  世の中をさわがし、幕府の威信を失わせようといった連中の仕業らしいといい、源三郎はそそくさと豊海橋へ向って走って行った。 「なんだってまた、おたまの弟がそんな馬鹿なことをしでかしたんでございましょうか」  あっけにとられた顔で嘉助がいい、東吾が苦々しげに応じた。 「正太という男、一旗あげる気で横浜へ行ったようだが、世の中、そう甘くはないさ。なにもかもうまく行かなくなると金のためならなんでもやりかねない。よくある話じゃないのか」 「それにしましても勤皇浪士なぞとかかわり合って、江戸っ子の風上にもおけません」  暖簾口からひょっこりお吉が顔を出した。 「おや、お帰りなさいまし」  東吾にお辞儀をして、 「御新造様が、表で畝様のお声がするようだとおっしゃるものですから……」  うさん臭そうにあたりを見廻した。 「源さんなら、お尋ね者の話をして本所へ行ったよ」 「お尋ね者ってなんですか」 「品川で異人に斬りつけたんだとさ」  嘉助と一緒にお吉を店の中へ入れてから、東吾は気が変った。 「ちょいと本所まで行って来る」  いったん腰から抜いた太刀をさし直し、すたすたと豊海橋へ向う。橋ぎわの船宿をのぞくと、源三郎が小者を従えて猪牙《ちよき》に乗ろうとしているところで、 「やあ、やっぱり、来ましたか」  浅黒い顔を僅かにほころばせた。  東吾を乗せて、猪牙はすぐ大川を遡《さかのぼ》る。 「東吾さんは、おたまという妓に会いましたか」  川風に目を細めて源三郎が訊く。 「いや、会っちゃあいないが、妹分のおひろって奴が訪ねて来てね」 「その件は長助の内儀さんから聞きましたよ。それで、今度も東吾さんに助けを求めるんじゃないかと、先廻りしたんです」  おひろという妓は、正太の色女だといった。 「日本橋の奉公先をしくじったのも、その妓に入れあげたせいです」 「店の金を使い込んだのか」 「といっても一両そこそこで、それは姉のおたまが返したといいます」 「正太の奉公していた店はどこなんだ」 「日本橋の要屋です」 「あいつのじいさんや親父の働いていた店じゃないか」 「火事で焼けたあとも再建して、繁昌しています」 「源さん」  東吾が大川沿いの町々へ目をやった。 「そっちへも張り込ませたほうがいいんじゃないのか」 「たしかに……」  かくまってくれと逃げ込むのではなく、金めあてに押し込む危険がある。  だが、まだ暮れるには間のある時刻であった。 「本所へ上ったら、すぐ手配をしましょう」  よもや、陽のある中から押し込みでもあるまいと東吾と源三郎も思っていたのだが、両国橋の手前、竪川《たてかわ》へ入って一ツ目橋の手前の舟着場へ猪牙が寄せて行くと、岸辺のほうから長助のところの若い者がまっ赤になってとんで来た。 「旦那、やられました。室町一丁目の要屋に賊が入って、その一人が正太ってことでして、親分はそっちへ参《めえ》りました」  直ちに猪牙を廻して、まっしぐらに日本橋の袂、室町一丁目にある提灯問屋要屋へ源三郎と東吾がかけつけてみると、店の中では番頭が脇腹を刺されてこと切れて居り、肩先を斬られた手代が医者の手当を受けていた。  主人の吉兵衛はたまたま用事で出かけていたところ、知らせを受けてとんで帰って来たものの、あまりの惨状に茫然自失の状態であった。  賊は三人、いきなり店の表から入って来て番頭や手代が制止する間もなく、奥の金箱から支払いのために用意してあった三十両ばかりを掴み出し、追いすがった番頭と手代を殺傷してそのまま逃走した。  あっという間の出来事で店で働いていた他の手代や小僧もなにがなにやら判然としない中に万事が終っていたという有様で、奥にいた女房や女中達は表から小僧が知らせに来るまで何も知らずにいたという始末であった。 「前にうちで働いていた正太が先頭に立って入って来ましたので、なんだろうと思っている中に帳場へかけ上って行って、あとはもうびっくり仰天している中に……」  と手代の一人が声をつまらせ、他の小僧の口からも三人の賊の一人が正太に間違いないとわかった。  畝源三郎の指図で直ちに長助は本所へ戻って、おたまの家へ張り込みに加わり、その一方、捕方が室町から神田にかけて聞き込みに走り廻ったが、三人の賊の足取りは全くつかめない。 「おそらく要屋を出てすぐに三人がばらばらに逃げたものでしょう」  三人が一緒なら目立つが、一人ずつ本町通りの賑やかな人ごみの中にまぎれ込んでしまうと、案外、わからない。  ちょうど日暮れ前、道行く人はどこか気ぜわしくあたりに目をくばる余裕がないし、店も間もなく閉める刻限で、奉公人は一日の疲れが出て意識が散漫になりやすい時であった。  奉行所からは加勢の人数も出て、一応、江戸の四宿にも手が廻ったが、いい知らせはない。  一度「かわせみ」へ帰った東吾は夜になって一ツ目橋の近くの番屋へ行ってみた。  長助がげっそりした顔で稲荷鮨を食べている。 「畝の旦那は、いっぺん、奉行所のほうにお戻りになりました」  東吾をみると正直に嬉しそうな顔をする。 「おたまは……」 「家に居ります」  茶屋にはすべて通達が廻っているので、座敷がかかることはないといった。 「おたまの家ってのは、どこなんだ」  東吾が訊き、長助が身軽く腰を上げた。 「今から見廻りに出ますんで、よろしかったら、ご一緒に……」  番屋の外へ出ると町の辻々に、明らかに助っ人に来たと思われる御用聞きの下っ引達がさりげなく見張番をしている。 「これだけ張り込んでいられたんじゃあ、迂闊には近寄れねえなあ」  東吾が呟き、長助がぼんのくぼに手をやった。 「畝の旦那も、もう少し目立たねえようにとおっしゃっているんですが……」  なにしろ、要屋の事件がこっちにも聞えて来て町中がぴりぴりしていると長助はいう。 「下手にかくれていると下手人と間違えられて、さっきもそこで大さわぎになっちまったんで……」  張り込んだ下っ引を近所の者が下手人と思い違えて番屋に知らせ、それっと繰り出して仲間同士、ばつの悪い思いをしたという。 「ここなんで……」  長助が足を止めたのは一ツ目弁天堂のすぐ裏であった。  小さいが一軒家で、障子に灯がうつり、なんと常磐津が聞えて来る。 「さっき、妹分のおひろって妓が見舞に入って行きまして、ずっと話し込んでいたようですが、くさくさするからってんで稽古でも始めたんですかねえ」   嵯峨や御室の花盛り   浮気な蝶も色変えぬ  冴えた三味線の音に艶っぽい声が重なって来る。  たしかに惚れ惚れとするような美声であった。 「ありゃあ、将門《まさかど》でございます」  平将門の娘、滝夜叉姫《たきやしやひめ》が父の怨みを晴らそうと将門山の古御所で蝦蟇《がま》の妖術をもって討手《うつて》をなやます痛快な話だと芝居通の長助が説明した。 「常磐津の名曲っていわれているんだそうでして……」  初夜の中にしんと曲が流れ、東吾もつい聞き惚れた。  佐原の木島屋の敬太郎がおたまに惹かれたのが、なんとなくわかる気がする。  ふっと歌声が消えた。  さらりと道に向った側の障子が開いた。部屋のあかりが外に洩れて、だしぬけだったので東吾も長助も逃げかくれする暇がなかった。 「佐賀町の親分ですか」  女が縁側に出て来た。  絶句した長助に代って、東吾が前へ出た。 「稽古の邪魔をしてすまない。あんまりいい声なんで、つい、聞いていたんだ」  おたまの背後からおひろが何かいい、 「若先生ですか。それはそれは、そんな所へ立ちん坊をさせちまってすみません。端近かですけど、どうぞお上り下さいな」  あでやかな微笑が月明りの中に浮んだ。 「では、少々、邪魔をするか」  長助は逡巡したが、東吾はかまわず縁側へ行って腰を下した。 「おひろちゃん、お酒を頼むよ」  おたまがいうのに、素早く制した。 「野暮な話だが、これでも仕事中だ。茶を一杯もらいたい」  おひろが立って行き、東吾は一間《ひとま》きりの部屋を見廻した。仏壇と長火鉢、その前に三味線が一|棹《さお》。奥の障子のむこうが台所のようである。 「なんでしたら、なにかお弾きしましょうか」  三味線の前へ座って、軽く調子を合せている。  おひろが茶を運んで来た。その手がかすかに慄えている。  かたんと小さな音がした。とたんにおたまが立ち上って目の前のおひろを抱きすくめ、その咽喉《のど》に三味線の撥《ばち》の角を力まかせに突き立てた。 「姐さん、なんで、あたしを……」  東吾が叫んだ。 「長助、裏へ廻れ。正太が逃げるぞ」  わっと長助が地を蹴った。  おたまの家の台所口から男がころがり出て、追いすがった長助をふり切って走る。  張り込んでいた男達がいっせいにとび出して体当りしたが、それでも正太は走り続け、まっしぐらに竪川の岸へ、 「御用だ」  と叫んだ長助の十手が空を切って、正太の体は吸い込まれるように川面へ消えた。  おひろは医者の手当の甲斐もなく落命し、正太は水死体となって竪川の岸辺に流れついた。  おたまは捕えられて吟味の末、大島へ流罪《るざい》ときまった。  その流人舟が出る前夜、東吾はおたまに会った。  おたまの最後の願いというのが、東吾に会いたいというものだった故である。  立会人は畝源三郎で、女牢から東吾の待っている御牢内の小部屋へおたまを連れて来たのも源三郎自身であった。 「最後まで御厄介をかけてすみません」  頬がこけ、肩の肉がすとんと落ちた感じのおたまが両手を突いて深く頭を下げた。 「回向院の貞仁という坊さんに三両のお金があずけてあります」  これが、あずかり証だと一通の書状を渡した。 「返して下さいというのではなく、そのお金で死んだおひろさんの供養をしてくれるよう若先生から頼んで頂けませんか」  東吾は黙ってうなずいた。 「御迷惑と思いますけど、あたし、若先生の他にお頼み出来る顔が浮ばなかったんです」 「かわせみ」の客からあずかった三両を、人を通してきちんと自分へ届けさせてくれた人だといった。 「あたし、死んだ親とじいちゃん、ばあちゃんの他に、そういう人に会ったことがなかったんです」  東吾は僅かに頬をゆるめ、大きくうなずいた。 「大丈夫だ。俺はあんたの頼みを裏切りはしない」  一つだけ、聞かせてくれないかといった。 「あんたがおひろを殺したのは、弟を逃がそうがためだったんだな」  さわぎを起して、捕方の目がそっちへ向いた僅かの隙に正太を逃がすのが、追いつめられた姉の最後の手段だった。 「誰でもよかったんです。あたしが人を殺して、大さわぎになれば弟は逃げ切れるかも知れない」  ふっと口を閉じ、急に涙を浮べた。 「いえ、やっぱり、おひろを殺したかったんです。あの妓が正太をたぶらかしたから、正太はお店を追われることになった。あたしが泣いて別れてくれと頼んだのに……それまで働いて貯めたお金をそっくり投げ出して、正太だけはやめてくれと土下座したのに……」  涙をふり払うように首を激しく振った。 「馬鹿ですねえ。女郎は男を欺して生きて行く。あたしだってそういう女、金猫銀猫の猫芸者だっていうのに……」  待っていた源三郎をふりむいた。 「ありがとうございました。これで思い残すことはございません」  おたまを牢に戻して来た源三郎と連れ立って東吾は表へ出た。 「要屋を襲った正太がまっしぐらに一ツ目の姉の家へかくれたのを、我々が見落したのが残念ですよ」  一ツ目へ張り込んでいた長助達は要屋が襲われたと知らされて日本橋へ急行した。 「長助は、若い連中を何人も残して行ったんですが、その連中も日本橋の事件に気をとられていたのでしょう。とにかく、正太は厳重な見張りの目をかいくぐって姉の家にかくれた。そのことにもっと早く気がつけば、おたまに罪を犯させずにすんだと思います」  弟をかくまっただけなら、島流しにはならない。  東吾は友人の肩を軽く叩いて、空を見上げた。 「島は、これから冬だなあ」  中天に白く月が出ていた。  夜気は天上から冷え冷えと大地へ下りて来る。  源三郎が小さくくしゃみをした。 「源さん、どこかで一杯やって行こう」  東吾が奉行所の提灯の火を吹き消した。  月明りの道は提灯なしでも充分に歩ける。  源三郎が東吾の真似をし、二人は肩を並べて横丁へ折れて行った。 [#改ページ]   十三歳《じゆうさんさい》の仲人《なこうど》      一  九月なかば、江戸は大嵐に襲われた。  神田川が氾濫し、川岸の人家は押し流されておびただしい数の死者、行方不明者が出た。  幸い大川はなんとか持ちこたえたが、半日にわたって強風が吹き荒れたので屋根瓦が飛ばされたり、樹木が倒れたりの被害が続出した。  八丁堀の組屋敷内にある神林通之進の屋敷も日頃使っていない奥座敷の北側の部分に赤松の大枝がのしかかって屋根瓦を突き崩し、壁や軒端を損傷した。  早速、出入りの屋根屋や左官屋、大工なぞが入って修理にかかった。  それが物珍しくて、麻太郎はよく仕事場を見て歩く。  とりわけ、麻太郎が気に入っているのは大工が鉋《かんな》をひいている所で、紙のように薄い鉋屑を拾って眺めていると、庭伝いに香苗《かなえ》が来た。 「麻太郎、小源さんの邪魔をしてはいけませんよ」  優しくいわれて、慌てて傍へ行った。 「申しわけありません。気をつけます」  小源と呼ばれた棟梁が鉢巻をはずし、香苗に丁寧に頭を下げた。 「若様は決してあっしらの仕事の邪魔はなすってはいらっしゃいません。お気遣いは御無用に願います」  香苗は軽くうなずいて、麻太郎が手にしている鉋屑を眺めた。 「随分と薄くひけるものですね」 「叔父上がおっしゃったのです。棟梁のひく鉋屑は薄いだけではない。表面に艶があると……本当にその通りでした」  香苗が麻太郎の手から鉋屑を取り上げて陽に透かすようにした。 「本当に……なんともいえない艶がございますのね。東吾様のおっしゃる通り……」  小源が両手を握りしめるようにした。 「昔……あれは何年|前《めえ》になりますか。かわせみで親父と一緒に仕事をさせてもらっている時に、若先生がいわれたんです。親父の鉋屑にはなんともいえない艶があるって……その頃のあっしは親父に追いつけ、追いこそう……冗談じゃねえ、親父の足許にも寄れねえ青二才の分際で……ものがみえねえってのはなんともお恥かしい話でして……」  香苗が穏やかにいった。 「でも、これだけのお仕事が出来るようになったではありませんか」 「まだまだ、親父のような鉋屑はひけません。ですが、奥様、若様に賞めてもらいまして、気持にはげみが出ました。ありがてえことでございます」  翌日、麻太郎は拾った鉋屑を半紙の間にはさんで懐中し、八丁堀の屋敷を出た。  日本橋川の岸辺を豊海橋《とよみばし》へ向う。  先日の嵐のあった時は信じられないほど大量の泥水が激しく流れていた川は、いつもの色を取り戻し、荷舟が悠々と上り下りしている。  豊海橋の袂《たもと》を大川端町へ向って、すぐに麻太郎は大川に向った石垣の上に千春が立っているのに気づいた。で、道を逸れて近づいて行くと、その気配で千春がふりむいた。目が赤く腫れている。  泣いていたとわかって、麻太郎は走り寄った。 「どうした、お母様に叱られたのか」  千春が無理に笑顔を作ってかぶりを振った。 「では、何故、泣いていた」 「麻太郎兄様は、お石を御存じですね」 「知っているよ。よく、千春の琴のお稽古のお供をしているだろう」 「お嫁に行ってしまうのです。それも遠い遠い野老沢《ところざわ》へ……」 「なんだと……」  千春が石垣へ腰を下し、麻太郎も並んですわった。  石垣のむこうは洲浜で大川に続いている。  先日の嵐の時はこの石垣の上まで水が寄せて来て随分怖い思いをしたというのを、この前、「かわせみ」を訪ねた時に聞いている。  今日の大川は日本橋川同様、常の如き流れだが、水量は流石に多い。なによりも洲浜に上流から流れて来た岩石や木、戸障子の類などが打ち上げられたままなのが、嵐の日のもの凄さを物語っている。 「お石が嫁に行くって、もう決ったのか」 「嘉助が、女は望まれて嫁に行くのが一番幸せだと……」 「野老沢というのは、そんなに遠いのか」 「一日では行けないそうです」 「どうして、そんな所へ……」 「お石の生まれ故郷なんです」 「そうか」  それでは仕方がないといいかけて麻太郎は言葉を呑み込み、千春の横顔を窺った。 「千春のお父様やお母様は賛成なのだろうな」  千春が麻太郎から渡された手拭で涙を拭いた。 「よく、わからないのです。でも、お吉は、そんな田舎へやることはないといって泣いています」 「うむ」 「かわせみ」の女中頭のお吉が、お石という女中をかわいがっているのは麻太郎も知っていた。それに、千春の世話はお吉かお石と決っている。幼い時から馴れ親しんだ女中が嫁に行くとなれば、千春が寂しがって泣くのも無理ではないと思う。 「しかし……」  言葉を考えながら、麻太郎はいった。 「女は、やはり嫁に行かねばならないから……」  千春があどけない顔を上げた。 「嘉助もそういいました」 「お石にしても、よい縁談ならば……」 「麻太郎兄様……」 「なんだ」 「女はみんな、いつか嫁に行くのですか」 「まあ、そうだな」 「千春も……」 「千春は一人娘だから、聟《むこ》を取るのかな」  この話は続けたくないと麻太郎は思い、立ち上った。 「行こう。お母様が心配なさっていらっしゃるかも知れない」  千春は素直について来た。  が、「かわせみ」へ来てみると、東吾はまだ帰って来て居らず、るいは来客中であった。 「お石のおっ母さんの弟で吉蔵さんて人と、近くの徳蔵寺の和尚さんが来てなさるんでございます。文だけでは御無礼だし、話も進まないからってことで……」  お吉が情なさそうに訴え、嘉助が帳場の脇の小部屋へ座布団を出した。 「もう、お帰りなさると思いますんで……」  その言葉通り、奥の廊下の暖簾口から坊さんと、如何にも質朴そうな男がるいに送られて出て来た。後からお石がしょんぼりした顔でついて来る。 「それでは、何分、よろしゅうお頼み申します」  丁重に挨拶をして坊さんと男が帰り、るいは麻太郎に気がついた。 「まあまあ、こんな所で……どうぞ奥へお入り下さいまし」  二人の子供を奥へやって、お石に、 「あとで、旦那様がお帰りになったら、ゆっくり話をしましょうから……」  声をかけて、子供達の後を追って行った。  東吾が帰っていないので、麻太郎は居間の隣の、この節、千春がもっぱら使っている部屋で、早速、お吉が運んで来た串団子を食べ、茶を飲んだ。千春は新しい絵草紙を持って来て麻太郎にみせたが、二人共、気持は他へ向いていた。  居間でお吉が、 「いったい、どのようなお話で……」  と、るいに訊きはじめたからである。 「どのようなって、先だって来た野老沢からの文とたいして変りはないのだけれど……」  野老沢からお石に縁談のある旨、知らせて来たのは、つい三日ばかり前であったが、お石の親に頼まれてその文を書いた徳蔵寺の住職が、私用で江戸へ出て来ることになったので、どっちみち文だけで済む話ではなし、この際、身内の者がお目にかかって挨拶をしたいと、お石の叔父に当るのがついて来た。 「相手はどういう人なんですか」  文ではよい縁談とだけで、具体的に書いてなかった。 「お名前は芳太郎さんといってね。年齢《とし》は二十九、お石と同じ村の人だそうだけれど、川越のほうへ奉公に出ていて、二年前に村へ戻って名主様の家の書役《かきやく》をつとめているのですって……」  名主というのは、藩から任命される村の長《おさ》で、上方では庄屋といい慣らわしている。  藩への農民の貢租納入の決算や、村の農作の管理など一切を司るので村役人とも呼ばれている。農民の中では名門だし、権力を持っているわけで、そこの書役ともなればまず出世頭と考えてよい。 「お吉も知っての通り、お石は兄弟、姉妹が多いでしょう。江戸へ奉公にやったきり、いつまでも嫁に出さないと他の子の縁談にも障りが出る。吉蔵さんもそこの所を心配していてね」 「いい人なんですか。その芳太郎さんって人は……」 「和尚さんは申し分ないとおっしゃいましたよ。働き者で人柄がよくて……」 「男前ですか」  るいは笑った。 「そこまではおっしゃいませんでしたけど、男は器量じゃないでしょう」 「お石ちゃんはなんといっているんです」 「子供の時に一緒に遊んだそうだけど、先方さんは十五で川越へ奉公に行ったのだから、お石のほうは、まだ、ほんの子供ですもの、ろくに憶えていなくて当り前ですよ」  お吉が大きな吐息をつき、るいは苦笑した。 「そりゃあ、あたしだってお石をなるべくなら江戸で縁づかせたいと思っていたけれど、こうやって親御さんのほうからいい縁談がおありだというなら、それはそれでお石の幸せかも知れないし……」  千春がすすり泣きをはじめ、驚いたるいが立って来た。  結局、麻太郎は東吾の帰るのを待たず、「かわせみ」から帰った。      二  香苗は麻太郎が鉋屑を半紙にはさみ、 「叔父上の所へ行って参ります」  とことわりをいって来た時、ああ、鉋屑の艶の話をしに行ったのだと微笑ましく見送ったものであった。  東吾は子供の相手をするのが上手なので、麻太郎にしても、まず出かければ二刻は帰って来ない。まして、今日は学問や習字などの稽古のない日なので、いつもよりゆっくりして来るだろうと考えていた。  ところが一刻にもならない中《うち》に、 「只今、戻りました」  と居間に顔を出したので、 「叔父上様はお留守でしたか」  と訊いた。 「はい、まだ軍艦操練所からお帰りではございませんでした」 「では、おるい様や千春さんもお出かけ……」  軍艦操練所の勤務が、なにかで遅くなる場合、麻太郎は千春の遊び相手をしながら東吾の帰りを待っている筈で、日頃の「かわせみ」なら、麻太郎が帰るといっても、 「まあ、もう少し、お待ちなさいまし」  と、るいはもとより、お吉や嘉助までが止めるのを香苗は知っている。  それ故、不審に思って重ねて訊いたものだったが、 「かわせみでは、お石の嫁入りが決って叔母上も落ち着かれない御様子でしたし、千春は泣いていました」  憮然とした口調で麻太郎が答えた。 「お石というと、若いけれど気のつく……」 「そうです。よくお吉の代理をつとめています」 「あの子の嫁入りが決ったのですか」 「野老沢と申す所から、親類の人が来て叔母上に挨拶をして帰って行きました」 「それでは本決《ほんぎま》りなのですね。お相手は野老沢の……」 「そのようでした。お石の幼なじみとか」 「そうですか」  がたんと音がして香苗がふりむいてみると、小源が梯子《はしご》を持って庭を横切って行くところであった。今日は軒の修理にとりかかると聞いている。梯子はそのためだろうが、香苗が少し訝《いぶか》しく思ったのは、日頃、仕事をしていて荒い音をたてない小源にしては珍しくそそっかしい振舞であった故だ。  けれども、そう気にしたわけでもなかった。粗忽《そこつ》は誰にでもある。まして長い梯子を持っているのであった。  麻太郎のために茶菓子の用意をしようと香苗が立ち上った時に、すさまじい音がした。  地響きをたてて、誰やらが落ちたという感じである。  麻太郎が庭下駄をはいてとんで行き、すぐ戻って来た。 「棟梁が梯子ごと落ちたのです」  用人が行き、香苗も庭へ下りた。  打ちどころが悪かったのか、小源は体を丸めるようにして唸っていたが、すぐ我に返った。 「大丈夫でございます。馬鹿をやっちまいまして、面目次第もござんせん」  起き上ろうとするのを香苗が制した。 「動いてはいけません。すぐ、お医者を呼んで……」 「とんでもねえ。うちの近くの知り合いの按摩がいますんで、ちょいと行って膏薬《こうやく》でも貼ってもらって来ます」  若い衆の肩を借りて逃げるように裏門を出て行った。 「これ、待ちなさい。その恰好で堀江町までは無理だ」  用人が走ったが、すぐ戻って来て、 「強情な奴でして、どうもいうことをききませず……」  脂汗を流しながら、若い衆にかつがれて行ったと報告した。  それをみて麻太郎は決心した。 「母上、本所の叔父上の所へ行って参ります」  庭下駄のままかけ出すのを、用人が草履を持って追いかける。  香苗はなんとなく微笑した。  なんと少年の日の東吾にそっくりなことかと思う。  本所の麻生家に、宗太郎はいた。 「叔父上、小源が梯子から落ちました。診て頂けませんか」  息を切らして入って来た麻太郎をみると、 「ほう、猿も木から落ちたか」  患者を診るのに使っている離れの部屋へ行き、薬籠の中身を整えると、すぐ屋敷を出た。 「麻太郎は、小源の家を知っているのか」 「行ったことはありませんが、堀江町です」 「ま、行けばわかる」  麻太郎が薬籠へ手をのばした。 「手前が持ちます」  けっこう重いのを、さして苦労にもせずぶら下げて行く。 「いつの間にか、大きくなったなあ。その分、こっちが年をとったわけだ」  笑いながら新大橋を渡った。  本所から神田までかなりの距離だが、二人共、歩く速度を落さない。  小源の家の前では若い衆が近所の者を追い払っていた。 「棟梁が気にするから、うっちゃっといておくんなさい」  情ない顔で繰り返していたのが、麻太郎と一緒にやって来た宗太郎の姿をみると、目が輝いた。 「本所の先生……有難え。来ておくんなさいましたか」  先に立って家へかけ込んだ。続いて宗太郎が薬籠を受け取って麻太郎に、 「お前は外にいなさい」  と命じてそそくさと狭い入口を入って行く。取り残されて、麻太郎はあたりを見廻した。この長屋の人々が不安そうに小源の家を遠巻きにしている。その中の一人が急に家へ入ると茶碗を持って麻太郎の傍へ来た。 「若様、こいつをどうぞ……」  勧められて、麻太郎は茶碗の茶を飲んだ。  日頃、屋敷で飲んでいるのとは比較にならないほどの出がらしだが乾いている咽喉《のど》には甘露であった。  そして、麻太郎は小源という大工の棟梁が近所の人々に随分と人気があるのだということを知った。      三  翌朝、八丁堀の神林家には小源の下で働いていた若い大工と一緒に初老の男がやって来た。 「手前は深川佐賀町に住む大工の源七と申します。小源の奴が動けるようになるまで、こちら様の仕事をさせて頂きとう存じます。どうか、お許しを願います」  挨拶を受けた用人は、佐賀町といったので大方、長寿庵の長助が気をきかせたのかと思って問いただすと、 「実は、小源の親父さんには若え時分から大変、厄介になりました。まがりなりにもあっしが棟梁と呼ばれるようになりましたのも、親父さんのおかげでして……小源とはそういった間柄でございますのと、もう一つ、こちら様はかわせみの若先生の御実家とか。若先生には、もうかれこれ十年近くにもなりますが、一方ならねえ御恩を受けて居ります。その御恩返しもあって、かけつけましたんで、何分、よろしくお願い申します」  といった。  用人が奥へ取り次ぎ、まだ出仕前だった通之進は笑った。 「東吾の奴、けっこう、あっちこっちで徳を積んでいるようだな」  香苗も用人も、昨日、帰って来た麻太郎から、 「本所の叔父上のお診立てでは、腰を強く打っている上に、体をひねって筋を痛めているとのことでした。当人がなんといっても十日は安静にするようにときびしくおっしゃって居られました」  と報告しているので、当分、修理は中断することになろうと覚悟していたところで、 「そういうことなら、お願いしましょう」  と用人に返事をさせた。  この日、麻太郎は午前中を漢学の塾へ行き、午《ひる》に戻ってから乗馬の稽古へ出かけた。  帰って来ると香苗が外出の仕度をしている。小源の見舞に行くと聞いて、麻太郎はいった。 「母上がお出でになったら、小源が困るでしょう。手前が参ります」  用意されていた蜜柑《みかん》の包と金一封をあずかって麻太郎は堀江町へ行った。  小源の家には近所に住んでいるという中婆さんが来ていた。 「朝から何も食べないって、留さんがいうから、お粥《かゆ》を煮て来たんだけど、要らないの一点ばりなんですよ」  麻太郎の顔を見ると早速、訴えた。  留さんというのは、家の前の縁台に腰かけている年寄で、普段は煮豆売りに廻っているのだが、今日は小源の様子が心配で仕事を休んだという。  その小源は今しがた、漸《ようや》く眠ったところらしい。 「昨夜は痛くてまるで眠れなかったようだから……」  そっとしておいたほうがいいといい、中婆さんと留さんが出て行って、麻太郎は上りかまちに正座して懐中から本を取り出した。  秋のはじめに麻生宗太郎からもらったもので人体の絵が描かれて居り、脚や腕、頭などが英語で書いてある。二枚目は内臓の絵で、これも各々の器官が日本語と英語で記されていた。  戸がそっと開いて、千春の顔がのぞいた。後からお石が入って来る。 「麻太郎兄様」  と呼びかけた千春に、麻太郎は指を口に当てた。 「今、眠っているんだ」  お石が小さく訊いた。 「どうなんでございましょうか。小源さんの具合は……」 「昨夜は眠れないくらい痛んだそうです。食欲もなくて、今朝から何も食べないとか」 「それでは、今の中にお粥でも煮ておきましょう」  独り言のようにささやいて、お石は井戸端へ出て行った。  お粥なら近所の人が持って来たのがあるといいかけて、麻太郎は黙った。  大きな声を出すと、小源が目をさます。  千春が麻太郎の隣へ来てすわった。  入口の戸が開いたままになっているので、井戸端のお石の姿がみえた。米をとぎ、「かわせみ」から持って来たらしい土鍋に入れて、家の外においてある七輪にかけた。七輪に火を焚く手ぎわがいいのに、麻太郎は感心した。あれなら嫁に行っても大丈夫だと思う。  ただ、お石の顔色の悪いのが気になった。  いつもはいきいきと輝いている肌が青ざめて元気がない。  粥を炊きながら、お石はこれも「かわせみ」から持参した重箱や蓋物を開けてなにやら作っては小鉢や小皿に盛っていた。  小源が目をさましたのは、およそ一刻ばかり後であった。 「若様、千春嬢さん……」  慌てて起き上ろうとするのを、素早くとび込んだお石が押えつけた。 「起きたらいけねえ、動いちゃならねえ」  突然にお石の口から出たお国なまりに麻太郎は驚いたが、千春が、 「駄目です。お石のいうことをきかないと怪我が治りません」  と叫んだので、自分もいった。 「その通りです。本所の叔父上も下手に動くと一生、仕事が出来なくなると……」  小源が体の力を抜いた。お石が今度はいくらか落ち着いたらしく、日頃の言葉でいった。 「目がさめたら食べてもらおうと思って、お粥を煮ておいたんですよ。一口でもいいからお腹に入れて下さい。それでないと、いつまでも起きられないから……」  返事を待たないで、さっさとお膳を運んで来た。  小源の枕の下に座布団を二つ折りにして入れ、行平《ゆきひら》に移して来た粥を小さな木杓子《きじやくし》ですくって小源の口へ運ぶ。なんとなく小源が口を開けた。一口食べてしまってから、 「俺が自分で……」  といいかけたが、お石は全く無視して、粥やら煮豆やら大根の煮たのなんぞを要領よく木杓子と箸を使いわけて小源を養っている。  飯が終ると、お石は茶をふうふう吹いて飲ませ、それから布団の上の小源の体を反対の向きに直して、今まで下になっていたところを丁寧にさすってやっている。  麻太郎も千春も気を呑まれてぼんやり眺めていた。それほど、お石の動作には迫力がある。  やがて、留さんが来た。 「ほう、飯が食えたかね」  ほっとしたようにいい、 「あとはあっしがここにいますから、どうぞ帰っておくんなさい」  とお辞儀をした。  お石が井戸端で汚れた土鍋や皿小鉢を洗うのを待って、麻太郎と千春も小源の家を出た。  最後にお石は、 「明日もまた来ますからね」  と声をかけ、涙ぐんだような顔で外へ出て来た。  豊海橋のところまで一緒に来て、麻太郎が八丁堀の屋敷へ帰りつくと、庭に東吾がいて大工の源七と話をしていた。  麻太郎をみると大股に近づいて来て、 「どうだ、小源の具合は……」  と訊く。 「だいぶ痛そうでしたが、お石さんの作ったお粥やなんかは全部、食べました」 「そうか、そりゃあよかった」  源七が会釈をして仕事場のほうへ行き、東吾が縁側に腰をかけたので、麻太郎は近くへすわった。 「しかし、驚いたよ。よりによって小源が梯子から落ちるとは……あいつ、なにか心配事でもあるのかな」  東吾が首をひねり、麻太郎は堀江町からずっと考え続けていたことを思い切って口に出した。 「もし、小源に心配事があるとしたら、お石の嫁入り話ではないかと思います」 「なんだと……」 「昨日、わたくしは叔父上に小源の鉋屑をみて頂こうと思ってかわせみへ参りました。ですが、ちょうどお石の親類の人が来ていて、嫁入りの話をしていったところでした。わたくしは叔父上のお帰りを待たずに屋敷へ戻りました。そして、母上にその話を致しました」  東吾がうなずいた。 「成程、それを小源が聞いたのか」  麻太郎が目を輝かしたのは、自分の気持をすみやかにこの叔父が推察してくれたからで、 「聞いたかどうかまではわかりませんが、その時、小源は梯子を持って庭を通りました。その上、いつも、梯子なぞをものにぶつけない小源がそこの紅葉《もみじ》の幹に梯子を当ててしまったようなのです」  小源が梯子から落ちたのは、すぐその後だったと麻太郎はいった。 「でも、その時、わたくしは自分の話のせいで小源が足をふみはずしたとは思って居りませんでした」 「いつ、気がついた」 「今日です」  お石が千春のお供で見舞に来てからの話をした。 「小源は近所のお婆さんが作って来た粥を食べないで、そのままにしてありました」 「それなのに、お石の粥を食べた理由はなんだと思う」 「お石の粥のほうが旨かった。それに、お石の勧め方も強引でしたし……」 「それだけか」  苦笑しながら、東吾は少しみない中にまた上背の伸びた麻太郎を眺めた。 「例えば、お前が病気になったとして、女中の作った粥と、母上がお手ずから作られた粥と、どっちが旨く感じると思うか」 「それは母上です」  勢よく返事をしてから、考えてつけ加えた。 「小源にとって、お石は母上のようなものでしょうか」 「まあ、そうだな」 「年齢《とし》は小源のほうが上です」 「この際、年齢は関係がないのだよ」 「はい」  香苗が手作りのぼた餅を持って来るのを目の中に入れたまま、東吾は訊いた。 「麻太郎は小源をどう思う」 「父上も母上も、腕のよい立派な棟梁だといわれました」 「ほかには……」 「小源が怪我をして、近所の人はとても心配していました。仕事を休んで小源の家へ来ていた年寄もいましたし、粥を作ったりしてくれるお婆さんもいて……それをみて、小源は日頃、近所の人達に優しくしているのだろうと感じました」  香苗が火鉢の上の鉄瓶の湯を急須に移しながら、話に加わった。 「人柄のいい、気性の勝った人ですよ。無口だし、取っつきにくいようにみえますけど、本当はざっくばらんで、子供みたいに純なところがある……」 「未だに嫁を迎えないのは何故だと思われますか」  香苗が東吾と麻太郎の前に茶碗をおいた。 「それは東吾様のほうが御存じでしょう」  ふと、東吾は遠い目になった。 「小源の母親は深川の芸者でしてね。生まれてすぐに小源の父親、源太という名棟梁でしたが、赤ん坊の小源をひき取って女とは縁を切ったそうです」 「小源さんの兄弟は……」 「母親の違う兄が二人います。二人とも大工仕事を嫌って、大伝馬町の木綿問屋大和屋へ奉公して、上のほうは番頭にまで出世しているそうです。下は何年か前に独り立ちして神田皆川町のほうに木綿の小売りの店を開いています。但し、二人の兄とは、親父さんの歿った後、全く、行き来をしていないとのことです」 「では、誰方《どなた》かが親身になってお世話をしないと、お嫁さんが来ませんね」 「小源という奴は、男前もまずまずですし、気風がいいので、面倒をみようという旦那衆がけっこうあったようですが、当人が乗り気にならなくて、いつも立ち消えになったと長助がいっていました」 「小源さん、もう三十のなかばを過ぎたでしょう」 「手前が始めてあいつに会った時、二十三といっていましたからね」 「どこかに、好きな人がいるのでしょうか」 「それなら噂になる筈で……長助の耳にも入るでしょう。もしかすると、歿った母親のことが気持の中にあるのかも知れません」 「歿られましたの」 「小源が十五の年だったそうです」  暮六ツ(午後六時)の鐘が聞えて、東吾は腰を上げた。  職人達も帰り仕度をはじめている。      四  稽古の合い間を縫うようにして、麻太郎は堀江町へ出かけた。  いつ行っても、千春とお石が来ていた。  見ていると、お石は実にこまめに働いた。  小源の飯の仕度から洗濯、その間に破れっぱなしの障子の切り張りをしたり、小源の衣類を繕《つくろ》ったり、少しも、じっとしている時がない。  更に麻太郎が感心したのは、小源の回復がめざましいことで、一日おきに容態を診に来る宗太郎が、 「成程、看護人が優秀だと、治りが早いというのは本当だね」  といっているのを耳にしてやはりそういうことかと確信を持った。  けれども、五日が過ぎて、小源が布団の上に起き上がれるようになり、それまで杖を突いてやっと往復していた厠《かわや》にも杖なしで通えるようになったあたりから、お石の様子がおかしくなった。甲斐甲斐しく働くのはこれまで通りなのだが、とにかく元気がない。  それとなく千春に訊ねてみると、 「野老沢から文が来て、春になる前に先方といろいろ相談したいから一度、帰してもらいたいといって来たのです」  その上で祝言はお石が三月の出代《でがわ》りの時期に「かわせみ」から暇を取ってすぐにと決ったらしいという。  麻太郎にその話をした千春もがっかりしている。 「あたしが泣くとお石がつらい思いをするからとお母様にいわれたので……」  泣くまいと唇を噛みしめて訴えた。  そして二日後、麻太郎が習字の稽古を終えて大川沿いの道を堀江町へ向けて歩いて行くと、川岸に立っているお石の姿がみえた。  近くに千春がいるのかと目をくばったが、それらしい姿はない。  お石が如何にも頼りなげで、今にも大川に吸い込まれそうにみえたので、麻太郎は走って行った。 「どうかしたのか、お石」  声をかけると、お石は、はっとしたようにふりむいたが、その顔は涙でぐしょぐしょに濡れている。 「どうかしたのか」  もう一度、訊ねると首を激しく振り、川岸をかけ出した。不安になって麻太郎はその後を追って行ったが、豊海橋のところまで来るとお石は急にしゃんとし、背中をまっすぐにして「かわせみ」へ歩いて行った。  で、麻太郎も再び堀江町へ戻る気はなくて八丁堀へ帰った。  翌日、漢学の稽古を終えて鉄砲洲稲荷の近くまで畝源太郎と肩を並べて戻って来ると高橋《たかばし》の上に千春が立っていた。麻太郎をみると、 「兄様……」  と呼びながらしがみついて来た。 「お石がかわいそうなのです。今日、お母様が小源さんの見舞はいいのっておっしゃったら、昨日、小源さんからもうなんでも自分で出来るから来ないようにっていわれたんですって。それで、お石はかくれて泣いているんです。あたし、心配で……」  麻太郎は千春の肩を軽く叩いた。 「わかった。ところで、昨日、千春は小源の家へ行ったのか」 「昨日はお石が一人でした。あたしはお母様とお茶の先生の所へうかがったので……」 「そうだったのか」  並んで歩き出しながらいった。 「わたしはこれから小源の家へ行って来る。千春は家へ帰っていなさい」  源太郎がいった。 「わたしも一緒に小源の所へ行きましょうか」 「いや、それよりも、千春を送ってくれないか」  少しでも早く堀江町へ行って、小源に糾《ただ》したかった。何故、そんなことをお石にいったのか。昨日まで世話になったのに、恩知らずではないかといってやりたい。 「承知しました」  源太郎が千春を連れて大川端町へ向い、麻太郎は一目散に堀江町まで走った。  小源はまだぎこちない恰好で家の中を歩いていた。麻太郎をみると、照れくさそうに、 「なにしろ、歩く練習をしませんことには」  と笑ってみせた。 「訊きたいことがあって来た」  上りかまちの前に立ったまま、麻太郎はいつもよりやや高い声でいった。 「昨日、お石に、もう来なくていいといったそうだな」  小源があっけにとられた表情をした。 「申しましたが、それが何か」 「お石は泣いていたぞ」  いってしまって、麻太郎は小源の顔色が変るのに気づいた。けれども、口のほうは勝手に動いて言葉が止められない。 「大川の岸辺で、そりゃあひどい顔で泣いていた。わたしにはお石が今にも大川へとび込むのではないかと思えた。だから声をかけた」  絞り出すような声が小源の口から出た。 「それで、お石さんは……」 「なんでもないといった。しかし、わたしにはかけ出して行くお石の後姿がひどく悲しそうに見えた」  小源がうつむき、麻太郎は重ねて詰問した。 「どうして、お石に来るなといったのだ」 「そいつは……」  かすれた声で、小源が答えた。 「あっしはこの通り、おかげさまで動けるようになりましたし、かわせみに奉公しているお石さんにいつまでも厄介をかけるのはすまねえと思ったものですから……」  それは正論であった。  千春からお石が泣いていると聞いて、かっとしてここへ来たものの、小源の言葉を聞けば、それはその通りだと思う。  それでも、麻太郎が小源からききたかったのは、そうした通り一遍の理屈ではなかった。 「お石は野老沢へ嫁に行くのだぞ。三月には暇を取って野老沢へ嫁入りする。それでもいいのか」  青ざめていた小源の顔に血の色が動いた。 「小源は痛みのために、何も食べられなかった。それなのに、お石の作ったものはなんでも食べた。不思議に思って東吾の叔父上にお訊ねしたら、それは小源にとって、お石の作ったものは、母上の作られたものと同じだったからだとおっしゃった。母上のようなお石は、小源にとってこの世で格別の人だろう、唯一無二の人ではないのか。その人が嫁に行っても、小源はなんとも思わないのか。しっかりしろ。小源、男らしくないぞ」  へなへなと畳に小源が両手を突いた。 「若様、あなたという御方は……」  膝を揃え、改めて頭を下げた。 「あっしが悪うございました。下手な痩せ我慢をしたのがお恥かしゅうござんす。これからかわせみへ行ってお石さんにあやまります。もし、お石さんが許してやるといってくれたら……一世一代……俺んところへ来てくれと申します」  麻太郎が幼さの残る笑顔になった。 「では、わたしも一緒に行こう」 「若様が一緒なら、勇気百倍でさあ」  慌てて着替えた小源が押入れから真新しい麻裏の草履を出して履き、麻太郎と外へ出た。 「大丈夫か」  と麻太郎は小源の足を気遣ったが、当の小源は鬼神に憑《つ》かれたような恰好でずんずん歩く。  豊海橋の袂まで来た時、むこうから東吾が走って来た。 「千春に訊いたんだ、お前が小源の所へ行ったというから……」  麻太郎が落ち着いて教えた。 「小源は、これからお石の所へ行きます」  以心伝心で東吾に通じた。 「そうか、俺も一緒に行ってやる」 「若先生……」  小源が咽喉にからんだ声で叫び、再び歩き出す。 「麻太郎はどうする」  当人の返事の前に小源がいった。 「若様は俺の立会人で……」 「成程、では参ろう」  男三人がまっしぐらに「かわせみ」へ向った。  どういうわけか、その「かわせみ」での出来事を麻太郎は整然とは憶えていない。  多分、自分も小源同様に逆上していたのではないかと、後になって思った。 「かわせみ」の暖簾を一番にくぐった東吾が、出迎えた番頭の嘉助に、 「お石を呼んでくれないか」  といい、やがて台所から濡れた手を拭き拭き、お石が出て来た。  とたんに小源が土間にすわり込み、両手を合せてお石を拝んだものだ。声は出ず、ただ両眼を一杯に開いて、ひたすらお石に自分の想いを訴えようとしているかに見える。  たまりかねて、東吾がいった。 「お石、小源はお前に嫁に来てもらいてえといっているんだ」  固くなっていたお石の体が崩れた。よろよろと二、三歩よろめいて、どすんと膝を突くなり、わあっと声を上げて泣き出した。  茫然とそれを見ていた麻太郎は、東吾がふりむいて自分に片目をつぶってみせたのだけは、はっきりと憶えている。  十月早々に、お石は小源と一緒に野老沢へ行った。二人が夫婦になることを、親に許しを求めるためだが、帰って来ると、 「おっ母さんがとても喜んでくれました。お石が決めた人と夫婦になれるのなら、これ以上のことはない。さぞかしかわせみの皆々様のお力によるものだろう。決して皆様の御親切を裏切らないよう、立派に添いとげておくれと泣いていました」  と、こちらも涙ぐみながら報告した。  また、祝言についても子沢山の上に百姓は一日たりとも田畑を留守に出来ないので、すまないが江戸へは出て行けない。どうか悪く思ってくれるな、といわれたという。  追いかけて徳蔵寺の住職からの文が来て、芳太郎の件は自分が間に立ってきちんとなかった話にしたので心配は要らないといって来た。 「早いに越したことはありませんよ。善は急げって申しますから……」  と、お吉が勇み立ち、堀江町の大家が、 「今の家じゃあ、あんまり手狭だ。近くにちょうど空いた家があるから……」  と引越しの段取りまでつけてくれた。  十月吉日、お石はるいが先頭に立って用意した簡素だが気のきいた嫁入り仕度を新しい小源の家へ運び込み、ごく内輪だけの祝言を上げた。  ところで、「かわせみ」一同がびっくりしたのは、小源とお石が揃って、 「身分不相応は承知でお願い申します。仲人は麻太郎坊っちゃまと千春嬢さまにお願い出来ないものでございましょうか」  おそるおそる申し出たことであった。  考えてみれば、二人が晴れて夫婦になれたのには、麻太郎と千春の介在があってのことなので、東吾は八丁堀の神林家を訪ねて、兄夫婦にその話をした。 「前代未聞ではないか、十三歳と七歳の仲人と申すは……」  と通之進は目を丸くしてみせたが、機嫌はすこぶるよかった。  そして当日、堀江町の小源の家の前はなかに入り切れない人々が黒山のように集まって、諸方から借り集めた縁台に陣取り、小源が用意した酒と肴を前にして新夫婦の門出を祝った。  東吾とるいは、千春の後見人といった恰好で席に連なっていたのだが、外にいた長助が、 「えれえことになりました。神林の殿様が……」  と知らせに来て、上りかまちの所へ出た。  神林通之進と香苗が、集まっている町内の人々に挨拶をしている。  麻太郎の仲人ぶりが心配でやって来たのだとわかって、東吾は苦笑した。  どうも、兄は自分以上の親馬鹿らしい。  るいが通之進夫婦の席が出来たのを知らせに来て、東吾はそこらにあった下駄を突っかけ、兄夫婦を呼びに行った。  初 出 「オール讀物」平成15年2月号〜15年10月号(7月号を除く)  単行本 平成16年3月 文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 平成十九年四月十日刊